国家と出口のない恐怖
『返校 -Detention-』が描くのは出口のない恐怖だ。そこにはまず学校という出口のない世界がある。蝋燭で小さな物体の影が大きくなるように、小さな人間関係が投影されたメタファーが不気味に人を脅かす。
だが『返校 -Detention-』は学校の圧迫感にさらに外の世界の圧迫感を付け加える。それは極めてリアルな恐怖で、メタファーとして語られるのではない、国家による抑圧と統制、そして殺人である。ゲームは国家が行った歴史的な暴力をさまざまな形で伝える。ある場面では謎解きのために、憲兵が人を射殺する様子を再現する必要があったりする。学校の外も、白色テロと呼ばれる国家の暴力によって閉ざされている。
さらに本作は家庭と母娘関係の破綻をここに重ねてくる。主人公のレイは優秀な学生であるが同時に限界に怯えていて、この限界を母親に重ねている。レイは愚痴っぽい母親を嫌悪する。だがそれは自身がそうなることへの怯えであり、そうなるしか未来がないと感じることの結果であるとも言える。男性に比べて選択肢が乏しい圧迫感の中で、レイは同性のロールモデルからは目を逸らし彼女に敵意を向けることしかできない。
こうした状況の中で構造的な悪さに一切関わらずに生きることは極めて困難だ。プレイヤーが嫌な儀式をゲームの中で行うことを強要される時には、この悪さへの介入をを痛感せざるを得ない。
だが、この強制的な参加と参画は物語のラストで、抑圧から逃れ自主性を持って前に進むことの希望という形で昇華される。その時には、これまで体験して来た恐怖の意味が見え、ゲームは歴史を再訪し体験し直すことへの強いメッセージを残して終わる。
エンディングを見た上でまた一からプレイしてみると違う姿が見えてくるはずだ。ただ、そのエンディングを推進する感情と背景には問題点もある。ここからはネタバレ全開でラストまでを見た時の本作の美点と問題点を考えていく。
歴史を再訪することとゲームをプレイすること
以下、ゲームのストーリーの結末に関わるネタバレがあります。
台湾の置かれた歴史に詳しければ、序盤の時点でもある程度真相に気づくことができるかもしれない。主人公はなにがしかの密告を行なってしまい、それが学校関係者の処刑を招いたのだと。
実際、ゲームを進めていくと主人公は地下で行われていた秘密の読書会のリストを、政府とつながっている教員に渡してしまったのだということがわかる。読書会は厳しい統制を敷く国家にとって危険な物だ。主導した教員は憲兵に射殺され、参加していた生徒は刑務所に入れられ、あるものは国外逃亡を図った。これらの描写は極めてリアルである。
こうした事実を知らないプレイヤーにも、本作は台湾における白色テロの時代の知識を丁寧に与える。そして全てを知ったプレイヤーにはゲーム全体が違うものとして見えてくる。これまで描いてきたホラー描写はこの忌まわしい記憶を封印した結果であり、彼女の魂があの世へ行くための通過儀礼だったことがわかる。理解不能だったものを知識を持って違う角度から見ることで、それは理解可能な現実的な恐怖に姿を変える。
恐ろしげな儀式のいくつかは、彼女の魂を迎えにきた者たちだった。ボロボロになった校舎は本当に時間が経った結果だった。そして本当に恐ろしいのは、そうした体制の中で市民がちょっとしたことで被害者にも加害者にもなり関わっていくということなのだ。あるいはそうした歴史を私たちが知らないという恐怖でもある。
『返校 -Detention-』は台湾の過去をプレイヤーが再訪するゲームであるが、物語の中でも再訪は重要な要素になっている。ゲームのラストでは外の現実世界が明示的に描かれる。現実世界ではすでに数十年の時が経ち、戒厳令も解かれようとしている。
外の世界ではレイの密告により刑務所に入れられていたウェイが釈放され、取り壊される寸前の学校を訪れようとしていた。ゲームの終盤ではプレイヤーはいくつかの新しいメモから、全ての真相を知ることになる。これらのメモはこのウェイが置いていったものだった。
自分の罪に怯えあの世に行けないまま学校に囚われていたレイは、これらのメモと学校を再訪したウェイによって一つの結末に至ることができた。
戒厳令の時代を再訪するというゲームのコンセプトが物語の中にも重ね合わされていて、この重なりを様々な儀式をプレイヤーが体験するというゲームの性質が繋ぎ止めている。ここには台湾の民間伝承を語り直すという意図もあるだろう。
そして当然ながらこのゲームが発する歴史への再訪についてのメッセージ、忘却を思い出すために前進する、というものは台湾の歴史についてのみのことではない。日本語圏では台湾の植民地支配も含め、様々な歴史的忘却が政府系組織によっても進められている。
『返校 -Detention-』のテーマである忘却と再訪は、プレイヤーがエンディングを迎えた先に、それぞれが抱える忘却の歴史を再訪することによってこそ、進むのではないだろうか。