松の葉に「コロナ予防」「がん治癒」など過剰な健康効果を期待する人たち

文=山田ノジル
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 父が癌になったが専業主婦だった氏にはお金がなく、「自分にできることを」と植物療法やホメオパシーを学んだ。はじめはそれらを拒否していた父も、標準治療や新薬が効かなかったことから、次第にそれらを受け入れるようになる(あー、藁をつかんじゃった)。そして波動測定で選んだ体にいいものを月10万円分摂取した甲斐なく、お亡くなりに。父は間に合わなかったが、免疫は上げることができる、体は奇跡を起こすことができると知った……とありました。

 その後、氏の身には家庭内でさらなる試練がつづき、落ち込むものの野草に無償の愛とエネルギーを感じて励まされ、さらに「ここに全部そろっていますよ」というメッセージを受け取ったそうです。

 そうしてはじまった松をはじめとする野草活。氏曰く、野草で奇跡を起こすコツは、健康効果を期待して口にするのではダメとのことで、「波動と言われる周波数といかに共鳴するか」「植物には人を癒す力があると思って使うこと」「感謝の気持ちをもって使うと奇跡につながる」これらが大事。ここを読んでいて、以前座談会で聞いた「自然派療法の権威の会で健康相談をしたら『感謝が足りないから病気が治らない!』と叱られた」なるエピソードを思い出しましたわ~。

 ときに物議を醸す民間療法・ホメオパシーの考えがベースにあると思われる同書は、こうした精神論だけでなく相当に大胆な提案もぶち上げています。

・野草を選ぶとき、毒草を選んだとしても、その人に必要だったということ。「これは毒だ」と思うから、毒として働く
・毒草も味噌や発酵物に少々使う程度なら、菌が醸してくれるから大丈夫

 マジ、大丈夫なんか? ボトックス注射や漢方など、「毒」を使う療法は存在します。しかしそれは専門家によって安全に摂取できるよう調合されたもの。氏が嗜むホメオパシーも、毒性のある物質を原料にする場合もありますが、飲用される「レメディ(砂糖玉)」は「物質のエネルギー、パターン」という概念が残っているという設定なので、実際に毒物を口にするわけではありません。しかし同書はそのものを食べてもエネルギーが髙ければ大丈夫!とな。しかも、200%素人の自己責任。不安しかない。そもそもの「奇跡」ってのも、よくわからないし。

 そして、この手の健康食本ではど定番となっている体験談も、もちろん掲載。そこには次のようなことが語られています。

・血圧が正常範囲になって薬を手放せた
・睡眠薬を飲まなくても眠れるようになった
・犬や猫の皮膚病にもいい
・シミが薄くなった人もいる、アレルギーの人もたくさん改善されている
・ファスティングをしたら(これは松関係なさそう)そばアレルギーも反応ゼロになって食べられるようになった!
・体質が改善され、脱ステロイドした
・同書の編集の子どもが、松ジュースで症状緩和

 妥当に考えて、松ジュースを取り入れるほどの健康意識やアンテナの広さが、症状改善につながったという感じでしょうか? しかし手作り発酵食品などを入り口に、「松、飲んでみたい!」とカジュアルに興味を持ったことから、こうしたディープかつ危険な情報に触れてしまう人たちがいる可能性は非常に高く、野良発酵の世界同様のやばみを感じさせます。

 また、松を妄信するフードファディズムが発生するのは言わずもがな。以前、野草クラスタの知人から「一部がちょっとアレだ」とは聞いていましたが、な~るほどです。Facebookの皆様はざっと見た感じ、節度と距離感を持って楽しんでいる様子がうかがえましたが、こうしたディープな発信を真に受けて、健康被害が発生しないことを祈るばかりです。

 はじめて飲む瞬間は「松って飲めるの!?」という驚きと、意外なおいしさでテンションが上がりそう。「飲んで大丈夫なんか」というちょっとしたドキドキもスパイスとなり、「この飲み物に神聖なパワーがある」と言われたら、何となく納得してしまいそうな実感もありました。また、「効くまで使え」と謳われたEM菌や、症状が悪化しても「めんげん」としてありがたく向き合おうという冷えとり健康法と同様、手探りで未知の世界を探索する楽しみもありそうです。

 しかしそれはあくまで、余裕をもって取り組める健康状態あってのこと。奇跡を信じたいほどのせっぱつまった状況では、まず踏み入ってはならない沼でしょう。それを口にすると現世に戻れなくなるという黄泉の食物・ヨモツヘグイのように、「食べたら終わり」というほどではありませんが、沼の入り口が普通よりは圧倒的に多い野草だと思って口にしたほうがよさそうですね。あと、ペットや子どもを実験台にするのもダメ絶対。

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