親も甘やかすことを「がまん」して、子どもに「がまん」を教えること

文=うさぎママ
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GettyImagesより

前回までのあらすじ

 特別養子縁組によって一児の母になったうさぎママ。娘のアンちゃんが小さな頃から少しずつ養子であるという真実告知を進めていき、ささいな不安でもなんでも気軽に話せる関係を作っていきました。一方、教育方針で大事にしたのは「がまん」でした。

第3章 アンの子ども時代:小学生のアン

 まわりの人と自分の置かれている環境のちがいを少しだけわかるようになってきたアンに、こんなことを聞かれたこともあります。

「ねぇ、お母さん。うちって貧乏? お金持ち?」

 同じくらいの広さの敷地に、似たり寄ったりの家が建つ住宅地。周辺の農家はゆったりとした敷地に、古めかしい瓦屋根。アパートやマンションのない環境なのです。貧富の差を意識しないまま育ったアンも、テレビでいろいろなことを見聞きするうちに、ふと疑問を感じたようです。

私「アンはどっちだと思うの?」
娘「お母さんはアンにがまんしなさいって言うけど、お父さんのビールはいっぱい買うよ  ね〜」
私(いえいえ、発泡酒の安いときに箱買いしているだけ)
娘「おうちは新しいけど、お金持ちみたいなソファや虎の敷物がないし〜。お母さんはア  ンにあんまりお洋服を買ってくれないし〜」
私「必要なものは買っていますよ。本当に必要ならね」
娘「大好きないちごも、がまん、がまんってあんまり買ってくれないし」
私「いくら好きでも毎日は買えません」
娘「お母さんもあんまり服を買わないよね」
私「ん〜あんまり必要ないしね、今のとこ」

 そこでアンにはお金持ちと貧乏は、なかなか線引きが難しいことを説明しました。考え方でもちがってくるしね。どこからがお金持ちなんだろう。うちは決してお金持ちではないと話しました。そして、お金持ちだからって幸せとは限らないってことも。

 アンは「いつもお母さんは、がまんって言うよね」と不満そうでしたが、不自由はさせたくないけど、贅沢にわがままに育ってほしくはなかったのです。

 私は高校卒業後に自立して、お金のない生活が普通でした。ブランドやグルメなんてなかったし、ケータイ代も不要で、当時は働いていれば普通に暮らせて、結婚資金も貯めやすい時代だったと思います。実家にたよるなんて思いつきもせず、ときには給料日直前の財布の中身が200円だったことも。それでも自由で気楽な毎日でした。

 結婚したときには、夫が当時もてはやされていた「高学歴・高収入・高身長」の三高の条件を満たしていたので、姑から「玉の輿にのった嫁」と言われました。残念ながら高収入は、その1年後の転職であえなく消えましたが、まわりの心配がおかしいと思うくらいで私は平気でした。だって夫は夫で何も変わらないからです。

 もちろん、長い結婚生活でつらいことが何もなかったとは言いません。また、経済的につらい時期もありましたが、そもそも結婚を決めた理由にお金が関係していなかったので、お金に関する悲しい諍いがなかったことは幸せだったと思います。アンを贅沢にわがままに育てたくなかったのは、お金に関係なくパートナーを選べるようにという願いもありました。

 アンを家に迎えた頃には、周囲の親よりも少し高年齢だったから、少し高収入でした。待ち焦がれた我が子で、しかもたった1人なこともあって、少なくともアンが小さいうちは、ほしがるものを全て与え続けるなんて簡単なことでした。ここのところが、私と夫の話し合いで熱い論点になったものです。

私「一生、親がほしいものを与え続けることはできないし、お金で買えるものならいいけど、能力や恋人みたいにお金では手に入らないものができたときに困るよね。がまんを教えられなかった子はかわいそうだよ」
夫「あんまりアンを甘やしすぎないよう、お互いに自重しよう」
私「甘やかすのをがまんする親のほうがつらかったりしてね」

 こうして、おもちゃや洋服などの物に関しても、テレビを見る時間などでも、アンはがまんを覚えながら育ちました。育ったはずですが……、育てたはずなんですけど……。

 確かにお金で恋人を選ばないし、なんでも買うわけじゃないけど、買い物が好きだし、もしかして少し浪費家かも? この記事を読んでくださっている方の「そのしつけ、有効?」という声が聞こえてきそうです。子どもって、親の思惑通りには育ってくれないものですね。

 同じ時期、アンがこんなことを言いました。

「うちでいちばん働いているのはお母さん。ごはんもつくってくれるし、赤ちゃんたちのお世話もしてるし(ベビーシッター)、アンのお教室の送り迎えもお母さんだし。お父さんはテレビばっかり見て、寝て、なーんにもしてないね」

 もちろん、夫はちゃんと仕事をしていると説明しました。外で仕事ばかりしていると働いている姿を見せられないですからね。でも、それにしても子どもはよく見ています。夫は本当に、うちでは何もしない人。できると冷蔵庫からビールを出してくるだけ。

 「パパは何もしていない」なんて言われても苦笑するだけの大甘な夫でしたが、さすがに甘いだけではいかんと思い始めたようでした。そして、アンが小学校高学年になった頃、夫がめずらしく大爆発。虫の居所が悪かったのか、ずっとためていたのか、帰宅したアンの手の洗い方が適当すぎることに激怒しました。しまいには「母親のしつけが甘すぎる」と。こちらが譲歩しても、くだくだと繰り返すのでうんざり。

 ふと見ると、アンは廊下のすみで怯えて立ちつくしていました。これはよくないので、私は反撃することに。

私「アンのことをかわいいっていうのは本気?」
夫「あ、ああ本気や!」
私「じゃあ今のアンを見てごらん。あんなに怖がって。かわいそうに。手の洗い方くらいで、そんなに怒るのはひどいんじゃないの? 大人ならもっと理性的に注意すべきじゃないの?」

 アンの表情を見て、明らかにしゅんと落ち込んだ夫の姿は噴飯物でしたが、アンを抱き寄せて謝っていました。

 たまにそんなことがあっても、アンはお父さんが大好き。あるときアンの元の本籍が夫と同じ山間の小さな町にあったことを伝え、「もしかすると、お父さんとアンのご先祖様はつながっているかも」と私が言うと、アンは大喜び! 夫が帰宅するなり、「ねぇ! 大ニュース! お父さんとアンは親戚かもしれないって」と報告していました。夫が「お父さんは前から知ってたよ」と言うと、「な〜んだ」と言い、3人で大笑い。

 これは特別養子縁組をしたときに書類を確認して気づいたことで、うちの県では引越しをしても本籍を移すことは少なく、夫も先祖の住んでいた町が本籍地でした。この事実は、私たち以上にアンにとって大きな意味のあるプレゼントだと思いました。

 ほかにもアンの産みの母の名前が私の妹と同じだったり、アンの旧姓が私の高校以来の親友と同じだったりして、今でも「アンはうちの娘になるために生まれてくれたんだ」と信じています。

次回更新は12月20日(月)です。

特別養子縁組について

特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。

厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html

※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。

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