『星野源のおんがくこうろん』テレビはこれくらいおいてけぼりでもいいんじゃないか ぼちぼちテレビ日記

文=西森路代
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2月11日

 『ヒルナンデス』(日本テレビ)で久本雅美とシェリーと久間田琳加の三人が「ノーナレーションで旅気分」ということで、白銀の世界を旅していた。世代やキャリアなど、共通点はなさそうな三人だが、終始楽しそうで、途中、車の中でけっこうきちんと話していたのがよかった。しかも、ノーナレという演出で、三人だけという親密さもより感じられる。つっこみみたいなものが入らないからか。この番組の旅ロケは、実はいいものが多いし、そういう企画をずっと続けてくれてるのもいい。大久保さんといとうあさこさんとか、阿佐ヶ谷姉妹とか。

 実はこの番組、始まったときは、こんなもんが続くわけがないとかとバカにされていたのもみた。コロナ禍で家にいるということも大きいのだろうけれど、いまやゴールデンタイムの番組すら「ヒルナンデス」スタイルに近くなっている。

 こうした番組が「こんなもん」と言われるのは、「生活」が中心だからだし、「生活」は女のするものだからというのもあるだろう。今でも「生活」をテレビで扱うことを下に見ているテレビの人は実はまだいると思う。

 『星野源のおんがくこうろん』(NHK)が始まった。第1回は「ビートの求道者 J・ディラ」。最初に紹介されたディアンジェロはリアルタイムでめちゃくちゃ聞いていた。J・ディラはそんな意識して聞いていなかったけれど、検索したらミント・コンディションもプロデュースしていて、彼らのアルバムは上京するときにも持ってきてた。でも、知らないことだらけだった。

 番組についていうと、以前の『おげんさんといっしょ』で、『さわやか3組』のオープニング曲を紹介していた。こういう曲が小さい頃にテレビを通じて自然と耳に入ることが重要なのだというようなことを言っていたと思う。それはある種、子供のころから自然と入ってくる音楽的な知識、つまり教養とかも意味していると思った。

 私はそのときの『おげんさんといっしょ』の放送を見て、朝日新聞の連載に「知らず知らずのうちにイケてる音楽を摂取する重要さをさりげなく説く。その後の演奏からは、星野源も子供たちに自然に良いものが届けたいという思いがあるのではないかという気がしてきた」と書いたのだが、この『星野源のおんがくこうろん』では、子供に限らず、大人にも音楽的な教養を、気軽に身に着けられることを考えているのではないかと思ってしまった。星野源は、いまやそういうことも背負っているし、それがこの番組でいい形で出てるのかなと思う。

2月16日

 『なるみ・岡村の過ぎるTV』をTVerで。目当てはティーアップ長谷川の私服コーディネートを紹介する「長谷コレ」だったが、前半の自転車特集も、吉本芸人のチャリ事情が紹介されていて興味深くみる。特に、吉本新喜劇の末成映薫さんが、決め決めのファッションとピンクの自転車で大阪の街を颯爽と走り抜ける姿が、非常に格好よかった。関西のこういう生活情報の番組は、東京とちがっていてなにかいいものがある。

2月19日

 『まつもtoなかい ~マッチングな夜~』(フジテレビ)。すごい人同士をよくかけ合わせたものだとも思いつつも、実は意外性がないなとも。そして、一組のトークの時間が微妙に短いので、もうひと盛り上がり、もうひと深堀りしてくれるのかなと思ったら終わってしまった。でも、ゴールデンでたくさんの人に見てもらうには、こっちのほうがあってるのだろう。

 菅田将暉と山田孝之のトークで韓国ドラマについての話題が出たが、こうした話題が出る時点で、日本は韓国を「気にしている側」なのだと思う。

 菅田将暉の「(韓国は)ちゃんとラブストーリーをやっている」「30半ばの俳優さんたちが全力でラブストーリーに向き合ってるし」「体感としてやっぱちょっと照れるし恥ずかしいし」「こういうの見たいんだろというところにちゃんとナルシストになって向き合わなきゃいけないから」「そこをちゃんとやってることのファンの作り方があるのかなと思った」と言っていて、かなり納得した。

 たぶん日本の人がそのままやっても、演じる側にも見る側にも照れが出てしまうという感じは想像できる。だから菅田将暉の出るラブストーリーが『花束みたいな恋をした』になるのも当然で、あれは日本にいて感じる、共有された感情表現であったと思う。

 私は日本のコンテンツにも面白いものはあると思ってるのだけれど、Netflixを通じて世界を熱狂させるような作品について言うならば、やっぱりちょっと方向性が韓国とは違うなと思う。それってたぶん個々のがんばりがとか技術がどうとかよりも、企画なのだと思う。今週、仕事でWOWOWのドラマを何本も見ていたけれど、韓国のネトフリの企画っぽいものは(あくまでも「企画が」である)、むしろWOWOWにあるのだなとは思った。

 中居正広は韓国ドラマや映画が好きと聞くが、こういう話をどう思ったのだろう。MCはゲストを立てて意見をしないほうがいいのかもしれないけれど、ほんとのところの気持ちをMCが出すことで、話が深まってもそろそろいいのではないか。むしろそっちのほうが面白かったんじゃないか。中居君も、自分だけがMCを務めるレギュラー番組ではやっていると思うが、この番組ではバランスを考えているのだなと思った。ただ、やっぱり中居君が韓国映画について自由に語るときは面白い。

 今のテレビ番組が、誰かをおいていくことを気にしすぎているのかもしれない。それからすると、『星野源のおんがくこうろん』のおいてけぼり具合は、私が今最もテレビに求めるものではあるし、やっぱりそこをわかってやろうとしている星野源はすごいなと思う。

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