軋轢のあった舅との同居を受け入れられた理由は、娘がいたから

文=うさぎママ
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GettyImagesより

 特別養子縁組によって母になった著者。娘のアンちゃんが小さなうちから養子であることを伝える「真実告知」をしながら信頼関係を築いてきました。ところが、実子であれ、養子であれ変わらぬ「魔の反抗期」がやってきて、さらに舅との同居も始まり大変なことに!

第3章 アンの子ども時代:中学生のアン

 アンの反抗期真っただ中の時期に、我が家では生活が一変するようなことが続きました。始まりは、夫が会社を再び辞めて独立したこと。もともと一匹狼の夫。娘のためにと会社勤めをしてくれていましたが、やはり性に合わなかったようです。アンは物心ついたときから会社員の父親しか知りません。だから夫が会社を辞めたときは、とても不安がっていました。

娘「お父さんがプータローだなんて……。お母さんは心配じゃないの?」
私「プータローじゃないし、フリーランスは前に体験済みだよ。大丈夫だって!」
娘「お家を売って、どこかへ行ったりしない?」
私「家のローンはとっくに終わってるし、心配ないからね」

 こんなふうにアンに説明したものです。そして独立した夫も、これまで以上にがんばって働き、なんとか1年が過ぎた頃に次の波が……。

 なんと突然の姑の死と同時に、舅との同居がスタート。さらにその1年後には、なんと夫の単身赴任がスタート。宮仕えでなくても、仕事というのは厳しいものです。断ってしまうと収入が絶たれるわけだしね。このあとも次々と遠い町での仕事が目白押し。結局、娘が短大を卒業するまで、夫の単身赴任は続きました。

 舅との同居は、降ってわいたような話でした。両足骨折の大けがをしてほぼ1年間入院していた舅が退院した直後に姑が急死。そのままひとりにしておくわけにはいかない状況になりました。義姉たちにはそれぞれ事情があり、長男扱いされていなかった夫が最有力同居候補者として急浮上。夫以上に親族の数に入っていなかったはずの私は戸惑いましたが、夫も私に自分の父親の世話をしてほしいとは言い出せずに煩悶していました。もうね、わかりやすい人なので、考えていることが丸見えでした。

 子どもを産めなかった私をかばい、特別養子縁組もすんなりと受け入れてくれたやさしい夫。何も言い出せない夫に、舅との同居を申し出たのは私のほうでした。そして間もなく家に舅を迎える急展開となったんです。

 アンにとっては、多くても年に数回しか会わず、ほとんど言葉を交わすこともなかったおじいちゃん。夫ではなく私からアンに「この家におじいちゃんが来ることが決まったから」と伝えたのは、どんな反応をするかが心配だったから。娘の不用意な発言によって傷つく夫も、そんなことをして後悔するアンも見たくなかったのです。

 案の定、アンは「どうして?」と半泣きで聞いてきました。「あたしに相談しないで決めるなんてひどい。あたしは家族じゃないの?」と。でも、ここは大人の威厳を見せ、きっぱりと言い渡しました。

「アンに相談して『じゃあ、やめとこうか』という話ではないし、急に決まったから。私もすごく驚いているの。これまでのアンの生活をなるべく変えないということは、話し合って決めているから。おじいちゃんも大切だけど、だれよりもアンがいちばん大切だから」

 アンにしてみれば、ほとんど知らないよその男の人が突然同居するという、とんでもない事態だったようです。その感覚はわからないでもないので、かわいそうにも思いました。また、アンをかわいがってきた私の母もひとり暮らしになっていましたから、「一緒に住むなら、おばあちゃんがいいのに」と言うのもわかるし、これまでの経緯から「おじいちゃんには、おばちゃんたちがいるじゃない」との鋭い意見にも納得。

 けれども、夫がアンのことをできるだけ優先したいと思っていること、私は家族に遠慮してる夫を放っておけないと思っていることを話して、なんとか説得しました。娘の反抗期は激しいものでしたが、基本的にはよくしゃべる子だったので、このときもちゃんと向き合ってお互いの考えを話せたことは幸いでした。

 同居では、舅とアンとの関係が心配でしたが、暮らしてみると意外にもすんなりとなじみました。舅の部屋はリビングの隣の和室で、アンにはあまり関わらずマイペース。

舅「アンちゃんは、これから学校かね。休みかね」
私「ちょっと送ってきますね〜」
舅「はいはい、わしは横になっておるからね」

 アンが学校に遅刻するときも、こんなふうにお説教もしない人でした。1か月後だったでしょうか、アンがのほほんとこう言いました。

「おばあちゃんだと、服装とかについていろいろ言われたやろうね。おじいちゃんでよかったかも〜。あたしのこと、なんにも見てないもんね」

 結果的には、舅との同居は何かと制約が増えたとはいえ、アンにとってもいい面があったと思います。老いからくる衰えや、その舅を介助する私の様子などを目のあたりにして、色々と考えることも多かったようです。やはり、一緒に暮らしてみないとわからないこともありますからね。

 そしてアンを育てていなかったら、いろいろあった舅との同居を受け入れる余裕はなかっただろうと思います。子どもからもらうパワーって、信じられないほど大きいと思います。

次回更新は1月17日(月)です。

【特別養子縁組について】

特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。

厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html

※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。

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