「男らしい」コメディ、「女らしい」オペラ~レオス・カラックス監督『アネット』

文=北村紗衣
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© 2020 CG Cinéma International / Théo Films / Tribus P Films International / ARTE France Cinéma / UGC Images / DETAiLFILM / EUROSPACE / Scope Pictures / Wrong men / Rtbf (Télévisions belge) / Piano

 4月1日に公開されたレオス・カラックス監督の新作『アネット』は、グラムロックのバンドであるスパークスが音楽を担当したミュージカル映画です。

  コメディアンのヘンリー(アダム・ドライヴァー)とオペラ歌手アン(マリオン・コティヤール)のロマンスと、その間に生まれた娘アネットの関係を描いた本作は、華やかな舞台芸術の世界を背景に、そこで生きるパフォーマーたちの人生がいかにフィクションに影響されてしまうかを描いた寓話のような作品です。

  凝った構成や音楽、驚くようなヴィジュアル上の工夫などさまざまな点から考えられる作品ですが、この記事では主に芸術とジェンダーの観点から見ていきたいと思います。

2つの舞台芸術

 『アネット』は、2つの舞台芸術がクロスすることによって起きる悲劇を描いています。アンはシリアスなオペラのヒロイン役を得意とし、コメディアンのヘンリーは尖ったネタで人気を博しています。対照的な2人は作中で「美女と野人」(Beauty and the Bastard)と呼ばれています。

 この作品では、コメディはステレオタイプな男らしさ、オペラはステレオタイプな女らしさに結びつけられていると言えます。アメリカ合衆国などでは人を笑わせるユーモアのセンスは伝統的な男らしさの一部と見なされやすく、女性は男性に比べると面白くないというステレオタイプが存在し、スタンダップコメディの世界は非常に男性中心的です。

 そうした世界で先端的なパフォーマンスを披露するヘンリーは荒々しく「男らしい」アーティストとして描かれており、冒頭でアンにショーがうまくいったか聞かれた時には「死なせた」(I killed them)と答えるなど、自分の芸をある種の暴力の行使として提示しています。舞台上のヘンリーは笑いで観客を操る権力を持っており、パフォーマンスがうまくいけば相手を支配できます。ヘンリーが嫌がるアンをくすぐって笑わせようとする場面があるのですが、これは一見、恋人同士の微笑ましいおふざけに見えるものの、なんとかして笑わせれば相手を支配できると考えているヘンリーの芸人としての業の一端をも垣間見せる描写です。

 オペラは女性が主人公であることも多く、女性歌手が活躍する芸術ですが、アンのようなプリマドンナが歌う役柄は残虐な扱いを受けることが多く、美しさや優しさ、自己犠牲など伝統的な女性像を理想化することもしばしばで、女性の主体性をしっかり描くような演目は必ずしも多くありません。コメディに比べるとオペラは「女らしい」芸術ですが、そこで提示される女性像は暴力を被る存在です。ヘンリーは冒頭のショーでアンが舞台で死んでばかりだと言っており、本作は最初からヘンリーを「男らしい」コメディにおける暴力の行使者、アンを「女らしい」オペラにおける暴力の被害者として提示しています。

 中盤で、ヘンリーがバイクで通る帰路にアンがオペラで演じるさまざまな役柄が重ねられるところがあります。『カルメン』や『オテロ』、『蝶々夫人』などが登場しますが、これについて『オペラワイア』のデイヴィッド・サラザーはいずれも「男性の悪」を描いた作品であり、『アネット』はオペラにおけるミソジニーに焦点をあてていると指摘しています。アンはこうした悲劇のヒロインを演じつつ、「王国の女王に王は要らない」と歌って男性に主体性を奪われる罠に陥らないよう注意していましたが、それでもヘンリーに心を奪われて「王」を自分の世界に招き入れます。

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© 2020 CG Cinéma International / Théo Films / Tribus P Films International / ARTE France Cinéma / UGC Images / DETAiLFILM / EUROSPACE / Scope Pictures / Wrong men / Rtbf (Télévisions belge) / Piano

演技と言霊

 妻が舞台で死ぬ演技をする間に家で幼い娘の世話をするヘンリーは、だんだん男としてのプライドに揺らぎを感じるようになります。ある日ヘンリーは舞台で妻殺しに関する全く面白くない悪趣味なネタを披露し、観客からブーイングを受けます。ヘンリーのキャリアは下降しますが、アンは相変わらず大スターで、ヘンリーの不安はますます募ります。このあたりから『アネット』は、1937年の古典的なハリウッド映画で2018年にもリメイクされた『スタア誕生』を意識したような展開になります。

 ヘンリーを演じたアダム・ドライヴァーがヒントにしたコメディアンとしては、クレジットでクリス・ロックとビル・バーがあげられています。たしかに一見してすぐわかるくらいヘンリーのショーにはクリス・ロックの影響があります(余談ですが、私は日本語版ウィキペディアにロックの一番物議を醸した演目の記事を書いたくらいはクリス・ロックが好きです)。

 奇しくも3月27日に行われたアカデミー賞授賞式でクリス・ロックが、脱毛症を抱えたジェイダ・ピンケット・スミスの髪型をからかうジョークを言い、これに怒ったジェイダの夫ウィル・スミスがロックを殴るという暴力沙汰が発生しました。暴力が許されないのはもちろんですが、一方で尖ったネタが得意なロックが、変わりつつある現在の笑いの基準やその場の雰囲気を読み違えてまずいジョークを言って失敗するというこの一場は『アネット』のヘンリーの物語によく似ています。

 現実を予見するような内容になってしまった『アネット』ですが、作中でもここでヘンリーが披露するネタはその後の展開を示唆するものになっています。

 ヘンリーはもともと自分の私生活をネタに即興的に話すのが得意なパフォーマーであるようで、妻殺しのネタもあまり練られたものには見えず、その場で思いもかけないところから出てきたように見えます。これは人前で何かを披露したり、話したりする仕事の人には身に覚えのあることだと思うのですが、観衆の前に立つとその場の雰囲気に乗せられてしまい、今まで全く考えてもいなかったようなことが浮かんできて事前の準備にないことを言ったり、やったりしてしまう……というのはよくあります(私も講義などで学生の前に出ると、授業準備の時には一切、考えていなかったことをいつの間にかえんえんと話しているということがたまにあります)。これがうまくいくこともあるのですが、ヘンリーの場合は全くうまくいきませんでした。

 しかしながら、ここで即興的にポンと出てきたネタがその後、言霊のようにどんどんヘンリーの生活を蝕み、結局中盤でヘンリーが舞台で披露したネタの現実版のようなことが起こり、アンは死んでしまいます。ヘンリーはコメディの中に真実があると考え、自分の芸を大事にしていますが、その結果、自らの演技の内容通りに生きてしまうことになり、暴力の行使者という役割を実人生でも演じてしまいます。

 一方で男性に自分の人生を奪われないようにしたいと思っていたアンも、結局愛するオペラのヒロインの演技をなぞるような形で人生を終えることになります。アンもヘンリーも、自分たちがアーティストとして作り上げているフィクションを愛しすぎたがゆえに、そこで描かれた物語を生き直してしまいます。カラックスは前作『ホーリー・モーターズ』でもフィクションへの愛を描いていましたが、本作もフィクションを愛する者の人生がいかにフィクションから強い影響を受けるのかをやや誇張した形で描いていると言えるでしょう。オスカー・ワイルドは『嘘の衰退』で「人生は芸術を模倣する」という有名な言葉を残しましたが、『アネット』の前半はこの名言の世界観を描いていると言えます。

一線を越える演技

 総合芸術としての舞台や映画はあらゆる手段を用いて幻にすぎない物語をできるだけリアルに提示し、観客を没入させようとする魔法のような芸術です。幻影を作り出す者は権力を得ることができます。『アネット』は、演技によって作られるフィクションとそれが生み出す権力に執着しすぎたがゆえに一線を越えて不幸に陥る男の物語であり、パフォーマンスを生業とする男性アーティストのエゴやプライドが悲劇を招きます。おそらくこれは#MeToo運動の告発などによってショービジネスの男性中心的な文化や男性有力者の自己中心的な横暴ぶりが暴かれ、従来の男らしさ観が問い直されるようになった映画の世界では、非常に身近な主題です。

 たとえばギレルモ・デル・トロ監督の新作で、読心術ショーの達人であるスタンを主人公とする『ナイトメア・アリー』(2021)は、『アネット』と似た主題を扱っています。

 オペラやスタンダップコメディの伝統を参照した『アネット』同様、『ナイトメア・アリー』はリメイク元である『悪魔の往く町』(1947)をはじめとして過去の様々な作品や芸能文化を下敷きにした映画ですが、自分のパフォーマンスから得られる権力に酔ったスタンが一線を越えるような危険なショーを行い、そのために破滅していく様を描いています。

 『アリー/スター誕生』で主演をつとめており、男の見栄ゆえ挫折する役柄はお手のものであるブラッドリー・クーパーがスタン役です。やや変則的な二部構成で演技にこだわりすぎた男の成功と失墜を描いている点でも『アネット』と『ナイトメア・アリー』には共通点があります。この2作は強いフィクションへの愛と、それに対する内省としてのフィクションが生み出す権力への警戒が反映された物語であると言ってよいでしょう。

参考文献

Wilde, Oscar, The Complete Works of Oscar Wilde, gen. ed., Russell Jackson and Ian Small, Oxford University Press, 2000.
Saku Yanagawa『Get Up Stand Up! たたかうために立ち上がれ!』産業編集センター、2021。

公開情報

邦題:アネット
原題:ANNETTE
監督:レオス・カラックス
出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーグ
原案・音楽:スパークス
歌詞:ロン・メイル、ラッセル・メイル & LC

2021年/2時間20分/1.85:1/カラー/仏・独・ベルギー・日・共同製作/配給=ユーロスペース

公式サイト: annette-film.com

2022年4月1日(金) ユーロスペース他全国ロードショー

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