『悪女(わる)』『あちこちオードリー』今時、ガッツや真心だけで社会を渡り歩けるのか ぼちぼちテレビ日記

文=西森路代
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4月5日

 『さんま御殿』(日本テレビ)の「インテリ美女VS雑草美女」というバトル。バトルに辟易しているのはもちろんなのだが、最近は、過度に出演者同士で傷つけあうようなことは言いたくないという気持ちが出演者側にありそうなのを感じる。

 この日は、瀬戸内海放送のアナウンサーだったという女性が出ていて、慶応の話ばかりしていた。慶応の話ばかりしていた。それも、女性は慶応の男性を紹介してもらいたがっている、というような文脈だった。それが本気か、それとも番組を盛り上げる役割だと思っているのかは正直わからない。気づいていないけれど、求められている役割を演じているのか。

 背景はわからない上で思ったことなのだが、地方のアナウンサーが全国で仕事をする、しかも大きなバラエティ番組に出られるというのは、一生を左右するほどのことだろう。なにか印象に残れば、一発逆転で活躍の場が広がるということもある。しかし、今の世の中、あまりやりすぎれば「やってんなあ」とバレてしまうし、本気で女子のバトルを仕掛けるようなことをしたら、見ている方は疲弊してしまう。時代遅れに懸命にバトルをけしかけているアナウンサーを見ていると、地方にいて、バラエティのちょっとした変化を掴めていないのではないのかと思えてしまった。もしくは、それでも愚直にやるしかないと思っているのだろうか。

 しかも今はそれだけでない。バトルを仕掛けても、そこまでのおいしい見返りがないのだ。彼女が一生懸命に女対女の構図を作っても、だからといって印象に残ったかというとそんなことはない。手垢がついて新しくもなんともないからだ。

 頑張って結果を残したいのはわかるけれど、あんまり自分を偽って、しんどいことをやっても、なかなか何かを得るのは難しいんじゃないだろうか。

4月7日

 『アメトーーク』(テレビ朝日)の「今年が大事芸人」。マヂカルラブリーが、過去のかっこいいグラビアや、ふたりが仲の良い様子の写真を撮られるということで、実際に撮った雑誌の写真を見たけれど、なにか真面目な顔をして被写体になっているのが面白かった。

 芸人が、アイドル扱いをされて、かっこいい写真を撮られるのが苦痛だったと振り返って言っているのを見たことがある。その気持ちもわかる。特に、若手も若手で、20代前半に、自分の芸人としての「おもしろさ」がちゃんと確立していないときに、アイドル的な人気ばかりをフィーチャーされたら、それは不安を感じるかもしれない。なぜなら、そっちばかりが一人歩きし、芸人としての本分である「おもしろさ」が評価されなかったら、その芸人の職業的なものが揺らいでしまう可能性だってある。それが消費ということなのだと思うけれど。

 ただ、もう何年もやってきて、実力が認められたという実感のある芸人は、こうしたグラビアも「おもしろいこと」として、挑戦することができる。こんな歳になって何やってんだ俺たちとか、こんなこともやってるんです、笑えるでしょ?と言えるのだ。そのとき、グラビア撮影も、大真面目にやったほうが面白くなるのかもしれない。

 この間も、かまいたちの濱家がananで大真面目なグラビアをやっていたのを見て、パンサーの向井さんが、自分もああいうのをやりたいと言っていたのだが、それもそういうことなのだろう。昔みたいに大真面目なグラビアをバカにして取り組むよりも、そっちのほうがいいなと思える。

4月11日

 『午前0時の森』(日本テレビ)のレギュラー第一回。パイロット版で前田日明の発言に批判が集まったが、劇団ひとりと村上信五のトーク部分はけっこう本音が出ていて面白かった。

 今回のレギュラー第一回では、VTRは全てなくなり、ふたりのトークのみになっていた。スタジオには、大人たちがたくさん見に来ていて、とりつくろった番組コンセプトに変わっていた。劇団ひとりは、「そういうの(刺激的でギリギリのことをやろうというパイロット版のコンセプトを指している)もとから無理なのに」といっていたが、番組側がおしていた企画で巻き込まれ怪我をさせられたことに対して、ふたりとも、なにかしらの言いたいことがあるように見えた。

 レギュラー回では、トークテーマが手書きで箇条書きになっており、それに対して二人でしゃべるというものになっていた。村上は番組が始まる前に、がっつり打ち合わせをしていたそうで、これでは局アナの仕事だともらしていたが、最後まで番組の進行がさぐりさぐりであった劇団ひとりは、俺も打ち合わせに参加したいと言っていた。それって、やっぱり不安だからなのだろうと思う。芸能人だって、テレビ局が準備した「無理のあるおもしろ」に合わせて怪我はしたくないのだと思うし、そう思ってることは、ある程度視聴者に伝えたいのだと思う。

4月13日

 『悪女(わる) ~働くのがカッコ悪いなんて誰が言った』は1990年代に日テレでドラマ化されていて、2022年に二度目のドラマ化(原作は深見じゅんの漫画『悪女』)。

 主人公のまりりんは、ポジティブで元気。社内では常に駆け足で、すっころんだり、シュレッダーをかけられた後のゴミをあやまってぶちまけたりもする。社内で人を探すときに、机の上にのっかって、大声でその人の名前を読んだりもするような大胆な性格。そんな姿を見て、男性社員のひとりは「おもしれー女」という顔をして見ている。

 女性社員も、彼女の率直さにはあらがえない。閑職においやられている同じ部署の先輩も、普段はまりりんに仏頂面で対応しているが、ひとりでお酒を飲んでいるときに、ふと彼女のことを思い出して「ふふ」と笑ったりもする。コロナ入社で、フラストレーションの溜まった別の先輩女性も、まりりんに会社帰りに大声で声をかけられ、仕方なくではあるが一緒に飲みに行く。そこで、いかついサラリーマン2人組(鬼越トマホークが演じているのがハマっていた)にお酒の飲み比べを提案され、それを受けてたって飲み代をおごってもらう。

 先輩女性は、融通のきかない後輩女性に、まりりんを例に、「バカになれば、案外なんでもできるかも」とアドバイスするが、それが現代に必要なアドバイスなのだろうか。明るくポジティブで、なんでもいい方にとらえて、真心やガッツさえ伝われば仕事がうまくいくという時代ではない。だからこそ、それが必要なのだと言いたいのかもしれないが、仕事ってガッツでどうにかなるものではないというのは、もっと共有されるべきではないのか。

 『あちこちオードリー』(テレビ東京)では、「芸能界が生きやすくなる教訓」というテーマ。その中で若林さんが「メイク室で声がデカいタレントは、将来暴露本を出しそうだから関わらないようにしている」「声のデカさと自己顕示欲って正比例する」と言っていた。塚地さんも「ノックが強い人とかね」と言っていた。

 実は、楽屋挨拶やノックの話は他の人もしていて、千原ジュニアも、以前『にけつッ!!』(読売テレビ)でノックの大きい小さいの話をしていた。ノックの大きい人のことはあえて書かないけれど、ベストなノックをする人として、箕輪はるかとピースの又吉直樹を挙げていたのを見て、自分もそっちの世界のほうが合うなとは思った。

 今までの芸能界は、挨拶をしないだけで大勢の前で吊るしあげられた東京03がいたくらいで、ノックが大きいほうがいいとか、過剰に元気な挨拶をしたほうがいいという風習みたいのがあったのだと思うが、最近はそうではなくなったということなのかもしれない。この話も考えてみれば、今の時代、目に見えた「ガッツや真心」でやっていけるわけではない、ということを表しているのではないか。

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