日本人はなぜ権力者の詭弁を見抜けず 何度もだまされてしまうのか

文=山崎雅弘
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●山崎雅弘の「詭弁ハンター」(最終回)

 今まで12回にわたって、現在の日本社会に氾濫する「詭弁」の数々について、その構造と問題点を考えてきました。

 これらの詭弁は、特定の条件下で、特定の意図を持って、大抵は「立場が強い者」が自己利益のために用いるものですが、それぞれのパターンを認識すれば、別の条件下でそれが使われた場合でも、見抜くのは容易になるはずです。

 第4回で指摘したように、『広辞苑』は「詭弁」の意味について、「命題や推理に関する論理的操作によって生ずる、一見もっともらしい推論(ないしはその結論)で、何らかの誤謬を含むと疑われるもの。相手をあざむいたり、困らせる議論の中で使われる」と説明しています(第七版、p.731)。

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日本人はなぜ権力者の詭弁を見抜けず 何度もだまされてしまうのかの画像2 ウェジー 2021.03.04

 したがって、一人一人の市民が詭弁を見抜く「目」を持つことが、社会の良識や健全さを保つための必要条件になります。もし市民が詭弁を見抜く「目」を持たなければ、政治権力者やその手下、民間の権力者(企業の社長や幹部など)が自己利益のために詭弁を使うことが常態化し、社会はどんどん不健全で反良識的な方向へと傾いていきます。

 けれども、日本の社会を見渡してみると、市民が詭弁を見抜く「目」という面で、とても危うい状態にあるように思います。過去の連載で論証してきた計12の詭弁について、いまだ社会全体で「それは詭弁である」との認識が共有されておらず、何度でも同じタイプの詭弁に人々がだまされ、思考を誘導されています。

 人の思考を狂わせる論理的操作としての詭弁は、もちろん日本以外にも存在しており、古今東西の国や社会で、人心誘導に利用されてきました。なので、詭弁をどう見抜き、いかにして克服するかは世界の普遍的な問題ですが、連載最終回となる今回は、日本国内の教育方針や風潮と照らしながら、なぜ我々日本人は詭弁のトリックをなかなか見抜けず、何度もだまされてしまうのかという理由について、少し考察してみます。

他国と比べて「批判的思考」を学校で教わらない日本人

 2019年6月19日、経済協力開発機構(OECD)は、国際教員指導環境調査(TALIS: Teaching and Learning International Survey)の2018年版を公表しました。

 これは、OECD加盟各国の学校と教員の環境、学校での指導状況、教員が持つ意識などに関する調査結果をまとめ、多角的に分析した内容の報告書で、さまざまな分野ごとの国際比較が可能なデータが数多く含まれていました。日本では、2018年2月から3月にかけて、全国の中学校196校(校長196人、教員3605人)と小学校197校(校長197人、教員3361人)で調査がなされていました。

 文部科学省の公式サイトでは、この“TALIS 2018”の報告内容の要約を、PDFで公開していますが、その中に興味深い調査結果が含まれていました。

 まず、学校で「児童生徒の批判的思考を促す」教育をしているかという問いについて、「非常に良く」できていると「かなり」できている、「いくらか」できている、「全く」できていないの四択のうちの最初の二つと答えた教員の割合は、参加48か国の平均では82.2%でしたが、日本の中学校では24.5%、小学校では22.8%という低さでした。

 また、生徒に「批判的に考える必要がある課題を与える」という問いへの肯定的な回答は、参加48か国の平均は61.0%でしたが、日本の中学校で12.6%、小学校では11.6%でした。どちらの問いでも、日本は参加48か国中、47位に大きく離された最下位の数字でした。

 前者の「児童生徒の批判的思考を促す」教育については、最も高いポルトガルが97.9%で、アメリカは82.3%、上海(中国)は85.2%、韓国は76.5%、台湾が70.4%でした。これらの国々と比較すると、日本の中学校の24.5%、小学校の22.8%が、いかに低い数字であるかがわかります。

 「批判的思考(クリティカル・シンキング)」とは、物事を鵜呑みにせず、与えられた説明や解釈が妥当であるか否か、自分の頭を使ってさまざまな角度から検証する思考能力を指す言葉です。日本では「批判」という言葉は「否定的」と混同して使われることも多いですが、批判的思考は必ずしも対象を否定的に捉える思考ではなく、論理的に問題点の洗い出しを行うことで、対象の完成度を高めるという効果が得られる場合もあります。

 誰かが何らかの意図を持って、確信犯で詭弁を展開した時、受け手の側に批判的思考の能力があれば、それが詭弁であることに気づきやすくなります。逆に、批判的思考の能力が弱い人や、最初から欠けている人は、それが詭弁であると気づきにくく、そのまま鵜呑みにしてだまされたり、特定の方向に思考を誘導される可能性も高まります。

 日本の小学校や中学校では、生徒の批判的思考力を伸ばす教育を十分にしておらず、そのような教育の重要度や必要性についても、社会で認識されているとは言えません。こうした状況は、詭弁を使う者にとっては理想的な環境で、大声で断定的に詭弁をまくし立てれば、多くの人がその欺瞞的な意図に気づかないまま操られることになります。

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