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特別養子縁組によって母になった著者。娘のアンちゃんに幼い頃から養子だと伝える「真実告知」をして確かな関係を築いてきましたが、反抗期は大変だったそう。そこで実子だろうと養子だろうと訪れる反抗期・思春期について、親子で語ってもらいました。
第4章 花ざかりのアン
大人になった娘・アンが振り返って語った反抗期。私の知識と自分自身の反抗期を照らし合わせてみても、想像していたのとそれほどのずれはなかったです。
子どもはひとりずつちがいますから参考にならないかもしれませんが、娘の話を聞くことで、今、反抗期にあるお子さん、またはこれから反抗期になるお子さんがいるお母さんやお父さんの気持ちが少しでも軽くなれば、少しでも何かの参考になればと思っています。
アンの話を聞いて「うちの子は、それほど大変じゃない」とホッとする方がいてくだされば、ちょっと報われた気持ちになってしまうかもしれません。
娘「あのときは学校が嫌い、先生も親も大人はみんな大嫌いで(おばあちゃんだけは例外)、何よりも自分のことが大大大嫌いだったんだよね。でも、別に養子だからってわけじゃなくて、反抗期だったからだよ」
私「そっか。中学まではそこそこ真面目にしてた勉強も、高校になってからはチャランポランになって成績が急降下したよね」
娘「私、“高校なんて卒業しなくてもいいじゃん”なんて言ってたけど……。でも、じつはひそかに“こんなにバカなアンを、お母さんもお父さんも好きなはずがない”って思って不安になって、それでも素直に勉強できないし、そんな自分をますます嫌いになっていってたんだ」
私「アンのこと、どんなときだって嫌いになんてなれなかったよ。毎日、お母さんがどんな思いでお弁当を作ってたと思ってんの! でも、アンの行動に堪忍袋の緒が切れたお母さんが、“アンが大人になって結婚して、自分にそっくりな娘を育てて、その娘から同じ苦労をさせられる姿を早くみたい!”なんて言ったこともあったね(笑)」
娘「あはは、あったね〜(笑)」
そういえば、反抗期のアンは、産みの母のことを「世界でいちばん憎んでいる人」と言ったことがあります。その真意についても聞いてみると……。
娘「それも反抗期だったから、生まれたての私を手放したってだけで、どさくさまぎれに憎んでたんだよね。反抗期にはいろいろな不満を探し出しては親にぶつけるけど、私の場合はその口実がひとつ多かっただけなんじゃないかな。今では産みの母を憎んでなんかいなくて、本当に無関心。手放すしかなかったんだろうし、私は今の家で育ってすごくよかったしね。っていうか、お母さんとお父さんのいる家が、私の唯一の実家だから」
私「そっか、よかった」
娘「もしも若すぎた産みの母が無理をしてシングルマザーとして育ててくれていたとしても、お互いにつらい思いをしていたかもしれないし、進学も自分の夢もあきらめたかもしれない。だから、今その人も幸せに暮らしてくれていたらいいなと思うけど、それくらいかな」
私「“産みの母”に会ってみたいという気持ちはないの?」
娘「もちろん、単純にどんな人だろうという興味はあるけど、わざわざ会いに行くほどの気持ちはないなあ。しょせん関係のない、よその人っていう感じがする。会っても何を話したらいいのか、よくわからないしね。もしもお母さんがお膳立てをして会うことになったら、かえって不安になるかも。ひょっとして私を手放す気なのかな、なんてね。もしも会うとしても、物陰からどんな人なのかのぞいてみるだけで充分!」
ところで、アンが言うには、反抗期は高校2年生になった途端にすっきりと終わったのだそう。当時まだ先生に反発したり、ちまちまと悪いことをする同級生もいたけど、急に「あんなことをして何が面白いんだか」と思うようになったそうです。
でも私から見たら、高校2年生以降も振り回されっぱなしで、あれが反抗期でなかったとしたら、なんだったのかと思います。ただのわがままだったのかもしれません。
次回更新は4月18日(月)です。
特別養子縁組について
特別養子縁組は、子どもの福祉のために(親のためではなく)、子どもが実親(生みの親)との法的な親子関係を解消し、養親(育ての親)と実子に等しい親子関係を結ぶ制度です(※)。そんな特別養子縁組制度が成立した翌年の1988年、うさぎママ夫妻は児童相談所の仲介で0歳の娘・アンちゃんと出会い、親子になりました。
厚生労働省 特別養子縁組制度について
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000169158.html
※この連載は、書籍『産めないから、もらっちゃった!』(2012年、絶版)の改定版を公開するものです。