劣等感を抱かないポジションにいたい
P社で正社員として働き始めたのは32歳のときで、その2年前、30歳の年末に、それまで7年半付き合ったエミちゃんにフラれるという出来事がありました。詳細は後述しますが、イマイチ納得できない別れ方だったのもあり、失恋のショックを吹っ切ることが全然できていなかった。仕事ではこれまで人や環境に恵まれ、信じられないくらい順調にステップアップしてきた感がありましたが、プライベートでは底が抜けてしまったというか、思い出しては苦しみや怒りに支配されるという不安定な時間を過ごしていました。
ちょうどP社に移籍してすぐくらいのとき、めちゃくちゃキツめの先輩に当たってしまい、毎日ガミガミ怒られるようになって会社に行くのが苦痛になった時期がありました。でも仕事は忙しいし、結果を残さなきゃというプレッシャーもあって、会社に行って帰って寝るだけの繰り返しで段々メンタルが持たなくなってきて。それでストレス解消のため、近所のジムで格闘技を習うようになったんです。フラれたあとに太りたくなかったという謎の意地もありました。サンドバッグを殴ったり蹴ったりしてるときは仕事のことを忘れられるし、失恋による行き場のない気持ちを発散できる感じもあり、どんどん格闘技にハマっていきました。ジムでの練習だけでなく自主トレもするようになり、技術を伸ばすためのフォームや体重移動の研究までし始め、しまいにはアマチュアの大会に出るようにまでなりました。
元から凝り性なところがあって、例えば日雇いバイト時代には狂ったようにフットサルをしていました。小さい頃からサッカーをやっていたので好きは好きだったんですが、フットサルを純粋に楽しんでいたかと言うとそうではなくて、必死になってハマり込んでいたのは、「人よりも実力が下の状態でいたくない」という思いが原動力になっていたからなんですね。
より厳密には、「集団の中で劣等感を抱かないポジションにつけた上で、まわりと対等に話したい、余裕を持って接したい」という感じになるでしょうか。フットサルって基本的にはチームスポーツなんですが、僕が通っていたのは「個サル(=個人参加のフットサル)」と呼ばれる形式で、その日集まったメンバーでプレーするというもの。そこではヘタな人って周囲からの扱いが悪くなるんですよ。パスも来ないし、終わったあとの会話とかにも入れない。自分がそういう状態になるのが怖いというのと、誰かが露骨な排除を受けているのを見るのも嫌だったので、そのためにはうまくなって一目置かれる存在になるしかなかった。いいプレーをしてチームに貢献した上で、ヘタな人にも「さっきのナイスプレーでした」とか声をかけて話しやすい雰囲気を作るっていう。それをするために必死で練習していた部分が大きい。
自分に価値がないって思うのが怖いんですよね。そのために頑張って努力する。仕事での人間関係も同じで、例のキツめの先輩もそうだったんですが、嫌いな人や苦手な人に当たると、本心では口もききたくないくらいの気持ちなんですが、そういう状態で悩み続けても病んでしまうので、相手のことを好きになる努力をするんですよ。あえて自分から話しかけにいったり、相手から言われた意見を積極的に取り入れていったり。そうすると自己洗脳されるというか徐々に苦手意識が薄れていき、「それいいっすね!」とか素直にアドバイスを聞き入れるものだから相手も少しずつこちらのことを好きになってくれ、結果的に仲良くなれたりするんですよ。
人間、結構適当にできてるなって思いますよね。基本的には自分が生きやすくなるための術としてやっていることですが、同時に他の人に対するマウンティングっぽい部分もあるかもしれません。「俺はここまでできちゃうぜ」みたいな。格闘技にも似たようなところがあって、身体が引き締まってきて、大会でも好成績を残せるようになってくると、会社の人たちから一目置かれるようになってきて。趣味で筋トレをやってる人が多くて、イメージが伝わりやすかったのもあると思います。Facebookでたくさん「いいね!」をもらえるようになり、その感じが気持ちよくてどんどんハマっていきました。
格闘技って「努力のコスパがいい」と言ったらあざといですが、頑張れば頑張るほど成長するし、キツそうなイメージがあるのか、試合に勝つとやたら「すごいね」って言ってもらえるんですよ。ちゃんとクラス分けもされているので自分に合わせたステップアップもできます。試合の様子がYouTubeにアップされてみんなに観てもらえるのも励みになり、どんどんのめり込んでいって最終的にはアマチュア選手の中では権威ある大会に出場できるまでになりました。会社でもちょっとした話題になり、偉い方たちにも顔を覚えてもらえるようになった。これってサラリーマンにとってすごく有利なことで、仕事がグッとやりやすくなったんです。しかも、たまたまP社は社員の課外活動を応援しようという制度があり、大会のために有給もすんなり取れたし、知らない女性社員から声もかけてもらえるようになって(笑)。仕事後に一緒にトレーニングするサークルなんかもできて、社内ではすっかり「格闘技の進藤」というイメージで見られるようになりました。
「とうとう無能がバレる!」という恐怖
P社に入って4~5年ほどは同じ部署にいまして、前の会社時代と同じインフラ事業の現場仕事に携わっていたのですが、そこから初めての異動を経験し、半年間ほど営業職を経験しました。お客さんと話すのも苦じゃなかったし、そこまで忙しい部署でもなかったので、ずっとここでのんびり働きつつトレーニングに精を出そうかと思っていた矢先、「新規に事業部が立ち上がるから異動しないか?」という話をもらいました。聞けば経営陣の一人が直轄する組織で、すごく大変な部署だと。で、募集の条件が「会話ができてタフなやつを一人用意してくれ」ということだったらしく、「お前しかいないから行ってほしい」ってなりまして。
そこは有望なやつらを集め、ガッチガチに仕上げて経営層に上げていくみたいな組織で、社内で「トレセン(=トレーニングセンター)」と呼ばれていることを知りました。以前にも同じような動きがあって、そのときに生き残ったメンバーはみな取締役とかそういうクラスになっているそうです。これはすごいところに呼ばれたなと思いました。しかしその一方で、「とうとうバレてしまうんじゃないか……」という不安も同時に湧き起こってきました。
僕はこれまで、確かに客観的に見たら絵に描いたようなステップアップをしてきたと思いますが、それは特筆すべき結果や業績を残したからとかではないんですよ。上司が誰かを選ぶときって、結局はそいつを知っているかどうか、顔と名前が一致しているかどうかってのが大事で。とりわけ大きな会社になると部下なんて星の数ほどいるわけで、誰かを選ぶ際に一人ひとりヒアリングして吟味するのは不可能だから、「自分が知っているやつの中でいい人材を」って話に当然なる。
バイト時代に「社員にならないか」と誘ってもらえたのはおそらく一緒に働きやすい程度にコミュニケーション能力があったからだし、前の会社で正社員登用や昇進試験に推薦してもらえたのも、お偉いさんに「あいさつがいい」と気に入られたからでした。今の会社でも、格闘技をやっていることでタフなやつだと思われたり、「俺もやってみたいんだけど」と上層部の方から声をかけられ、社内人脈が広がったりしたことが大きなアドバンテージになっています。結局、偉い人も直接仕事の内容を見ているわけじゃないんですよね。
自己分析をすると、僕は器用なタイプというか、どんなことでも平均以上にはこなせるんだと思います。ペーパーも得意で、どの試験でも効率よく勉強して一定以上の成績を残す自信はあります。評価とかも平均より下を取ったことはないんですが、かといって何かに特化した知識や能力があるとか、自分にしかできない仕事があるとかでは全然なくて、言ってしまえば大失敗はせずに上司と仲良くやっているだけなんですね。「あいさつがいい」とか、業績と無関係じゃないですか。だからいつも、「これで大丈夫かな?」って思いながら仕事しているというのが正直なところです。会社のためって意識も薄く、得がないからという理由で後輩の指導とかには1ミリも興味が持てません。こんなんでよく出世できたなって(笑)。
異動した事業部は会社の今後を決めるような戦略を練るところで、質の高いアウトプットが求められます。まわりも社内エリートばかりで、残業が多いとか上司に怒鳴られるとかではないんですが、とにかく一分一分のプレッシャーがすごくて……。例えば経営会議の資料を作ったりするんですが、自分の作った資料がこの大企業の何かを左右するのかと思うと、間違いやリサーチ不足があったらどうしようって。その重圧でリアルにゲロを吐いたこともあります。
これまでもステップアップするたびにメッキが剥がれることへの恐怖を感じていたわけですが、いよいよヤバいというか、俺の無能さが白日の下に晒される……みたいな。「こいつダメじゃん!」って笑われる想像を毎回しちゃうんですよ。今までなんとかなってきたし、自分なりに頑張ってはきたんだけど、今回ばかりはちょっと無理かもなって。だって、そんな大勢の人が見る資料なんて作ったことないですもん。そのときは眠れなくなって心療内科で睡眠薬をもらったりしていました。格闘技のトレーニングも減りました。とはいえ、週7で走ったりジム行ったりしていたのが週3になったくらいで、やってたはやってたんですけど。とにかくキツい日々でしたね。
「同じくらい稼げるよう頑張るので」
エミちゃんと知り合ったのは学生時代で、当時僕は作品づくりを、彼女はバイオリンに打ち込んでいて、「お互い芸術を頑張ろう」って共鳴したことが仲良くなるきっかけでした。互いにひとり親家庭で妙なシンパシーもあって、惹かれあって付き合うことになりまして。知り合った頃は二人とも恋人がいたんですが、たまたま別れるタイミングも重なってすごく盛り上がったのを覚えています。
その後、彼女は音楽の道をどんどん突き進んでプロの演奏家として活動し始めたほか、ファンもたくさんついていたので事務所に所属することになりました。エミちゃんが順調にキャリアを重ね、ちょっとしたタレントくらいの人気ぶりになっていった一方、僕はアートの道も諦めて日雇いバイトの日々じゃないですか。それが耐え難くなってきて「今年こそ就職します」って宣言したりして。でも彼女は毎回「別にいいんだよ」って言ってくれるんですよ。それは「あなたの人柄や人格が好きで付き合ってるんだよ」という意味だったとは思うんですが、自分には何もない、稼ぎも全然彼女に届かないという劣等感から、「今は優しいけど、このままだとどう考えても捨てられる」って思いが拭えなかった。もっと偉くて金も持ってる人とかにめちゃくちゃ口説かれてたと思うし……。それで当時、「お願いします。捨てないでください」「あなたと同じくらい稼げるよう頑張るので」って呪文のように唱えていました(笑)。
忘れられない出来事があります。彼女が仕事関係の人と夜中まで会食した日があって、僕は心配になって「迎えに行くよ」ってメールしたんですね。普通なら車で行くところですが、僕は免許を持っていなくて、しかもお金がないからタクシーという発想もなくて、当時住んでいた家から自転車で西麻布まで1時間半くらいかけて迎えに行ったんです。でもその姿を仕事関係の人たちに見られるのは嫌で、お店からちょっと離れたところで彼女を待って。それで真夜中に西麻布から彼女の実家までママチャリの後ろに乗せて送ったという。仕事や会食で疲れているはずの彼女と二人乗りって……もう最悪じゃないですか。
そんな感じで7年半も付き合っていたわけですが、僕が日雇いバイトだろうがちゃんとした正社員になろうが彼女は変わらず優しくて、ずっと仲良くやっていた……つもりだったんですが、30歳のクリスマスを楽しく過ごした翌日、仕事から帰宅すると妙に部屋が片付いていて、見たらテーブルの上に手紙がポツンと置いてあって。いい内容じゃないことはすぐに察知しました。案の定それは別れの手紙でした。
ただ、そこには「私と別れてください」とはハッキリ書いてあるものの、その理由がどこにも記されていないんですね。今まで楽しかった。優しい涼一くんにたくさん支えてもらった。あなたより好きになる人はもう現れないと思う。でもこれ以上は付き合えません。お願いします、私と別れてください──って。これじゃ全然納得できませんよね?
ワケがわからなくてエミちゃんにめっちゃ連絡したんですが、ずっと音信不通で返信もなくて、それでも納得できないから彼女の友達にまで電話しちゃったんですよ。そしたら実はすでに新しい彼氏がいることが判明して。もうどう処理していいかわからなかったですね。例えば最後に冷たい顔を見て、もう俺から気持ちが離れてるんだなってことを悟って、それで別れるとかならまだ納得の余地もあると思うんですが、新しい彼氏のことも間接的に聞いた話だし、手紙の言葉も気になるし、最後に見たのは彼女の優しい顔だし……というので、気持ちが切り替えられないんですよ。本当はまだ俺のことが好きなんだけど、止むに止まれぬ事情があって泣く泣く別れを決意したんじゃないかとか、そういう陰謀論めいた発想も浮かびました。正直、10年経った今でも全然納得できていません。
新しい事業部での仕事は吐くほどのプレッシャーでしたが、頑張って打ち返すうちに少しずつ地力がついてきた実感があります。今いる官公庁のプロジェクトが立ち上がり、「各社のエース級を送り込んで欲しい」という要請があったときに、周囲のメンバーから「進藤さんどう?」と言ってもらえたのも自信になりました。まあ、その官公庁にいるプロジェクトリーダーが元々うちの社の出身で、実はトレーニング仲間で顔見知りだったというのも大きいんですが、それでも推薦してもらえたことは励みになりました。エミちゃんと付き合っていたときに目指していたのは、もしかしたらこういう自分だったのかもしれません。
でも、仕事の世界で順風満帆にステップアップする僕は言わば”A面”の自分で、努力によって構築してきた部分なんですね。そうではない側面、嫉妬心やコンプレックスにまみれ、甘えたくて逃げたくて人の悪口を言いたくて、いいやつでもタフなやつでも全然ない”B面”の自分は、年を追うごとにこじれていっているような実感があります。
変わったことをやって人からおもしろい人間だと思われたいって願望はずっと持っていたんですが、いろいろトライはしてみたものの「自分はどうやらおもしろのプロにはなれないかも」って思った瞬間があって。仕事のほうがうまく行き過ぎちゃってるわけじゃないですか。なんでも器用にできて体力もあって、偉い人たちともうまくやれて、自己主張せず言われたことを真面目にやって……って、明らかにサラリーマンに必要な能力だけを持っている。こんなにサラリーマンに向いている人間はいないかもって思うわけですよ。それにお金もそれなりにもらえちゃうから辞めるつもりもない。これではおもしろのプロにはなれないなって。
元カノの写真を使った自傷的な自慰行為
エミちゃんと別れたあと、僕は彼女の写真や動画で狂ったようにオナニーをしていました。彼女が出したCDのブックレットや、彼女が出演している動画なんかもiPadに落として。自己憐憫と性欲と甘えたい気持ちがごちゃ混ぜになってめちゃくちゃ興奮するんですが、終わったあとにズドーンと落ち込むという……ちょっとした自傷行為かもなって感じています。正直、今でもたまにやっちゃうんですよね。
トレーニングへの依存もそうですし、一時期は母乳風俗にもハマっていたことがあります。それとこれは最近の傾向なんですが、ものすごくイライラしやすくなっているというか、電車で大股広げて座ってるやつとか見るとムカムカしてきて、わざと目の前に立ってその足にぶつかりに行ったり。前も引っ越しのとき、敷金の返却をめぐって不動産屋さんと揉めてしまい、普通に抗議すればいいところをなぜか大声で怒鳴ってしまったり。40代になって孤独感や将来への不安が高まってきているのか、それとも仕事でいいやつをやってる分だけ溜まってくる澱のようなものをどこかで吐き出さなきゃならないのか……自分でも何なんだろうって思います。
あと、これは話すのが結構恥ずかしいんですが、ツイッターの裏垢やYouTubeのコメント欄で悪口を書くことが最近やめられないんですよね。簡単に言うと「クソリプ退治」って感じなんですけど、芸能人のツイートや動画にセクハラめいたコメントを飛ばしたり、意味不明の絡み方をしたりしているやつっているじゃないですか。ああいうのを見ると無性に腹が立ってきて、そこに「世の中には信じられないくらい頭の悪い人がいるってことをこのコメントで勉強しました。ありがとうございます」とか、「ちょっとやり直した方がいいんじゃないですか?小学校あたりからwww」とか、そういうリプをいちいち飛ばしてしまうんですよね。で、それに返信が来て、アドレナリン全開でまた言い返すという。例えば「お前の親の顔が見たいわ」って返信に「親とっくに死んでるんだけど?」って返したり……自分で言ってて死にたくなってきました(笑)。
実は今マッチングアプリを使って婚活しているんですが、それは好きな人を見つけたいというよりも、日々の出来事や思ったことなんかを話せる相手がいないと、自分がどんどん攻撃的になっていくような気がしているからなんです。いつか人を傷つけてしまうかもしれない。現に今ネットや電車の中で人を攻撃しちゃっていますし、これでケンカとかしたらどうしようもないし、やらないとも限らないと自分では思っているので。そのためだけにパートナーを作ろうとしているのもどうなんだって話ですが、心の平穏じゃないですけど、おしゃべりできる相手が欲しいなと思って婚活アプリを続けています。
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進藤さんが語ってくれた「無能がバレる」という恐怖感は自分自身にも身に覚えのあるものだった。私は下町の商店街で生まれ育ったこともあり、子どもの頃から人と接する機会が多かった。手伝いでお店番をしていたこと、幅広い世代の幼馴染みがいたこと、大人たちとの会話に慣れていたことなど、生まれ育った環境の中で自然と身につけていたものは、のちに知る「コミュニケーション能力」という概念とも重なる部分が大きかった。
男性は集団内でのポジションを重視する。女性がそうじゃないという話ではないが、とりわけ男性にはその傾向が強いと感じる。私にはどこか”世渡り上手”なところがあり、ポジション取りもおそらく器用で、フリーランスとして10年近くやってこられたのはそれに拠るところが大きいと感じている。こうして本を出版し、今は大学の非常勤講師などもやらせてもらっているが、コミュニケーション能力によって実力以上の場所に立ってしまっているような感覚が正直あり、進藤さんが打ち明けてくれた恐怖心には共感しかなかった。
組織で重要なポジションにつき、そのプレッシャーで押し潰されそうになっている男性の話は少なくない。立場や肩書きにこだわる一方、そこにいる自分の内実は不安だらけで、でもその乖離を言語化できないために慢性的なストレスを抱え、それが思わぬ形(進藤さんの場合は自傷的な自慰行為やクソリプ退治)で発露しているとしたら……。進藤さんのお話は、こういった問題のメカニズムを考える上で重要なヒントを示唆しているはずだ。
※本記事は、清田隆之(桃山商事)著『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)より「順調なサラリーマン生活と「無能」がバレる恐怖と自傷的な自慰行為(進藤涼一さん40代インフラ関連企業勤務)」を転載したものです。続きは書籍をお買い求めください。
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