「男の考えていることはよくわからない」のか? 「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさ

文=清田隆之
【この記事のキーワード】

 一般男性という言葉がある。例えば有名人が結婚したときに「お相手は一般男性」などと使われるあれだ。厳密な定義があるわけではないが、特殊な身分でも職業でもなく、社会人として働いていて、恋愛対象は女性で、パッと見どこにでもいるようなマジョリティの男性……くらいのイメージで使われている。ネットで調べれば「主に特に変わった、特別な部分の無い一般的な男性の事。また、マスメディアで活動しておらず、プライバシーに配慮して名指しを避けられる(具体的には、芸能人・アイドル・歌手・スポーツ選手などでは無い)男性という意味でも使われる」(ピクシブ百科事典)とも説明されており、指し示す範囲が広すぎて具体的な男性像をイメージすることは難しいものの、おそらく大半の成人男性はそのカテゴリーで括られるだろうし、私自身もそこに含まれるはずだ。

 私は普段、恋バナ収集ユニット「桃山商事」の一員として様々な人たちの恋愛相談に耳を傾けている。話をしにくる人のほとんどは異性愛者の女性で、彼氏や夫、元カレに上司、アプリや合コンで出会った人など、身近な男性の言動が悩みの種になっているケースが多い。彼女たちは「男ってなんでいつも○○なの?」と首をかしげている。謝らない、話を聞かない、すぐ不機嫌になる、小さな面倒を押しつけてくる、上下関係に従順すぎるなど、恋バナの中に登場する男性たちは確かに同一人物なのかと疑いたくなるほど似通った言動を見せる。「男ってなんでいつも○○なの?」と既視感を抱くのも納得だ。

 しかし同時に、「男の考えていることがよくわからない」とも言う。例えばケンカや話し合いになったとき、「なぜあんなことをしたのか」「そのとき何を思っていたのか」「これについてどう感じているのか」と問うても男性たちから具体的な答えはほとんど返ってこない。言動の背景にある理由や感情が見えず、気を遣っているんじゃないか、嘘をついているんじゃないか、本音を隠しているんじゃないか……と、推測が止まらずモヤモヤが募っていく。そんな女性たちの話をたくさん聞いてきた。

 私自身も男で、身近な女性から同じようなことを言われた経験があるし、逆に男友達と接する中で似たようなモヤモヤを抱いたこともある。また、近年は男の人から恋バナや悩み相談を聞く機会も増えているが、全体的な傾向として見ると、そこで語られるエピソードは女性たちから聞くそれに比べてずいぶん漠然としているように感じる。具体性やディテールに欠け、そこにある感情や因果関係もなんだか見えづらく、全体像をつかむのに苦労することが多い。「男の考えていることがよくわからない」という声にも賛同しかない。

 本書は、10人の男性たちに仕事や生活、恋愛やコンプレックスなどについて様々なお話を伺い、彼らが何を感じ、どんなことを考えながら生きているのか、その声にじっくり耳を傾けていくインタビュー集だ。世代的には20代から40代まで、都会で生まれ育った人もいれば地方出身の人もいて、会社員や医療職、大学生にフリーターなど属性も様々だが、どの人も概ね一般男性の定義に当てはまるだろう。

 私がインタビュアーを務め、私が原稿まとめを担当した。ときに賛同できない意見や、首をかしげたくなるような発言も出てくるかもしれないが、男性たちの正直な気持ちを知ることを目的とするため、質問や相づち、個人的な価値判断などは一切入れず、それぞれ「語りおろし」という形でありのままを伝えられたらと考えている。

 いや、「ありのまま」ということについてはあらかじめ読者のご理解をどうしても得ておかなければならない。この企画に協力してくださった方々が率直に語れば語るほど、彼らの社会的な地位や人間関係を損ないかねない事柄も含まれてくる可能性がある。そうした様々なしがらみが自らを何かに縛りつけているのだとしても、それを振り捨てれば現在の日常生活が損なわれかねないからこそ、彼らは屈託を抱えたまましがらみの中にとどまってきたはずだ。また、それこそが男性性の問題を考える上で重要な何かを示唆しているようにも思う。

 本書では、プライバシー保護の観点から、名前や経歴、あるいは語られた具体的なシチュエーションそのものにも変更を加えたりフェイクを混ぜたりしている。「シチュエーションA」を「シチュエーションB」に移し替える際には、そこに内在する問題やリアリティをできるだけ正確に引き継ぐよう細心の注意を払ったつもりだが、この行為自体が私の個人的な価値判断に結びついている可能性は否定できない。また、そもそも投げかけている質問自体が私の興味関心に基づいたものであり、そこからしてある種のバイアスから逃れることは難しい。しかし、その上でなお、男性たちの語りに宿るリアリティを可能な限りそのまま届ける努力をしたつもりだ。

 仕事の話や趣味の話、あるいは自慢話や武勇伝のようなものではない、もっとプライベートな領域の、恥ずかしい部分や弱い部分を含めた「自分語り」を男性たちから聞く機会は意外に少ない。妻に暴力を振るってしまった経験を語ってくれた人もいたし、孤独と非モテに苦しんだ過去を吐露してくれた人もいた。10年以上前に別れた恋人の写真で自慰行為してしまうという人もいたし、元妻の浮気を黙認した義理の母に対する恨みが消えないと語る人もいた。一般男性という言葉からは没個性的で顔の見えない男性像をイメージする向きもあると思うが、それぞれにはそれぞれの人生があり、様々な経験の中で形成されてきた固有の性質や価値観があって、“普通”とか”平凡”とか”一般的”とか思われているものは単なる虚構に過ぎず、それぞれが多様で独立した個人なのだと、一連の取材を通して改めて思う。

 しかし一方で、ばらばらな個々人から個別具体のエピソードを聞いているはずなのに、驚くほど似通った価値観やメンタリティが浮かび上がってくる瞬間も多々あった。そこにはおそらく「ジェンダー(社会的・文化的に形成された性差)」が深く関与していて、教育や周囲からの扱われ方、環境やメディアから受け取るメッセージ、身近な人たちとのコミュニケーションなどを通じ、「男らしさ」や「女らしさ」、「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」といった規範や役割意識が知らぬ間に内面化されていく。男性たちの自分語りからは、それらがもたらす様々な”特権”を無自覚に享受している部分が垣間見えたとともに、規範や役割意識に囚われるあまり、そこから外れた自分を想像したり肯定したりすることが難しくなり、自分で自分を生きづらくしてしまっている部分も少なからず見えたように思う。

 私はこれまで『よかれと思ってやったのに─男たちの「失敗学」入門』(晶文社)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)という男性性をテーマにした2冊の本を書いてきた。それは「女性たちの目に映る男の姿」をある種の”鏡”と捉え、自分の過去なども赤裸々に振り返りながらジェンダーの問題に向き合う経験だった。一方、この本に私の話はあまり出てこない。各回のコメントとあとがきで自分なりの感想や葛藤を述べてはいるが、本書の主役は10人の名もなき一般男性たちだ。でも、その語りの中には私自身も随所に溶け込んでいる。感情移入しながら聞いていた箇所も多々あるし、普段の自分では到底言えないようなことを男性たちが代弁してくれている部分も正直ある。そしてそれは、この本を読んでくれている人にも通じることなんじゃないかと思う。

 一般男性とは「一般」と言うわりに案外よくわからない存在である。それはおそらく、注目されることも問いを突きつけられることも、属性で排除されることも自分で自分に疑問を持つこともほとんどないからではないか。女性たちは「男の考えていることがよくわからない」と言い、男性たちは心の内側を語る言葉を持ち合わせていないように見える。それがマジョリティ男性の現在地だとするならば、その語りに耳を傾けてみることが想像や理解のための第一歩になるはず。10人の語りを通じ、世にも不思議な「一般男性」という存在の実像や内実が浮かび上がってくる瞬間があれば幸いだ。

※本記事は、清田隆之(桃山商事)著『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)より「はじめに−「男の考えていることはよくわからない」のか?」を転載したものです。続きは書籍をお買い求めください。

「「男の考えていることはよくわからない」のか? 「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさ」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。