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特別養子縁組によって親子になった著者夫婦と娘のアンちゃん。母は娘が幼い頃から養子であることを伝える「真実告知」をしながら、しっかりとした親子関係を築きました。中学・高校と続いた反抗期も終わり、アンちゃんは都会の短大へ進学して……
第3章 アンの子ども時代:短大生のアン
波乱の高校生活が終わり、アンは短大へと進学しました。地元の専門学校と、県外の大学とで迷ったようですが、自分が目指していたネイル関係の資格が取得できる短大を見つけたのです。アンが通った短大は、一般教養を学びながら、専門学校のような授業も受けられるという新しいカリキュラムで話題になっていた学校でした。
大学は県外だったので、進学と同時にアンの初めてのひとり暮らしもスタート。まわりの人に、甘えん坊でひとりっ子のアンを都会へ出すと話すと、「どうして?」、「寂しくなるよ」、「女の子なのに心配じゃないの?」などと否定的な意見を言われることが多かったです。中には「帰ってこなくなることがわかってるから、うちの子は断固として反対して県外には出さなかった」と言い切る人もいました。
でも、アンの場合、私は親元を離れて大正解だと思います。変化を嫌うアンの性格だと、地元にいたら今までの家族や友達の輪にとどまったままになって、精神的な成長が止まってしまうのが心配だったから。それに母である私にも、娘であるアンにも、子離れと親離れは必要でした。もともと養子縁組を考えたときに「後継ぎに」なんて思っていなかったし、ただ育てるだけでいいと思っていたこともあります。
入学式の前日に大学の寮に付き添って入居し、その夜、同じひとりっ子の同級生と仲良しになり、親同士もひと安心。幼い頃はとても人見知りな子だったアンですが、もう心配ありませんでした。ワンルームマンション仕様の寮でしたが、この同級生は毎朝アンの部屋のドアをノックして、遅刻を食い止めてくれたようです。寮には双子の同級生もいて、姉妹仲よく一部屋に暮らし、アンは「いいなあ〜」とうらやましがっていました。
そんな初めてのひとり暮らしで、何かにつけて連絡をよこすアン。
「炊飯器のフタを閉め忘れたら、ご飯がカッチカチに固くなったけど、どうしたらいい?」
「お豆腐って、1か月前のでも大丈夫だよね?」
こんなとんでもないSOSに、笑いをかみ殺しながら対応したことも楽しい思い出です。
もう大人だと思っていても、やはりアンの様子が気になり、入学してすぐの5月半ばに夫をせっついて、アンの寮へ車で迎えに行き、そこからほど近い温泉へ家族で出かけました。ドライブ中、新緑の山を見ては、「ああ〜気分がいい〜!」と大喜びのアン。「自然はいいねえ、癒される! 緑に飢えてた!」と、地元を離れて初めて田舎のよさを実感したようです。もちろん、家族のよさも再認識したようでした。海辺の宿でしみじみと「本当に家族っていいよね」とはしゃぐアンに、今度は夫が大喜び。
それから学校のこと、先生のこと、ネイルコースの勉強のこと、友達のこと、たくさん話してくれました。
「みんな、意外と高校で勉強してないんだね。だからレポートなんか、このあたしがちゃんとしてるってほめられるんだよ!」
偏差値なんてなきに等しい中学・高校でしたが、みっちり勉強させてくれる学校だったのが幸いしたのかもしれません。夫もアンの話を聞いて、「そうか。これからは好きなことを学べるんだから、がんばれよ」と満面の笑み。かわいい娘の話を聞きながらのビールは、ことのほか美味しいようでした。
ひとり暮らしを始めたアンは、広い世界へと足を踏み出して、私の期待通りに少しずつですが成長してくれたようです。
次回更新は2月14日(月)です。
【特別養子縁組について】
特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。
厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。