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特別養子縁組によって親子になった著者夫婦と娘のアンちゃん。母は娘が幼い頃から養子であることを伝える「真実告知」をしながら、しっかりとした親子関係を築きました。そして都会の短大を卒業したアンちゃんは、ネイルショップに就職して……
第4章 花ざかりのアン
2年間のひとり暮らしを乗り越え、短大を卒業したアン。大学で習得したネイルの資格で、ネイルショップに就職し、某デパートのテナント店のメンバーとなりました。アンの社会人生活の始まりです。
デパートコードの研修を受け、ごあいさつや言葉遣いなどのマナー、さらに会員カードの割引きや消費税の計算など、アンいわく「身体はヘトヘトで、頭はがんがん」するような試練をくぐり抜け、仕事に燃えていました。先輩との技術の差にため息をつき、年配のお客様との会話に苦慮し……、細かく聞けば聞くほどに感無量の母でした。
練習台になるためにアンの勤務先を訪れたとき、まず、そっと観察しました。
磨き上げられたモノトーンの棚を背に、色とりどりの商品に囲まれて、きりりと引き結んだ口元、ピンと伸ばした背筋、てきぱきと働く私のアン。小さなあどけない赤ちゃんが、のんびりした小学生が、やんちゃな中学生が、未来が見えなくて迷っていた高校生が、必死で課題に取り組んでいた短大生が、花開いた大人の女性に成長していました。
それでも、帰省すると自称「ファザコンでマザコン」のアンに戻り、ごはんのメニューにあれこれ注文をつけて甘えてくるのもまたよし。
アンが帰ってくると知ると、いつも夫は大興奮。やれ何時のバスなのか、布団を干しておけ、お金はあるのか(意味不明)、何を食べさせるんだ……などと大騒ぎして「休みが少ないのう、忙しいのう、アンは大丈夫か?」なんて言いながら、首を長くして到着を待ちます。そして、娘の帰りを喜んでの大演説の始まりです。久しぶりに娘に会う父の、嬉しくてならない様子に多少うるさくても水を差さすことなく、うまく相槌を打ってあげるアン。いつも感心させられます。
アンはアンで、仕事や社会についての自分の考えを話していて、それを夫にほめられると、すごく嬉しい様子でした。大人のアンの中には、いまだに小さなアンがいて、「パパ! 大好き! アンをほめてね!」とでも言っているようです。
夫のほうも相変わらず「うちの子」感覚が抜けず、甘いから、何か大きな買い物をしたと聞けばすぐ「大丈夫か、お金を送ってやれ、給料が安いんだから」と。そう言われた娘のほうが「いいよ〜。これ以上、甘えるのは社会人だし、おかしいでしょう」と引いてしまうほどです。
アンが里帰りするたびに喜んでいるのは、おばあちゃんも同じ。ほんの形ばかりのお土産に大喜びして、おじいちゃんの仏壇に供えるのです。
「まさかアンちゃんにお土産もらうようになるとは……。こんなうれしゅうてありがたいことはないね、おじいちゃん!」
私の二度目の母なので、もちろん私と血のつながりはなく、ましてや私の養子のアンとは縁もゆかりもないはずの人なのに、そして昔の私とは心が通わなかった人なのに、アンの心の故郷となってくれました。
思えば不思議な関係です。おばあちゃんと私とアン。こんなに深く関わりあってきたのに、ひとりとして血のつながりがないなんて。「血は水よりも濃い」なんて言いますが、「血より濃い水」も確かにあります。
あちこちのサイトやSNSで特別養子縁組が成立したとのうれしい話を拝見すると、もしかして大甘のおばあちゃんが増えるのでは、とつい笑顔になることも。
若い頃は母に心を開くことができず、なんとなく無視したこともあった私。でも、アンが母と私の絆を結び直してくれました。
次回更新は2月28日(月)です。
【特別養子縁組について】
特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。
厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。