4月21日
今期、女性がMCを務めたり女性が中心のトーク番組がたくさん始まっている。『トークィーンズ』(フジテレビ)は、何度か単発で放送されていた企画がレギュラー化したもの。指原莉乃やいとうあさこら、女性たちがひな壇に並び、同時にMCでもあるというスタイルで、この日はゲストの野田クリスタルに根掘り葉掘り話を聞くのは若槻千夏だった。
野田クリスタルは普段はお笑いにストイックな印象だが、この回では恋愛のことばかりを話していた。
普段はスタッフが行う事前取材を若槻自身が行うというのも、番組としては目玉のようだ。このときの若槻がかなり追求して、現在の野田と彼女とのエピソードを聞き出す。そして野田の素直な思いに、最終的には若槻やMCひな壇席のファーストサマーウイカも少し泣きそうになっていた。
野田は最初は防御していたし、その態度にMC陣も違和感を持っていたが、野田が観念して面白いとか面白くないとかを取り払って話すという姿勢になっていくと、彼女に対しての思いが純粋なこともわかってきて、第三者として「よかったね」という思いにいたってしまった。普段はこういうものがあんまり好きではない自分でも、素直に見れてしまったのが不思議だった。
ただ、インタビューにおいて恋愛の話や好みのタイプを聞くのは、もう違うとも思っているし、テレビドラマやバラエティが恋愛話ばかりなことにも違和感を持っている。それなのに、この回を素直に観れてしまったのはどういうことなのかは、おいおいわかってくるのかもしれないので、とりあえず現時点では思ったことだけでも。
4月28日
『世界大惨事大全』(BSプレミアム)は、スペースシャトル、コロンビア号の空中分解事故に迫るという内容。「はじめはちいさなほころびが気づかないうちに広がっていく」というナレーションがこの番組を物語っている。
事故の原因には技術的なことはもちろんあるが、報告書によるとNASAの内部では当時「どんな困難も乗り越えられる」という過信した空気があったという。また、ベトナム戦争もある中で、宇宙開発も予算削減が求められ、そんなときに作られたのがスペースシャトルだった。
スペースシャトルは費用対効果をアピールするために、政府と約束した「機体を再利用」を実現させるために、ほぼ毎週打ち上げなくてはならず、その上、宇宙ステーションに資材を運ぶことなどの過密なスケジュールが祟り、計画通りに打ち上げることを重要視したことが、事故につながったのだという。
現場では無理であることはわかっているのに、一度回り始めたプロジェクトは止められない。そこかしこで起こっていることであるが、現場の危機感や意見は上層部にはなかなか聞き入れてもらえないし、実際に犠牲になるのは、現場の人たちだ。
知床の遊覧船事故、軽井沢のバス転落事故はもちろん、『踊る大走査線』の「事件は“会議室”で起きてるんじゃない。 “現場”で起きてるんだ」というセリフも思い起こした。
しかし、こうした事故に関する報道や言論も繊細さを要することが頭によぎる。遺族や当事者を守りながらも、失敗を繰り返さぬためにあらねばならないと考えてしまう。
5月1日
『週刊さんまとマツコ』(TBSテレビ)は、若槻千夏がママタレント界の最新事情をプレゼン。いまどきのママタレが出たい雑誌は『VERY』(光文社)とか、いろいろフリップを使って説明するのだが、これも事前の打ち合わせから関わっているのだろうかと考えてしまう。昔だったら、スタッフが調べてまとめて、タレントはそれをうまく自分の言葉にして本番のみで語れればいいのだったと思うのだが、番組を見ている限りでは、かなり若槻本人が関わっているのではないかと思わせる。
そうじゃなくても凄いと思うけれど、本人が企画から関わってるとしても凄い。
と同時に、以前だったらもっとシニカルに揶揄をしたりおとしたりしそうなものだが、その辺のバランスも絶妙で、本人に失礼にあたらないようにしているように思えた。番組側が台本を作れば自分のことではないからと、無責任に過激に煽ることはあるだろう。しかし、プレゼンする本人が関わっていれば、より繊細に気を使えるのではないかとも思った。
この回でも、イジっているように見せていたのは、「(川崎希の夫の)アレクは本当はヒモのふりしてめっちゃ稼いでる」というものであった。これは、見ていてそうじゃないかと思っている人もいることだろうし、(若槻もその補足を入れていた)アレクが稼いでいるとわかっても、別に悪いことではない。そんな手の内を明かされることも本人たちにとっても話題として悪いほうには響かないだろうし。
若槻千夏は、人を傷つけたり貶めたりせずにいじるというラインも知っているのかなと思った。
対して、明石家さんまは、どこかまだわかっていない部分があるようで、ときどき本筋と離れた茶々を入れることがあったし(とはいえ、他の番組のように話をぶったぎったりしないというか若槻がそうさせないのでよかったし)、マツコは若槻よりもシニカルでうがった目線を持っていて、それが自分でありテレビだと思っているような感じのところが見えた。個人的には若槻こそが今のテレビのラインを一番わかっているのではないかと思えた。
『東京ブラックホールIII 1989-1990 魅惑と罪のバブルの宮殿』(NHK)。このシリーズは前から面白くて、第二弾の「東京オリンピック」では、当時の人もオリンピックを心待ちにしていたわけではなかったことを知った。
今回はバブル、しかもその当時に「魔性の女」と呼ばれた女性を中心に描く。実際にバブルを経験した女性も登場した。「アッコちゃん」こと川添明子さんだ。私も彼女をモデルにした林真理子の『アッコちゃんの時代』(新潮社)は発売されてすぐに読んだものだ。
この番組では、当時の映像とともに、時代に翻弄された「魔性の女」を描いたドラマ部分もあった。お金を与えてくれるバブル紳士によって、「自由」を与えられた「魔性の女」は、ananの「セックスできれいになる」特集を手にもっていた。
当時、確かに女性たちだけでなく、若者たちが経済的な成長によってさまざまな「自由」を手にした気分になっていたのは知っている。マドンナだって「マテリアル・ガール」を歌い、「SEX」という写真集を出していたのだから。
「マテリアル・ガール」の歌詞を今読むと、愛だなんだといいながら、口だけの人には騙されたくない、生きていくにはお金が必要なのだからと言っているのだと思うし、写真集では、SEXという行為や自分の身体は自分のものである、それが自由なのだと言っていたのだと思うが、たぶん日本ではどんどん意味が変わっていって、自由は自分のものではなく、男たちからそれを与えられたければ従順でいろという風になっていったようにも思う。
そう考えると、「魔性の女」であることは、どこかかっこいいというような風潮もあったように思うけれど、結局なんだったのだろう。男たちの想像力を掻き立て謎を残すことすら、一種のサービスだったのかもしれないと思えてしまう。