順調なサラリーマン生活と「無能」がバレる恐怖と自傷的な自慰行為

文=清田隆之
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順調なサラリーマン生活と「無能」がバレる恐怖と自傷的な自慰行為
(進藤涼一さん40代インフラ関連企業勤務)

 最初に紹介するのは、インフラ事業に関わる大手企業P社から官公庁へ出向し、役所が主導するプロジェクトチームの一員として働く進藤涼一さん(仮名)だ。アラフォーのロスジェネ世代。フリーターから派遣社員となり、2度の引き抜きを経て国内有数の大手企業の正社員となった進藤さんは、さわやかで親しみやすいキャラクターを武器に、絵に描いたようなトントン拍子のサラリーマン人生を送っている。その一方で、出世するに連れて高まる仕事のプレッシャーや自分のメッキが剥がれることへの恐怖、いまだに癒えない年前の失恋の傷などを抱え、格闘技やフットサル、自傷的な自慰行為など様々なものに依存してきたという進藤さんのお話。

※プライバシー保護のため、本書に登場する人物の名前はすべて仮名にしてあり、年齢や職業なども一部実際のものと変更しています。また、発言の一部に暴力的・性差別的な表現があるため、フラッシュバックなどの可能性がある方はくれぐれもお気をつけ下さい。

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日雇いバイトから有名グループ企業の正社員へ

 今はとある官公庁で、都市の新たなインフラ整備に関わる大きなプロジェクトに携わっています。そこは役所の中でも珍しく、先進的なことをやるために業界各社からメンバーを集めて結成されたチームで、所属しているP社からもそれなりに期待されて送り出された感があります。プロジェクトの性格上、政治家と関わることもあり、プレッシャーはあるけどやりがいも感じられる仕事です。出向手当がつき、給料も少しだけ上がりました。

 でも正直、他人事感というか現実味のなさというか、そういう気持ちが心のどこかに常につきまとっているんですよね。「なんで自分はここにいるんだろう……」って。

 僕は子どもの頃からモノを作ることが好きで、大学も美術系に進みました。ところが、どこかの地点でアートの道で食っていくことはないだろうと悟り、2年留年して卒業したあとはしばらく日雇いバイトをしながらフラフラしていました。当時メインでやっていたのはコピー機を運ぶ仕事です。それは運送会社の人が配達する際、トラックが駐禁を切られないよう助手席に残しておくための人員で、仕事がめちゃくちゃ楽だった。駐車場のある現場では搬入の手伝いをすることもあるんですが、コピー機は重くてデカいけどタイヤで転がせるからほとんど手を添えてるだけという(笑)。ひとつの現場に行って3000円。多いときは1日3現場くらい入っていました。

 当時はもうひとつ高級居酒屋でもバイトをしていまして、運送会社と居酒屋の両方から「社員にならないか?」とお誘いをもらいました。いい人たちばかりだったから一瞬迷いましたが、トラック運転手になるイメージは持てず、居酒屋のほうもお試し期間だけ社員をやってみたんですがあまりにキツくて結局バイトに戻してもらって。ただ、20代半ばでこれじゃヤバいなと思えてきて、派遣会社で紹介してもらった広告会社でフルタイムの派遣社員として働き始めました。

 そこで関わったのはホームセンターのチラシを制作する仕事でした。構成を考えたり、撮影のアシスタントをしたり。また、若い男がいないからという理由で作業着のモデルをやらせてもらったりもしました。ありがたいことにここでも社員に誘っていただいたんですが、こんなこと言うのは失礼だけど名前も聞いたことないような会社だったし、もっと大きいところに行きたいってミーハーな気持ちもあったので辞退し、契約期間が終わって次に派遣されたのが老舗メーカーの子会社でした。

 その頃僕はエミちゃんという同い年の女性と付き合っていまして、彼女に「次に行く会社は結構有名なところなんだよ」って報告したことを覚えています。そこはインフラ事業にまつわる機器の生産や実際の現場仕事を請け負う会社で、内容的には完全に理系職です。高校時代は文系、大学は美術系という僕にとってまったく未知の世界でしたが、役員の偉い人に「あいつはあいさつがいいな!」と気に入られたこともあり、上司や先輩たちからすごくかわいがられて仕事も熱心に指導していただきました。

 入社して1年くらい経ったとき、またもや「正社員登用の試験があるんだけど」という話をもらいました。ちょうど会社が採用に力を入れていた時期で、ふたつ枠が空いてるから受けてみないかと。環境もいいし、誰もが知る老舗メーカーの子会社だし、これはいい話だと考え試験と面接を受けました。通常、派遣社員の引き抜き行為はルール違反なんですが、直属の上司が派遣元にちゃんと話をつけてくれ、子会社ながら晴れて有名なグループ企業の正社員になりました。

おもしろい人間だと思われたい

 プロとしてアートで食っていく道は美大時代に見切りをつけた感がありましたが、「おもしろい人間だと思われたい」という気持ちはずっと持っていまして、20代の頃は友達と一緒によくわからないことにいろいろチャレンジしていました。

 例えば「欽ちゃんの仮装大賞」に出場したり、有名キャラの着ぐるみ姿で人通りの多い場所をめぐったり、新宿のロフトプラスワンで開催されていた「エアギター選手権」に出場したり。そういえば「いいとも青年隊」の書類審査に応募したこともありました。仮装大賞や青年隊はあっさり予選落ちでしたが、着ぐるみ企画は子どもたちに大人気だったし、エアギターでは会場の爆笑をさらって3位入賞を果たしました。でも当時はまだSNSもないような時代で、表現する場があまりなかったんですよね。撮影した映像を自分たちで編集したり、ブログで活動報告したりというのがせいぜいでした。今だったら確実にYouTuberをやっていたと思います(笑)。

 正社員になった会社はさすが大手グループだけあって環境もホワイトで、無茶な残業も無意味な飲み会もなく、プライベートでも好きなことをやれてノーストレスな毎日でした。そんな中、インフラ事業の発注主にあたるP社へ出向することが決まりました。技術支援のため定期的に社員を派遣していて、経験とコミュニケーション能力を買われて僕が選ばれたようです。

 P社とは元から一緒に仕事をしていたので僕のことも認識してくれていて、「おお、進藤くん来るんだ!」ってみなさん歓迎してくれて。それでホント、入って3日目くらいだったか、最初の飲み会でいきなり「もうちょっとしたらうちの正社員にならない?」と誘われたんですよ。これには驚きでした。でもさすがにすぐは無理があったので、1年半くらい常駐しながら検討を続けました。

 気持ちは100パーセント移籍するほうに傾いてました。特に悩みもなく、住めば都でP社の水に慣れていたし、元会社からはわりと放置プレーでやらせてもらっていて、しまいには帰属意識みたいなものも全然なくなっちゃってて。元会社は老舗企業のグループで、お役所体質みたいなカルチャーがあったんですね。それに比べてP社は全体的に若々しくて勢いがあって、テレビで企業CMもバンバン打っていた。それに服装自由という点もすごく楽だったし、仕事的にも明らかにこっちのほうが楽しくて、気持ちに迷いはありませんでした。

 でもちょうど正社員の登用試験の少し前、元会社のほうで上司から「昇進試験を受けろ」と言われていて、それに受かって主任に出世してしまったんですよ。出向中の社員が昇進するのは異例のことらしいんですが、どうやら部長が推薦しておいてくれたようで……。結局、黙って受けたP社の正社員登用試験も合格し、元会社を退職したのが主任になって初めてボーナスをもらった翌日という気まずいタイミングになってしまったんです。

 ただ、さすがに今度ばかりは揉めました。元会社の上司がP社に乗り込んでいき、「引き抜きってどういうことですか!」みたいに詰め寄るというひと幕もありまして……。もっとも、「本人が望んだことで引き抜いたわけではない」という建前があったので出向先もその一点張りで通し、上司としてはモヤっとしたまま認めざるを得なかったと思います。本当に悪いことをしました。

 辞めることが決まったあと、お世話になった部長から電話があったんです。僕を派遣社員から正社員に登用してくれた方で、その後も何かと気にかけてくれ……そんな恩人からの電話はさすがにこたえました。「最初に俺に相談してほしかったよ」みたいなことも言われ、最後は「わかったから一度うちで飲もうよ」ってことになりまして。そこには仲の良かった先輩とかも集合して、「お前とまだまだ一緒に働きたいから残れないか?」「もっと伝えたかったことがあるから、せめてそれを覚えてから行け」って夜通し引き留められました。でももう決まってしまっていたので、ひたすら「すいません」しか言えず……特に部長のことは、今思い出しても胸のあたりが苦しくなるくらい申し訳なさが残っています。

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