日本の教育民営化政策は、教育格差も社会の分断も加速させる可能性がある

文=畠山勝太
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GettyImagesより

 前回から引き続き、教育の民営化・私立学校の問題についてお話したいと思います。前回は女子教育と私立学校について取り上げましたが、今回は教育の民営化・私立学校の究極の問題といえる、障害を持った子供達・特殊な教育ニーズを持つ子供達についてお話したいと思います(以下では文字数の関係で障害児に焦点を絞って話を進めますが、似たような話は後者の子供達にも当てはまります)。

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日本の教育民営化政策は、教育格差も社会の分断も加速させる可能性があるの画像2 ウェジー 2022.01.04

 前回、私も自分なりの正解すらよく分かっていないトピックなので、読者の方も一緒に悩んでみて下さいと書きました。今回は前回以上によく分かっていないトピックなので、読者の皆さんも「そうか君は悩んでいるんだな」と思いながら一緒に考えていただけると幸いです。

インクルーシブ教育と合理的配慮

 日本でもよく聞かれるようになりましたが、英語圏では障害の「医療モデル」と「社会モデル」という考え方があります。ざっくりと説明すれば、前者は障害者の社会参加が阻害されるのは、障害者が持つ障害そのものによると考えています。一方、後者は障害者の社会参加が阻害されるのは、社会に存在する障害によると考えています。

 例えば、途上国で障害児が学校に行けない理由に、障害に対するスティグマが強く保護者が障害児を家から出したがらない、やや目が悪いのにメガネを入手できないので勉強が分からず辞めてしまった、といった理由があります。これらはそれぞれ、スティグマがあるメガネが無いといった社会的要因によって、学校に行けないという形の社会参加が阻害されているわけです。

 「医療モデル」で考える場合、教育に求められるのは、障害児が自身の障害を少しでも克服して社会参加が出来るようになることなので、特別支援学校/学級のような所で、特別な教育が施されることが主に想定されます。

 これに対して「社会モデル」で考える場合、教育に求められるのは、学校・教室内にある障害を取り除き、障害児が教育を受けられるようになることなので、普通学級の中で障害児も学ぶことが主に想定されます。ただ、この障害児も普通学級で学ぶ、というアイデアが生まれた時は障害の社会モデルの黎明期であったので、学校・教室内にある障害を取り除いてという部分がすっ飛ばされて、障害児が見世物のように扱われることがありました。

 この学校・教室内にある障害を取り除くというのを、合理的配慮を提供すると言い、それが無い状態で障害児が普通学級にいるのを統合教育、ある状態をインクルーシブ教育と呼んで区別します。

 「医療モデル」がよいのか、それとも「社会モデル」が良いのか、私にはまだ答えがでていません。完全にどちらかという事は無いはずですし、特に途上国を見ている私からすると、途上国では「医療モデル」よりも「社会モデル」で捉えた方が解決される問題が多くあるように感じられます。さらに、合理的配慮を行うためのコストが障害の種類・程度によって異なり、社会がその負担を担えない場合はその人の障害が克服できるようなアプローチが、担える場合は社会の障害を取り除くアプローチの方がよいこともある。つまり、国やそのときの状況によって、可変的に変わるのだろうと考えています。

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