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ウィシュマさんの悲劇が人々を変えた
筆者は17年間、法務省の管轄である出入国在留管理庁(入管)による人権侵害の問題を追いかけているが、2021年は特に大きく入管の問題点を世間に知らしめることになった年だったと言える。
きっかけは、名古屋入管の収容施設内でスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(享年33歳)が命を落としたことだった。日本に憧れを抱いていた彼女は2017年に留学生として来日したが、途中で学校に通えなくなったため在留資格が更新できずオーバーステイになってしまった。
ウィシュマさんは日常的に暴力をふるうスリランカ男性と同棲していたが、2020年8月にはついに耐えきれなくなり、警察に助けを求めた。そして収容されることになってしまった。
施設に収容されても心身の健康は守られなかった。2021年に入ったあたりからはだんだんと食欲を落としていく。食べても吐いてしまうため、面会の時はバケツを持参していたという証言もある。
しかし職員たちは詐病を疑っていたため、適切な対処をしようとはしなかった。本人も、面会支援者も職員に点滴を打つよう求めたが、そうした措置がとられることはなかった。そして、2021年3月、ウィシュマさんは帰らぬ人となった。
この件が報道された時の市民の怒りは大きかった。中には「不法滞在者だから帰らないのが悪い」と心ない言葉をぶつける者もいたが、それ以上に、軽々しく命を扱った入管に対する批判の声は増えていった。
入管法改正案の審議にも影響を与えた。当時、衆議院で外国人の収容や送還のルールを見直す入管法改正案が審議されていたが、「外国人の人権を無視している」と問題視する声が多く出た。支援者のみならず、著名人や芸能人、一般市民にまで抗議の動きは広がり、結果的に法案の成立は見送られた。
以前は、在留資格のない外国人の人権問題に興味をもつ人はあまりいなかった。先に挙げたような「不法滞在者だから帰らないのが悪い」といった声が多かった。しかし、当事者が諦めずに声をあげ続けたことにより、ようやく状況は変わり始めたのだ。入管法改正案を成立見送りにまでもっていった一連の動きは、今までにない快挙と言っても大げさではない出来事だった。
入管の問題点はなにも変わっていない
しかし問題はまだ山積みだ。入管は何も変わっていない。残念ながら、改善しようという動きすら感じない。
2021年の1年間だけでも、東京入管では最低でも4名の被収容者が職員による集団暴力を受けている。
少しでも職員の言うことに従わなければすぐに集団で制圧されて懲罰房に閉じ込められてしまうのだ。頭を掴まれ、床に顔をたたきつけられ、鼻が曲がってしまい呼吸が苦しいと訴えている人もいた。夜中に急に部屋を移動しろと言われ、「朝になったら行く」と答えたら、腹を殴られたという証言もある。
スリランカ人のジャヤンタさんは、施設内で2回もコロナに感染している。2月にはコロナの集団感染が収容者の間で広まり105人近くいた男性のうち58人はコロナに感染した。その後、ある程度は症状が回復しても、味覚・嗅覚は未だ戻らないという声は多い。
ジャヤンタさんは2度目のコロナ感染により、かなり体調を悪くしてしまった。味覚を失い、食欲もなくなってしまったが、病人だからといって給食は特別には用意してもらえない。体がどんどん動かなくなり、やせ細り、食べても吐くようになってしまった。そんな時、急きょ、職員に部屋移動を命じられた。「歩けないから」と拒否したところ複数の職員に体を掴まれ、引きずるように別の部屋に移動させられ、畳の上に乱暴に放り出されたという。
「本当に死んでしまうかと思った……」とジャヤンタさんは涙ながらに語っていたが、「ウィシュマさんのように、死ぬのは自分だったのかもしれない」と言ったのはジャヤンタさんだけではない。収容経験をもつ当事者のほとんどが同じような言葉を語っていた。
ジャヤンタさんの件はSNSでも話題になり、多くの人に注目されるようになっていった。入管に抗議のファックスや、抗議デモ、申し入れなどを色々な人が、様々な形で行動を起こした結果、ジャヤンタさんは11月に無事、解放された。市民の声は必ずしも無駄ではない。
しかし残念なことに、その仮放免期間は2週間と非常に短いものだった。
11月25日、仮放免手続きのため入管に出向いたところ、ジャヤンタさんは再び収容されてしまったのである。
理由は、「健康状態が危険だったので解放したが体調が戻ったようなので再収容した」とのことだった。一度、解放した人間をなぜ、わざわざまた収容する必要があるのか、納得のいく理由とは思えない。保証金も支払っているし、保証人もいる。
ジャヤンタさんは動揺を隠せず、混乱した様子。筆者と電話した際には、「なぜ、こんな酷いことをするのか? 死んでしまう」と、泣き続けていた。
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