反抗期を終わらせた血のつながらない祖母からの愛情たっぷりの手紙

文=うさぎママ
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GettyImagesより

 特別養子縁組によって母になった著者。娘のアンちゃんが小さなうちから養子であることを伝える「真実告知」をしながら信頼関係を築きました。ところが、魔の反抗期は高校になっても続き、補導されて停学になったりと大変です。そんな時におばあちゃんの手紙が。

第3章 アンの子ども時代:高校生のアン

 アンが停学処分となった頃のメイプル家には舅が同居していましたが、高齢のために入退院を繰り返していて、自宅にはいたりいなかったり。アンの学校近くの病院に骨折で入院していたときは、アンと病室で待ち合わせて帰ったこともありました。

 この頃の舅は、もうアンがいてもいなくてもまったく関係なく、ごはんの時間にごはんが用意されていたら大満足。反抗期の孫娘の髪の色が変わっても気付かず、特に何も余計なことは言わず、数え年で100歳まで長生きしてくれました。

 かたや私の実家では、孫たちに受けのよかったおじいちゃんが他界し、おばあちゃんが悠悠自適のひとり暮らしを楽しんでいました。世間体をとても気にするおばあちゃんからは、月1の里帰りのたびにアンにチェックが入ります。それでも「おばあちゃんの家に行こうか」と言うと小躍りし、日頃の反抗的な態度をかなぐり捨ててついてくるアン。

 初めて眉を細くしたとき、初めて髪をオキシドールで乱暴に脱色して痛ませてしまったとき、「そんなんで先生に叱られたりはせんのかね」と言われていました。でも、大好きなおばあちゃんに言われるなら平気みたいで、中二病がピークの頃でさえ、私に見せるきつい目つきを向けたことはなかったのです。

 ちなみにアンに甘いおばあちゃんによく言われたのが「付き合う友だちが悪いんじゃないかね」ってこと。この件については、アンが持論を直接伝えていて、私は妙に納得しました。「私にそういうところがあるから、似たような友だちが集まるんだよ。悪いところを友だちのせいにするのは絶対におかしいよ」と。

 もともと私は、親が子どもの友だちを選別するのは相当おかしなことだと思っていたので、介入したことはありません。そしてアンの友だちは派手な子ばかりでしたが、いい子ばかりでした。

 「かくさない」をモットーに始まった我が家の子育て。反抗期にはなおさら、アンの大好きなおばあちゃんに、アンのことをかくさないようにしました。おばあちゃんが育てた優等生の私たちに比べると(内面は屈折した危ない子だったけど)、アンはまるで宇宙人だったので、いつもアンの行動に目を白黒させていました。それでも里帰りのたびに、アンのすべてを知ったうえで「アンは素直な子だ。いい子に育った。かわいい。かわいい」と丸ごと受け入れてくれて、いわばアンの心の安全弁になってくれたのです。

 だからこそアンの停学のことも、なるべくショックを与えないように笑いながらですが、やはり報告しました。さすがに動揺するおばあちゃん。アンは自分でおばあちゃんをなだめていました。

祖母「学校をやめさせられたりせんのかね?」
娘「安心して。まだ停学は1回目だから。3回目で退学だって」
祖母「さ、3回も停学にならんといてや〜」
娘「アンはそんなに悪くなってないよ〜。大丈夫だよ、おばあちゃん」
私(アンの大丈夫はあてにならないよ。ご用心、ご用心)

 不思議なものですが、血のつながりはなくても、アンにとって私の二度目の母は大事なおばあちゃんで、いつでも心のよりどころでした。

 そんなおばあちゃんが一度だけ、アンに手紙をくれたことがあります。停学事件が起こる少し前に「学校を休みがちで……」と言う話をしたときのことでした。

(以下、おばあちゃんからの手紙の原文そのままです)

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 15日の夜はねむれなかった。どうしてかはアンちゃんのことが心配で。14日夕方、お母さんから明日の休みはこちらへ来るとの連絡。私も久しぶりだから心待ちにしていました。15日9時頃に電話有り、学校に行かないかんので(注:恒例の呼び出し)、そちらは行かれないやうになったと連絡あり、ガッカリざんねんと思いました。ひとりテレビを見ながら考へていたら、ふっと頭に浮かんで来たので、アンちゃんと会ったときに話をしてもよいと思ってもみたが、私は口ベタやから書いてみました。読んでみて下さい。

 貴女の赤ちゃんの時から、お父さんお母さん私達は良い子元気に育ったと思っていましたが、私も心の余裕ができたせいか孫たちの事が心配になりました。お母さんとアンちゃんとあった時の会話など聞いていると、昔と今はちがふけど、今のアンちゃんは高校生で無事に卒業してないと困るのはアンちゃんよ。それでお母さんも先生も一生懸命に言ったりすると思ふよ。又、友だちと遊んだりお話をしたり、今のたのしみもよいと思ふけど、先ず学校の規則、おかあさんとの約束はちゃんと守り、まじめに学校に行くことでせう。

 アンちゃんは根がやさしいし、人がよいから付き合いも大事、友だちも大事と思っているでせう。みんな大事よ。でも今はベンキョウがいちばん。

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 大事な部分には、しっかり赤線が引かれていました。

 アンに渡したら、自分の部屋に行き、しばらくこもっていました。そして、あとで「ワンワン泣いた。おばあちゃん大好き」と。この手紙は、今も母子手帳にはさんであります。

 振り返ってみると、この手紙をもらった頃から、アンは少しずつ落ち着いてきたような気がします。おばあちゃんのもとへ帰るたび、私とおばあちゃんがおしゃべりするのを聞きながら、居間のソファに横になって、いつの間にか爆睡するアン。本当に、心から安心できる場所のようです。今でもアンにとっては揺るぎない聖域で、私はちょっとうらやましくなることも。

 服装や髪型の乱れはともかく、停学まで……、子育て中のお母さんやお父さんの中には、どうしてもっとしつけをしなかったのかな」と思う人もいるかもしれません。「親ならもっとしっかりしろ」って言われそう。じつは私こそ、アンが小さな頃は、金髪の女の子や超ミニスカートの制服の子、学校をサボっている子などを見たときに「どうして親がもっと厳しくしないんだろう」と思っていました。でも、アンを育ててわかったんです。思春期を過ぎた子どもは親の言うことをまったく聞きません。

 何回、私が学校に呼び出されても「誰にも迷惑かけてないからいいじゃん」と言う娘。「ちょっと待った! 私が迷惑なんですけど」と答えたのですが、思春期の子どもからしたら、親は人の数にも入っていないようです。

 反抗期は一時的なものなんだ、きっとすぐ元に戻る、そう念じつつ過ごした日々。でも、自分で自分を持て余して、いちばんつらいのは親ではなく、思春期の子どものほうでしょう。案外、私が養子縁組にこだわっていて「普通に反抗期を迎えて、遠慮せずに親を困らせるアン」を、どこか嬉しく思う部分があって甘やかしてしまったのかもしれませんが。

 そういえば、この頃、あんまりなアンにきつくお説教をしたら、

「何よ! 私を産んでくれなかったくせに!」と反撃されて、遠慮なく言い返しましたよ。「何よ! アンこそ私から生まれてくれなかったくせに!」って。

 なんだかおかしくなって、ふたりで大笑いして、このあとはおやつタイムになっちゃった。こういう関係が、私には心地よかったです。

次回更新は2月7日(月)です。

【特別養子縁組について】

特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。

厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html

※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。

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