心が傷ついた時に読む絵本『なみのいちにち』

文=ひとりがわそろこ
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 ここは、かつてのわたしの悩みに、現在のわたしが1冊の絵本を処方する、世界一閉じたお悩み相談室。悩み相談は、回答が立派すぎても萎縮するし、的外れでもむむむ……となる。その点、この自問自答型お悩み相談室は、相談者も回答者も同一人物なので相性抜群。なんて具合に自己肯定しつつ、今月のお悩みにまいります。

相談

「親友とけんかして決裂しました。友情とかもうどうでもいいので、最短でできる気持ちの切り替え方法を教えてください」(17歳のそろこ)

処方

『なみのいちにち』(阿部結作 ほるぷ出版)

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『なみのいちにち』(阿部結作 ほるぷ出版)

絶望の雨ざあざあ

 決裂おつかれさまです。親友とけんかをすると、どす黒い雨雲に世界が覆いつくされたような気分になりますね。そんな17歳のそろこに今回処方する1冊は、ずばり、わたしがこのたび編集を担当した『なみのいちにち』(阿部結作 ほるぷ出版)です。

 あなたの悩みに寄り添いたい一心で、本日は、この作品の制作裏エピソードや秘蔵資料を、職権乱用気味に大公開いたします。これを読み終える頃には、黒い雲の切れ間から、少しでも光がさすといいのだけれど。

阿部結さんが描く、気仙沼の海

 宮城県気仙沼市で、海と育った絵本作家の阿部結さんにとって、「海」は長年温め続けていた大切なテーマでした。絵本塾で創作の基礎をみっちり学んだ阿部さんは、これまでに海をテーマにしたダミー絵本を何冊も作っています。やどかりが主人公のもの、船と男の子のおはなし、民話調の作品。全て完成まで漕ぎつけた、精度の高いラフでした。

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阿部さんが作りつづけてきた、海の作品の完成ラフの数々

 しかし、「海が一番大切なテーマなら、阿部さんにしか描けない、阿部さんの海の絵本を作りましょう」と話し合った結果、阿部さんは、それまでのダミー作品を全て捨て去り、地元・気仙沼の海を主人公に、ゼロから『なみのいちにち』を作りあげました。

 なみは、「ねぼすけたち あさですよー」と鳥たちを起こし、「はたらきものよ さあ きょうも いってらっしゃい」と漁船を送り出す。泣きじゃくる子どもに近寄り「ぼうや、なみのうたを きいてごらん」とあやし、夜中には別人の表情を見せ、幽霊たちと踊り狂う。

 この絵本で描かれる「なみ」は、愛情にあふれた魅力的なおばちゃんのよう。ここだけの話、世の中のかなりの部分が、おばちゃんの優しさでまわっています。昔、わたしが自転車で壁に激突した時に「あらあらあらあら! いたいいたい」と光の速さで接近して、助け起こしてくれたのもおばちゃん(複数)でしたし、皮膚科の先生にきつい言葉で叱られて、処置室で涙ぐむ中1のわたしに、「あんな風に言われたら、泣いちゃうよねーえ」と言って背中を優しくなでてくれたのも、おばちゃんでした。

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自然と心がひらく、優しいおばちゃんのようななみ

「自分の大切な人を抱きとめる海が、暗くつめたい場所ではなく、なみのおばちゃんのような温かい場所なら安心だ。いつかはわたしもかえっていく時、そこにはなみのおばちゃんが待っててくれる。それは大きな安心と救いだな」

 『なみのいちにち』を読んで、わたしはそんな風に思いました。誠実で優しく、寡黙な中にも強靭な芯が宿っている。そんな東北の人らしさが、阿部さんご自身の人柄とも相まって、この1冊に結実しているようにも感じられ、『なみのいちにち』は、特別な1冊になりました。

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言葉で多くを語りすぎない、阿部さんらしい作品

大量の水がある場所で、ひとりになる

 親友と決裂し、次のステージに行きたいと焦れる17歳のそろこに、この絵本を処方したのは、あなたが自分の感情の正体を見極める前に、怒りにまかせて、早急に決断を下そうとしているように見えたからです。

 親友はお互いにとって特別な存在。だからこそ時に衝突を生み、双方を傷つける。どうでもいい人から何をされてもノーダメージですが、あなたが相手に何らか惹かれている場合、心は深い衝撃を受けるのです。親友たるもの、こちらにがっつり爪痕を残してなんぼ。そうこなくちゃ感はある。17歳のそろこが親友に幻滅し、関係を切るのは簡単です。でも、澱まみれの感情に雑に蓋をしてゴミ捨て場に放り込んでも、おそらく雨はじとじと降り続ける。

 そんな時は、海に行くといいのです。浜辺に腰を下ろし、スマホの電源を落とし、靴を脱ぐ。はだしの足でさらさらと砂をかきまぜ、寄せては返す波の前で、感情を泳がせる。

さん ささーん さん ささーん

 波に優しくなでられるごとに、心の澱が少しずつ洗い流されて、やがて角を削られ、なめらかになった感情の正体が姿を現す。

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おおらかな波で、ままならない感情をゆすぐ

「思い通りにならない苛立ちを相手のせいにしていたな/自分のことしか考えていなかったな/相手の好意に甘えすぎていたな/変化したわたしを理解してほしかったのに、その説明を怠っていたな/目の前の相手が、わたし以外の何かに心を奪われていることが、くやしかったんだな/互いにすこし、尊敬を欠いていたな……」

 最後に残ったすべすべの感情の正体が何なのかは、出てきてからのおたのしみ。それがどんなものであれ、言い訳が洗い尽くされた本物の感情というものは、愛おしく受け入れやすい形をしています。

感情をさっぱりと洗ったあとは

 その結果、「やっぱりわたし、あの人好き。また下らないことでふたりで笑い合いたいや」なら、素直にその気持ちを伝えればいいし、「まだ当分仲良くはできそうにない」であれば、距離をとればいい。

 それは自分と相手への尊重をしっかり含んだ決断で、感情にまかせて斬り捨てようとした時とは違い、すっきり前に進めるでしょう。波で感情を洗う方法を知っておくと、そろこに差し込む光は段違いに増えていきます。

 最後に、数年間距離を置いていた親友と和解し、再びつきあい出すみたいなことが人生には起こりますがね、あれはあれで、相当味わい深くていいもんです。断絶したように思えても、どっこい友情は、図太く生きのびていることもある。そんなこともお伝えしつつ、今月はこの辺で。

連載「ひとりがわそろこ絵本相談室」一覧ページ

Illustration Stuart Ayre 
画家/翻訳家 英国オックスフォード大学で美術学士を修了後、来日。イラストレ ーションと翻訳の仕事を手がける。京都在住。 
WEB: https://www.stuart-ayre. com
Twitter: @stuartayre

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