6月2日
『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ)。ジャルジャルの「カフェ」というコントは、カフェでコーヒーをテーブルにこぼした客が、店員の差し出すおしぼりを受け取らず、自分の白シャツで拭き取ろうと床にまではいつくばり、その姿を見た店員が「こういう人みてると胸グーなんねん」というもの。人がつらいめにあうときに、胸がグーとなるというのは、HSP(Highly Sensitive Person)のことに近いのかなと思って興味深いなと思っていた。
同じ番組で、霜降り明星の粗品が披露したピンネタは、「オモンない人のものまね」。その「オモンない人」のひとりは、企業系イベントとか、CM発表会見とかによくおる「おまえ誰やねん」ていう女性司会者であった。芸人の間合いを理解せず、変なタイミングで微妙なつっこみを入れたり、いじってくる女性司会者のことを指しているものだったので、見ていてこっちが胸グーってなってしまった。
前にも書いたけれど、芸人のネタにはインタビュアーをいじるものも多い。これも、自分のことを言われているのではないかと思って胸グーっとなる。特に私とかは、お笑い専門誌で取材に行くわけではないので、どこまでお笑いをわかってる人なのかわからない状態で相手は質問を始める。こういうときに、「お笑いを知らない人だ」とは思われたくないのである。
粗品のネタのように、自分が、お笑いをわかってない「オモンない人」のように、下手な返しをしたり、いじってきていると思われると、お笑いをずっと好きであった自分のプライドが傷つく。プライドの話だけでなく、自分の取材の態度が、後になって芸人さんにラジオでいじられたり、ネタになって誰のことかはわからない状態ながら、いじられるというのは、やっぱり傷つく。だからこそ、自分とは無関係の女性司会者が「おもんない人」にされてるのを見るのがキツいのかもしれない。もちろん、司会者がつまんないいじりをしてるところは、見たこともあるし、私も気になったりするものではあるけれど……。
その後、Aマッソが「紙媒体」というタイトルのネタをやっていた。さっきの粗品のことがあっただけに、紙媒体の我々がいじられたらどうしようと思って身構えていたら、想像の斜め上を行っていた。紙媒体を愛する誘拐犯が、紙媒体の重要さを誘拐された主婦に解くという、言葉ではどうにも伝えきれないほどの、すごいネタであった。Aマッソおそるべし。
6月9日
先週と今週の『ぺこぱポジティブニュース』(テレビ朝日)は、佐久間宣行さんがゲスト。この二週は、オールナイトニッポンのコラボでラジオのスタジオで収録。ラジオブースという空間で収録するだけで、喋りがラジオの喋りになるんだなと実感する。人は、場所で居方が左右されるものなのかもしれない。
一週目で「ラジオの強み」について聞かれた佐久間さんは、「90分とか120分あると、嘘がつけないよね。人柄がどうやっても出ちゃう」と言っていたが、本当にそうだと思う。ぺこぱの松陰寺もラジオに出る際には、「キャラ降ろしたもんね(キャラでテレビに出ていたが、ラジオではそのキャラをとっぱらったという意味あいだろう)」と語っていた。
この辺のことは、自分も参加した単行本の『テレビは見ないというけれど』(青弓社)でも書いたことだ。しかし、こういう感覚は日々変わっていくので、記しておかないといけないと思うし、まあこの日記もそのためにあると言っても過言ではない。
佐久間さんは、二週目の出演時に、松陰寺から『ぺこぱポジティブニュース』をどう思っているかと聞かれ、少し間があいていたが、そこに嘘がない。「番組の向かう先と、ぺこぱがどうなるべきかのバランスが完全にとれないままここまで来てる気がする」と率直なことを言っていて、かなり誠実だなと思った。私だったら、収録で、そんな指摘をぱっと思いついて、的確にしてあげることはできないかもしれないなと思ってしまった。ラジオのことを佐久間さんが冒頭で「嘘がつけないメディア」とは言っていたが、むしろ嘘をつくと「あいつ、嘘をついてるな」とばれて恥ずかしいから、「嘘をつきたくないと思わせるメディア」なのかもしれない。
この番組、メモすべきことが多すぎるのだが、佐久間さんは「トーク・サバイバー」はNetflixにバラエティがないから、絶対に当てないといけないと考えて、テレビとかYouTubeでここが配信のファンに強いだろうなと思うことを全部集めて、本気で計算で作った。だから実験はしていないと言っていたのも、凄いなと思った。マヂラブの野田クリスタルさんも、インタビュー時に「逆算」をポジティブに使っていたが(番組のタイトルにもなってるし)、「計算」という言葉の意味がネガティブではなくなってきている気がする。
6月11日
『ぴったり にちようチャップリン』(テレビ東京)は渡辺プロの芸人のネタの特集。最近、注目の金の国のネタが興味深い。金の国は、いわゆる「誰も傷つけない」ネタの多いコンビだと言えるだろう。しかし、「誰も傷つけない」ネタというのは、ちょっと浅い感じがしたり、表現を単にマイルドにしているだけと思われがちで、それでよく芸人も「誰も傷つけないネタをしているわけではない」とエクスキューズをすることになる。
「誰も傷つけないネタ」は誰かに優しくしたり、傷つけないことに注視するばかりに、解像度が弱まってるのではないかと思われているからだろう。なぜだか人は、人の悪の面を描くときのほうが、解像度が高いものだと思っているきらいがあると思う。私もそうかもしれない。
ただ、金の国のときは、そんな言い訳はいらない気がする。やさしさの解像度が高いからだ。例えば、金の国には、映画館でカップルがいて、彼氏がポップコーンを買って彼女に食べる?と聞くと、最初はいらないとかえすが、映画を見ているうちに彼女が食べたくなり、こっそりポップコーンのカップに手を伸ばし食べてみると、すごくおいしくて、そのうれしそうな表情をこっそり彼氏が見て、ほほえましく見たり、彼女はそのことに気づかずにどんどん食べていたら、見られていることにやっと気づいて……というコントがある。
言葉で説明してもなにも面白くないが、そのときの表情や、ふたりの心理が手に取るようにわかるからこそ、笑えるしほっこりできるのだ。簡単な設定でも、人の心情が複雑に表れていれば、そのネタの解像度が低いとバカにされることはない。
そんな優しいネタの多い金の国だが、この日やっていたネタはちょっと違った。シチュエーションは、男性芸人と出待ちの女性ファン。芸人がファンの服を見て、「それCU(GUをすこし変えているのだ)じゃない?」と尋ねる。その服は店舗に一着しか残っていなかったもので、男性芸人がぴっちぴちになりながら試着したものを、今、女性ファンが着ているのだと指摘する。すると、女性は出待ちをするくらいの、その芸人のファンなのに、気持ちわるさを露わにしてしまう。
このネタを見て笑う人は、女性ファンの気持ち悪さに「共感」しているはずだ。しかし、世の中の人、例えば極端に言えば、無意識で性的な加害をしてしまったり、その延長線上で痴漢を擁護するような人は、女性たちが、何をもって気持ち悪がっているかは理解できないと語ることは多い。けれど、この金の国のネタを見ると、本当はみんな、何が「気持ち悪い」かを知っているんじゃないかと思ってしまった。
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