当事者たちを訪ね歩く旅へ
もう一度言おう、私は自分を女性と思うことができない。
思いかえせば人生をとおして、自分は男性だという認識があった。だが、私は自分をマイノリティであると、長いあいだ受け入れられずにいた。
「一時的な気の迷い」
「思春期が長引いている」
「社会の男女不平等のせい」
……と、何かと理由をつけては、自分を“普通の人”だと言い聞かせてきた。私は「そっち」側ではない。メディアを通して「LGBT」という語を見聞きはしていた。でもその語で示されるのが、どういう人たちなのかはよくわかっていなかった。そう呼ばれるのは、特別にしんどい思いをしている「可哀想な人たち」だけだと決めてかかっていた。
それどころか、すべての女性が同じ悩みを大なり小なり抱えているとすら思っていた。女性はみんな女性であることに耐えている、我慢している。私もこの社会で生きていくためには、我慢して生きていかなくてはいけない、それができないのは私に堪え性がないだけだと。
まるで、アルコール依存症の人が「まだ大丈夫」「依存症と言うほど深刻じゃない」と飲酒をやめないように、私は性別違和があると気づきながらも、否定しつづけていた。それは、「否認」と呼ばれるものだ。深刻な状態から自分を守るための、一種の心理的防衛機構と考えられている。依存症の場合、その否認を克服することが回復のプロセスになるのだそうだ。
私自身、自分で思っている以上に、限界だったのだろう。無自覚ながら、現状を打破する方法を求めていたのだと思う。
「視野を広げるため」
「最近話題だから知っておかないと」
そんな言い訳をしながら、当事者が集まる場を探し、私は当事者たちを訪ね歩いていった。
否認を克服することが回復のプロセスーー。言葉にすれば簡単だが、ジェンダーと向き合うことは、想像以上の苦行だった。それは、私の人生をすべてひっくり返して整理し直すに等しかったからだ。
ジェンダーは幼少期から少しずつ獲得していく価値観だ。「女の子にはやさしくしよう」とか「男の子は泣いちゃダメ」など、モラルや倫理観とも密接に関わる。そんな社会通念は、私の中にもしっかりと根付いている。自分が信じてきたように自認も女性だったら、どんなに楽だったろう。あるいは自認のとおり男性の体で生まれていたら、矛盾に苦しむこともなかっただろう。
だが、そんな終わりが見えない長い旅に出発していたことに、そのときの私は、まったく気づいていないのだった。