早く大人になることを求められる少女と孤立した青年~『声もなく』

文=北村紗衣
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 1月21日から韓国映画『声もなく』が日本で公開されます。この作品は女性監督であるホン・ウィジョンの長編デビュー作ですが、よく知られた俳優であるユ・アインが主演で、韓国では公開時に興行収入1位を記録しています。各種映画賞などでも高い評価を得ている作品です。

社会の分断を描いた犯罪映画

 有名俳優が出演し、興行成績も良好だったこの映画は、一見したところ、けっこう地味な犯罪ドラマです。主人公のテイン(ユ・アイン)は、耳は聞こえるのですが話すことができません。相棒で足が不自由なチャンボク(ユ・ジェミョン)と2人で卵売りの仕事をするかたわら、犯罪組織の下請けとして死体の処理をしています。

 テインとチャンボクは強引な雇い主の命令で、いやいやながら誘拐された11歳の女の子チョヒ(ムン・スンア)の面倒を見ることになります。どうも中間管理職的な位置づけだったらしい雇い主が犯罪組織の意向で消されてしまい、2人は預かったチョヒをいったいどうしたらいいのか全くわからなくなってしまいます。そうこうするうちに、テインの自宅に閉じ込められていたチョヒはテインの妹ムンジュ(イ・カユン)と仲良くなり、テインも含めてニセのきょうだいのような雰囲気で暮らすようになります。

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 誘拐された子どもが預けられた家で全く違う文化に触れて……という展開は、最近日本でリバイバル上映されたチェン・ユーシュン監督の『熱帯魚』(1995)をはじめとするさまざまな先行作があります。悪くするとストックホルム症候群を美化してしまいそうな展開ではありますが、子どもの視点で社会の分断をうまく描けるプロットとしてよく使われています。

 韓国の格差社会をブラックユーモアをまじえて描いているという点では、アカデミー賞を受賞して世界を席巻したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(2019)を思わせるところもあるでしょう。犯罪映画ではあるのですが全体的にオフビートなユーモアが満ちており、『赤ちゃん泥棒』(1987)や『ファーゴ』(1996)などを撮ったジョエルとイーサンのコーエン兄弟を思わせるところもあります。全体的に京畿道でのロケ撮影を生かして地方の開けた空間を明るく撮っており、のどかさと孤独が同居する田舎の暮らしを丁寧にとらえています。

障害、貧困、性差別

 テインはものすごく隔絶されたキャラクターです。映画に登場する口がきけないキャラクターというと、最近は『クワイエット・プレイス』(2018)のリーガン(ミリセント・シモンズ)や『エターナルズ』(2021)のマッカリ(ローレン・リドロフ)のように実際に手話を第一言語とする聴覚障害者の俳優が演じるのが主流になってきており、手話のセリフがふんだんに盛り込まれることも多くあります。

 一方、この映画に出てくるテインは手話を使いません。テインが貧困などの理由で適切な教育を受けられずに手話ができないまま大人になったのか、それとも多少はできるけれども周りの人々が手話を理解しないので使っていないだけなのかはわかりません(韓国では2015年に手話言語法という法律が作られており、テインの子どもの頃はともかく、現在では手話普及への取り組みが行われています)。そもそも本作ではなぜテインが話さないのかなどの理由も語られておらず、そういう人物だからというふうにあるがままにキャラクターが提示されています。

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 テインは話さなくても表情や動きで性格が非常によくわかるキャラクターではあるのですが、いろいろな点でタイトルどおり「声もなく」生きることを強いられていると言えます。少なくとも普段から手話で交流できるような知り合いはおらず、何かトラブルがあっても仕事の相棒であるチャンボク以外に助けを求められる相手がいません。犯罪組織から引き受けたくないような命令が降ってきても、立場が弱いので断ることすらできません。

 敬虔なキリスト教信仰を持っており、たまにちょっとウザいこともあるものの基本的に真面目なチャンボクはテインの友達と言える唯一の存在ですが、映画の途中でいなくなります。チャンボクが突然消えてしまったことにより、テインと社会との間のつながりはほとんど失われたと言ってよい状態になってしまいます。テインは貧困と障害に対する支援の不足ゆえに、ちょっと問題が起こるとほぼ詰んでしまうような暮らしを余儀なくさせられているのです。

 さらに大変なことに、テインには面倒を見なければならないまだ幼い妹ムンジュがいます。テインは全く助けがないのに保護者としての責任は果たさなければならないわけです。しかしながら、テインはあまりにも孤立していて、さらに犯罪にかかわっているせいで適切な支援を要請することもできないような立場にあるため、巻き込まれた緊急事態から自分の工夫でうまく抜け出したり、生活を建て直したりすることができません。犯罪組織の下請けで残酷なことには慣れているとは言え、テインはまるで純朴な子どもがそのまま大人になってしまったかのような青年で、流れにまかせてなんとか乗り切る以外の選択肢をとることができないのです。

 これに対してチョヒは幼いのに賢く、家政を切り盛りするという点についてははるかにテインより大人らしく振る舞います。チョヒは裕福な家庭の娘でおそらくはお金のかかる教育を受けていると思われるのですが、どうも家ではあまり可愛がられておらず、弟のほうが贔屓されているようです。チョヒの身代金がすぐに支払われないのも、どうやら親が弟さえいれば良いと思っているからで、賢いチョヒはこれを理解しているようです。これは、男の子のほうが大事にされていて、子どもの健康や命にかかわる場合ですら女の子が軽視されるという苛酷な性差別の存在を示唆する描写です。おそらくチョヒはそうした家庭でネグレクトから身を守るため、非常にしっかりしていて礼儀正しく、判断力のある子どもに育ったのでしょう。チョヒはテインと違って金銭的には恵まれた環境で育っていますが、ジェンダー差別が厳しい中で生きのびるために早く大人にならざるを得なかった少女です。

 チョヒがテインとムンジュと一緒にごはんを食べる場面では、こうしたチョヒの背景が垣間見えます。ムンジュはのびのび育った屈託のない子ですが、おそらく食事のマナーなどは全く習ったことがありません。そんなムンジュに対して、チョヒは兄であるテインがきちんと食卓につくのを待ち、お行儀良くごはんを食べるよう教えます。これは年齢に基づく秩序を重んじる韓国らしい描写でもあり、またおそらくは男女差別のある家庭で育ったチョヒが自宅で教えられたことを守っていることを示唆する描写でもある一方、孤立して弱い立場にあるテインにとってはおそらくほぼ初めて大人として扱われ、礼儀正しく敬意を示された機会でしょう。

敬意を払われる、ということ

 こうしてチョヒから大人として扱われ、疑似家族として短い期間ではあるものの楽しく暮らす経験ができたため、流されっぱなしだったテインの心境に変化が起こります。テインが最後に自分から主体的に行動を起こし、うまいやり方とは言えないかもしれませんが窮地から抜け出すための一歩を踏み出せるようになったのは、今まで知らなかった相手から尊敬をもって扱われることにより、自分の気持ちを大事にし、行動に責任を持つことを学べたからでしょう。この映画はなんとも言えないオープンな終わり方になっていますが、ある意味ではとてもひねった不思議な成長の物語と言えると思います。

 『声もなく』は、格差や障害者差別、性差別などの深刻なテーマをユーモアたっぷりに描いた作品です。ちょっと詰め込んだ展開などもなくはないのですが、それでも監督の長編第一作とは思えないくらいよく練られています。オフビートな犯罪映画が好きという方にはとてもおすすめできる内容だと思います。

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『声もなく』

2022年1月21(金)より、シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次公開

監督・脚本:ホン・ウィジョン/製作:キム・テワン/撮影:パク・ジョンフン/音楽: チャン・ヒョクジン&チャン・ヨンジン/編集: ハン・ミヨン
出演:ユ・アイン/ユ・ジェミョン/ムン・スンア
2020年/韓国/韓国語/99分/ビスタサイズ/原題:소리도없이 英題:Voice of Silence/G

配給:アット エンタテインメント
公式サイト:koemonaku.com

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