モニカ・ヴィッティをしのんで~今こそ語りたい『唇からナイフ』の魅力

文=北村紗衣
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唇からナイフ』(20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)

 2022年2月2日に、イタリア映画のスター女優であったモニカ・ヴィッティが亡くなりました。享年90歳でした。ヴィッティといえば60年代に出演したミケランジェロ・アントニオーニ監督の前衛的な映画が有名で、アントニオーニとは私生活でもパートナーでした。

 今回の追悼記事でお話するのはアントニオーニやルイス・ブニュエルなどのいかにもヴィッティの「代表作」らしい作品ではなく、ジョゼフ・ロージー監督によるスパイコメディ『唇からナイフ』(1966)です。この映画はヴィッティの他にテレンス・スタンプやダーク・ボガードなど、ふだんはヨーロッパのアート映画で見かけるスターが大挙出演しておバカの限りを尽くす作品で、いわゆる「キャンプ・クラシック」と呼ばれる作品です(「キャンプ」については本連載のバズ・ラーマンの記事も見てください)。

 アントニオーニについては他でいくらでも語られるでしょうから、この記事ではアート映画からコメディまでこなせる器用な女優だったヴィッティをしのんで『唇からナイフ』の魅力を紹介したいと思います。

コミック生まれのパロディ映画

 『唇からナイフ』の原題はModesty Blaiseで、この「モデスティ・ブレーズ」というのはヴィッティ演じるヒロインの名前です。原作はライターのピーター・オドネルがイラストレーターのジム・ホルダウェイと一緒に1963年に始めたコミックです。ヒロインであるモデスティ・ブレーズはリッチでゴージャスな元犯罪者で、引退後も相棒のウィリーといろいろな冒険をするという設定でした。映画はあまりコミックに忠実というわけではないのですが、脚本を作る際にはクレジットは無いものの原作者であるオドネルや、当時よくロージーと一緒に仕事をしていた劇作家ハロルド・ピンターの助言もあったということです。

 『唇からナイフ』は、泥棒稼業を引退して悠々自適の生活を送るモデスティが、アラブの小国マサラの王に贈られるダイヤモンドを守るため英国に雇われるところから始まります。実はマサラ王(クライヴ・レヴィル)の「息子」として教育を受けていたことのあるモデスティは相棒ウィリー(テレンス・スタンプ)と一緒にこの仕事を引き受けます。ところが大物犯罪者ガブリエル(ダーク・ボガード)がモデスティの任務に目をつけたせいで状況がややこしくなります。

 ……という感じの話なのですが、正直なところ、あまり筋の通った話にする努力は見られない映画です。とにかく次々とわけのわからないシュールな場面やら暴力描写やらが続く緩すぎる展開で、話のつじつまはメチャクチャです。男も女もオシャレな衣装(あるいは衣装が欠如した状態)で入り乱れ、何が何だかわからないまま話が終わります。真面目な人間はひとりも出てきません。

 この映画がメチャクチャなのは、ジェームズ・ボンドなど当時流行していたスパイ映画を60年代のポップな感性でパロディ化しようとしたためです。イギリスでは1961年からITVで人気スパイアクションシリーズ『おしゃれ㊙探偵』(The Avengers)のテレビ放送が始まっており、さらに映画の007シリーズは1962年に開始していて、たくさんの模倣作やパロディが生まれました。『唇からナイフ』は、女版007みたいなモデスティを中心に、過剰な悪ノリと過剰なオシャレを詰め込んでスパイアクション映画の型を笑いのめす作品です。

やり過ぎから生まれるスタイル 

 あまりにも緩すぎる上、今見るとアラブ圏のいい加減な扱いやモデスティが何もしていないのに救出される展開が多すぎて突っ込まずにはいられない『唇からナイフ』ですが、チャーミングなヴィッティとスタンプが大暴れする様子には不思議な魅力があります。

 この作品はとにかくオシャレで、60年代風のポップさが詰まっています。何もかも過剰なのがかえって統一感を生んでいます。

 そもそも冒頭からして、モデスティが高層階にある回転する超豪華な白い部屋で目覚めるという冗談のような場面から始まります。この部屋には大きなベッドがある他、レトロなコンピュータらしいものや、さらになぜか壁が透明の丸いバスタブもあり、バカげていますがいかにも60年代らしい遊び心に溢れたデザインです。

 そこに使用人のウェン(マイケル・チャウ)が朝食を運んできてモデスティが目覚め、テーマ曲がかかる……という最初の場面から最後まで、モデスティはやりたい放題です。指をパチンとはじくだけで髪型が変わったり、緊迫したアクションが続く場面であるはずなのに突然モデスティとウィリーが歌い始めて(この歌がまたヘタクソなのですが)ミュージカルが始まったり、ポップカルチャーを無作為に大量摂取した中学生女子が見る夢みたいな展開です。

 この種のちょっとセクシーなユーモア満載のキャンプな映画としては1968年にロジェ・ヴァディム監督がジェーン・フォンダ主演でSF『バーバレラ』を撮っており、『唇からナイフ』はスパイアクションの分野で同じようなことを先んじてやった映画だと言えるでしょう。

 また、『唇からナイフ』のテイストに近い作品はむしろ1990年代半ばから2000年前後にかけて人気を博すようになっており、1997年に始まったマイク・マイヤーズ主演の『オースティン・パワーズ』シリーズや2000年以降の『チャーリーズ・エンジェル』のリブート映画などはかなり雰囲気が似ています。また、クエンティン・タランティーノはモデスティ・ブレーズのファンで、『パルプ・フィクション』(1994)ではトイレで(ジョン・トラヴォルタ)が『モデスティ・ブレーズ』の本を読む場面があり、2004年にはタランティーノが製作にかかわった『マイ・ネーム・イズ・モデスティ』というモデスティ・ブレーズの低予算映画も作られています。

キャンプの美学とセクシュアリティ

 緩すぎてわけのわからない本作ですが、後年になってからキャンプ・クラシックとしてカルト映画化しました。キャンプというのは「ナチュラルさやリアルさを拒否する過剰でわざとらしい演劇性を評価する感覚」のことで、しばしばセクシュアルマイノリティの文化と結びつけられてきました。何もかもやりすぎの『唇からナイフ』は、まさにキャンプという言葉がふさわしい作品です。イギリスで男性間性交渉が合法化される1年前に公開されており、当時としてはギリギリを攻める感じでセクシュアリティを描こうとしています。

 そもそも男性が主人公であることが多いスパイもので、普通ならばファム・ファタルとして出てきそうなゴージャスな女性がヒロイン、それに美青年がサイドキックという役回りじたいが定型に反しています。さらに、おそらく60年代の基準ではゴージャスな現代女性の典型であったであろうモニカ・ヴィッティ演じるモデスティが、血縁のないマサラ王から当たり前のように「息子でありかつ娘」として扱われているところは、シュールなジョークなのでしょうが、今見るとジェンダーアイデンティティに関する堅苦しい考え方を60年代式に諷刺しているようにも見えます。非常にセクシーな女性である一方、「息子」でもあるモデスティはかなりキャンプなキャラクターです。

 敵役であるガブリエルも性的に曖昧な人物です。ガブリエルは孤島にあるサイケデリックなお屋敷にミセス・フォザギル(ロッセーラ・フォーク)と一緒に住んでいます。このミセス・フォザギルとガブリエルの関係は謎です。ミセス・フォザギルは拷問が何よりの趣味というとんでもない女性で、ガブリエルのお屋敷を守っているらしいのですが、一方で形式的にはガブリエルと結婚しているように見えます。というのも、あまりにも荒っぽいミセス・フォザギルについて「フォザギル氏はどうなったのか考えたことがありますか?」と聞かれたガブリエルが、「僕がフォザギル氏だよ」と答えるところがあるためです。

 しかしながら2人の間には何らかの親密な性的関係があるようには見えず、この映画のファンの間ではおそらくガブリエルはゲイでフォザギル夫人はいわゆる‘beard’(「ビアード」、ヒゲの意)、つまり同性愛者がそれを隠すために付き合ったり、結婚したりする相手ではないかと言われています。

 ガブリエルが興味を示す女性はこの暴力大好き人間のミセス・フォザギルと、息子でありかつ娘でもある犯罪の好敵手モデスティだけです。さらにその関心も生活や仕事を一緒にしたいというようなもので、性欲やロマンティックな感情が介在していないようです。何もかも大げさで華やかなガブリエルはステレオタイプにキャンプなゲイ男性として描かれているように見えます(演じていたボガード自身、おそらく異性愛者ではありませんでした)。息子であり娘であることを当たり前に考えて楽しく生きるモデスティに比べると、定型的なゲイの悪役であるガブリエルには時代による限界が見受けられますが、一方で『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』に出てくるローマン(ユアン・マクレガー)などを予告するタイプの悪役であるようにも見えます。

 『唇からナイフ』は変な映画ですが、それなりに魅力のある作品でした。007を女優に演じさせたらどうかなどという話題も出ている今、モデスティ・ブレーズは女性スパイアクションとしてシリーズ化するのにふさわしい映画なのかもしれません。60年代のオシャレを体現するようなモニカ・ヴィッティの魅力を記念する意味でも、是非リブートしてほしいと思っています。

参考文献

White, Rosie, Violent Femmes: Women as Spies in Popular Culture, Routledge, 2007.
ホスキンス、バーニー『グラム!――真実のベルベット・ゴールドマイン』今野雄二訳、徳間書店、1998。

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