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特別養子縁組によって母になった、うさぎママ。娘のアンちゃんが小さなうちから養子であることを伝える「真実告知」をしながら信頼関係を築いてきました。頭痛の種だった進学の心配も、中高一貫校に合格して解消したのですが、魔の反抗期がやってきて……。
第3章 アンの子ども時代:中学生のアン
娘・アンの成長の証として、我が家を襲った反抗期の大波。どちらかというと、よそさまよりは大きめの波をかぶった気がします。もともと私は、娘が養子であることで人並み以上に苦しい思春期を送るのではないか、という危惧を持っていました。が、「そんなことは関係なかったけど」と、後のアンは完全否定。養子あることと思春期とは関係なく、どうやら普通の困った時期だったようです。
私も「養子だから世間の目が気になって厳しくできない」などとは露とも思わず、必要に応じて派手な親子ケンカをしていました。実際、養子だから気を遣うなんて余裕は、現場にはありません。もう、まともに正面からがっつり受けて立つしかないですから。
それまでの十数年の親子の歴史だってありますしね。「出生の秘密に苦しんで……」なんて心の動きは、うちの子にはないと思っていました。まあ、そもそも何も秘密にしていないし、何でもおおっぴらに質問してくるし、答えるし。
娘との関係はそんなふうでしたが、ドキリとさせられたこともありました。アンが学校で反抗的な態度をとること、学校を休みがちなことには、毎回飽きもせずにお説教していた私。「優等生じゃなくてもいいけど、卒業を目指そうよ」と。さらに、ときどき「命をかけて産んでくれた人から託された大切なアンに、自分を粗末にするような生き方をさせるわけにはいかない。その人が知ったときに『よかった』と喜んでくれるような生き方をしてほしい」とも言いました。
いつも「もう! わかってるよっ」とアンが叫んで終わる説教タイムでしたが、この日が限界だったのか、まさかの爆弾発言が返ってきました。
「その人のことはもう言わんといて! 世界でいちばん憎んでる人だから!」
「ええ、そうだったの〜? ごめん、ちっとも気づかなかった!」
私にしてみれば、よかれと思っての言葉だったのですが、娘を傷つけていたことがわかりました。反抗期でさえ明るさをチラチラと見せてくれていたアンに、私は安心しすぎていたのです。娘には娘なりの「産みの母への思い」があり、それを掘り下げていたことに気づき、一時休戦して久しぶりに母娘の会話をしました。
娘「小学校のときには深く考えなかったけど、悩むことは悩んだよ。ママの考えもよくわかるし、その人だってつらかったのもわかるけど、何の罪もない我が子を手放したことは理屈抜きで許せないよ」
私「うんうん。そうだね。そう感じても仕方がないよね」
娘「その気持ちは自分でもどうしようもないのに、ママはすぐその人のためにいい子になれって言うんだもん。納得がいかないよ」
私「いや、それとはちょっと違うんだけどね。う〜ん、うまく言えないんだよね」
それからもアンへのお説教は繰り返した私ですが、娘の気持ちを尊重して、産みの母の話を持ちだすのはやめました。
アンがいつかその人への憎しみを忘れるか、風化させるか、心の中の座りのいいところに納めるか、捨てさるか。それはもう、養子であるという真実告知を初めてした日から、私の手を離れて、娘に委ねられています。どう乗り越えるのか、少しでも娘にとって軽やかな受け止め方に変化していけばいいなと心から思ったものです。
次回更新は1月10日(月)です。
【特別養子縁組について】
特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。
厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。