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前回までのあらすじ
特別養子縁組によって母になった、うさぎママ。娘のアンちゃんが小さな頃から養子であることを伝える「真実告知」を進め、信頼関係を築いていきました。唯一の頭痛の種だった進学の心配も、中高一貫校にめでたく合格して解消したのですが……。
第3章 アンの子ども時代:中学生のアン
友達と離れて、私立中学へ入学することに不安を感じていたアン。入学式の日、「知らない子ばっかり……」とつぶやいたきり黙り込んだアン。
私「アンだけじゃないよ。ほかの子もみんな初めて会ったんだよ。みんなちがう小学校から集まってるんだもん。だんだん友達になれるよ」
娘「だれもお友だちになりたいような子、いなかったもん」
それ以上は言う言葉もなくて。まだ冷たい風が吹く田園風景の中、お祝いのためケーキを買って帰宅したのでした。
とても心配しましたが、そんなのは束の間。マイペースなお気楽キャラは健在で、6月頃には元気いっぱいになりました。参観日に先生方から「今年の中1は元気すぎる」と言われたほどです。同性ばかりというのもあったのか、かなりやんちゃになって歯どめもきかず、清楚な制服のスカートを超ミニにまくり上げて、セーラー服の袖口はとめないでビラビラさせて。「きちんととめるなんて、死ぬほどダサい」と言っていました。
もちろん、先生には注意されっぱなし。でも、一緒にダッシュで逃げまくる友だちができて、楽しくてしょうがないアン。いつも一緒に問題を起こすので、先生方からは「あの4人組」と呼ばれる仲間ができました。うちにもよく遊びに来ていたし、お泊りしたことも何度もありました。本当にいい子ばかりでしたが、中二病にかかってからは大変。問題を起こしては、親が学校に呼び出される日々が高校まで続きました。
そう、魔の中二病、つまり反抗期がアンにも訪れたんです。朝の食卓で何気なく話しかけたら、ものすごい目つきで「え〜〜」と返事をされて……。
「マー、マー」とハイハイで後追いをした赤ちゃんのアン。「ママが世界でいちばんかわいい」と言ってくれた幼稚園児のアン。「友だち100人できるんだよね!」と信じていた小学校入学前のアン。そして心細さに無口になった真新しいセーラー服姿のアン。「私のかわいいアンは、どこへ行ったの〜?」というのが、私の本音でした。
でもね、そう思春期・反抗期の子どもとがっぷり四つに組む。これですよ。この醍醐味。いや、なかなか貴重な体験でした。この先どうなるのかとスリルも満点。何より「自分にこんな力があったなんて」とびっくりするほどの限界にまで挑んだりして、これまでとはちがった意味での「親の強さを再発見」の日々でした。
とはいえ、当時は気持ちの余裕がなくて、母の権威でねじ伏せたことも。アンの不安定な気持ちが影響したのか、私までイライラすることもありました。
ある日、とても険悪な低気圧母に変貌した私。言葉にしても伝わらないもどかしさ。言葉にすると、なおのことイライラするから話もしたくない。そこで、無言の食事のあと、テレビを見てヘラヘラ笑っているアンを尻目に、台所に下げた食器をシンクへ乱暴にガシャン! 姑息にも割れない程度に。だって後片付けをするのは私だから。次にリビングのドアを力任せにバタン! お風呂にお湯を張ってリビングに戻ると、いつの間にかアンは2階の自室にそっと移っていました。
言葉にならない私の怒りの嵐を、じっと息をひそめてやり過ごすアン。私はずるかったんです。夫が留守だったから、こんな暴挙に出たのだと思います。夫には気遣いをするのに、子どもであるアンには遠慮なし。子どもの権利という言葉、当時の私の頭からはふっとんでいました。でも、すっきりするかと思いきや、後味の悪さが残っただけ。いくら反抗されても、アンをかわいく思っていることは間ちがいないのに。自分の器の小ささを恥ずかしく思いました。
少し経ってからのことです。不機嫌なアンがドアをバタン! と音高く閉めたのにイラついて思わず注意すると「ママだって同じことやってるじゃん!」と。ひとこともありませんよね。そのあと、アンといろいろおしゃべりしました。
私「お母さんもね、あのときはすごく腹が立って、つい、ね」
娘「それはわかってたよ。でも怖かった」
私「ごめんね。バタン! ってドアを閉められるのは気持ちのいいことじゃないね。これ からはケンカしてもドアは静かに閉めるようにしよう」
娘「うん、そうしよう。なんかお腹すいた。お母さんのホットケーキ食べたい」
こうしてのんびりおやつ&おしゃべりタイムに突入。いつものことです。
娘「お父さんがいなくてよかったね、お母さん。こういうの嫌いだもん。怒っちゃったか もね。そうしたらわけのわからないことを言い出すしね」
私「わけのわからないことを言い出したら、おさまらないもんね」
娘「ねぇ、お母さん、なんでお父さんと結婚したの?』
私「前にも言ったじゃない。そのときは王子様に見えたんだってば」
娘「あはは、ちっとも王子様じゃないよ!」
私「ちょっと待って! 結婚式の写真をもう1回見直して!」
こんなふうに母娘で楽しいおしゃべりをしたり、一緒に映画をみたり、里帰りしたり。どちらかというと、仲のいいほうだったと記憶しています。でも、その記憶が曲者でね。当てにならないのね。本当はどうだったのかな。まあ、晴れたり曇ったり、あるいは台風って毎日だったんでしょうね。
次回更新は1月3日(月)です。
特別養子縁組について
特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。
厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。