『笑いの正体』女芸人たちの異なるスタンスから見えるフェミニズム ぼちぼちテレビ日記

文=西森路代
【この記事のキーワード】

『笑いの正体』女芸人たちの異なるスタンスから見えるフェミニズム ぼちぼちテレビ日記の画像1

7月5日

 『林修のレッスン!今でしょ』(テレビ朝日)は、源頼朝の特集。番組では、頼朝がいかに地元の人々に愛された人であったかが紹介されていたが、大河ドラマの『鎌倉殿の13人』では、まったく愛されエピソードが強調されていなかったなと思う。

 『今でしょ』の頼朝の愛されエピソードは、大泉洋の愛され感にも通じるものがけっこうあったので、『鎌倉殿』だって、愛され頼朝になっていても違和感はなかっただろう。ただ、その大泉洋のパブリックイメージの通りの頼朝像にしなかったことがよかったのだと思う。

 『鎌倉殿』の頼朝は、人当たりがよく、コミュニケーション能力もあるのだが、どことなく心が入っていないようなところがあったり、ときに冷酷な面も描いていた。それなのに、最終的に頼朝が倒れたときには、それでも頼朝って可哀想な人だったんだな、「ああするしかなかった」のだなと思わせた。

 中盤では、視聴者に「全部大泉のせい」なんて言われながらも、結果的に大泉洋の頼朝は愛されるキャラクターになっていた。もし、『今でしょ』の番組で紹介されたような、最初から愛されエピソードで固められた頼朝像だったら、大泉洋の頼朝はここまで愛されただろうかとも思ってしまった。たぶん、できすぎている感じがして、可愛げがなかっただろう。

 このほか、番組では、頼朝が短い42日間という期間に、いかにして5万人の最強軍団に仕立て上げたのかということや、会社経営の理論に例えたり、現代の我々が頼朝のリーダーシップに学ぶことなどを全面に推した作りになっていた。

 しかし、先日の岡室美奈子さんとのイベントでも話題にあがったが(編集部注:アーカイブ販売準備中)、そういうリーダー論っぽくないところが『鎌倉殿の13人』の良いところであるし、むしろ、義時のような中間管理職の立ち振る舞いがフィーチャーされているほうが今の気分なのだなということを改めて実感してしまった。

 NHKの『笑いの正体』の第二弾は「女芸人という生き方」。かなり注目して見たんだけれど、インタビューをつないだ構成で、そこまで新しい視点はなかったのかなと。しかし、これだけの人がよく出てくれてNHKはいいなあ……と、自分も女性芸人にインタビューする企画をしているからこそ思う。

 ただ、スタンスがそれぞれ違っているのは見えた。上沼恵美子さんは、紅白で司会をしたとき、台本のイントロのところで白組司会の古館伊知郎さんのセリフは書かれていたのに、自分のところには書かれていなかったので、自分で考えたと言っていた。結果、「自分でここ(頭を指して)で考えたことが全世界で流れるっていうのは、やったって思いましたね」と言っていた。

 大久保佳代子さんは、漫才ブームや『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聞いていたため、「どこかお笑いは男のものである」と思っているところがある、と。また、『めちゃイケ』は、台本ががっちりしていたけれど「悔しいから自分のアドリブを試した」とも言っていた。上沼さんと被る感じがある。

 友近さんは、「そもそも女性芸人、男性芸人とわけた考え方をしたことがなかった」「面白い人が勝つ世界なんだろうなと思っていた」。渡辺直美さんは、デビュー当時、「女芸人が女みたいな恰好したら、(お客の)女に受けない」と言われて、違和感を持ったと振り返っていた。

 ゆりやんレトリィバァさんは、恋愛したら面白くなくなると言われてきたけど、ほんまにおもんなくなってしまった、やっぱり可愛くみられたい、と。Aマッソの加納さんは、「女子アナウンサーの方には噛みつく存在としてあてられる」「MCの方はまだ男性の方が多いので、女の子だということで変に気を使われてるなと思うときがある」と言っていた。女芸人が増えてきた今「女という意味でキャラクターになってたものが、自分個人のオリジナルの需要を生まないといけないと思う」とも。

 横澤夏子さんは、子育てで「ものづくりまでたどり着かないというのが現状」、同い年のゆりやんが単独ライブをやっているのを見ると悔しい、私今なにしてんだろうと思ってしまう、「夫に先陣をきって育休をとってほしくないから、もっとうちの旦那がまぎれるくらい多くの男性が育休をとってほしい」と語っていた。

 こう書き出してみると、けっこうひとりひとりの考えが正直に(正直に語られていないかもしれないという空気が見えるという意味でも)語られているのかもとは思えてきた。本人たちは自覚していなかったり、言葉は使っていないながらも、どの人の発言からも、フェミニズムが感じられた。

7月7日

 『トークイーンズ』(フジテレビ)は、町田啓太がゲスト。町田さんの普段の言動からも感じられることだけれど、人の意思はなるべく尊重したい、人の思いを邪魔したり、否定したりしたくない、と考えていることがよくわかる発言内容だった。

 ともすれば日本では、徹底的に他者(特に女性)の意思を尊重するという態度は、「優しすぎ」とか、もっと言えば「嘘くさい」とすら言われてしまうだろう。それでもなお、町田さんが、他者の意思を尊重する態度を貫こうとしているところに、強い意思を感じた。人間……というか男性は、誰しも空気に流されて、ちょっと悪ぶったりしてしまうものだと思うけど、そういうことをしないと決めているんじゃないかと思えた。

 ここからは、ぜんぜん番組とも町田さんとも関係なく、そこからつらつらと考えたことだが、今の日本のコンテンツ、もっといえば、リアリティのあるエモい邦画なんかは、自分の悪い部分、もっと言えば男性として当然持っている(であろう)ミソジニーを認めて、繊細に見つめているということで繊細であると満足してしまい、実際に女性を恋愛の上で傷つけてしまうことは、『どうしようもないこと』で、だからこそすごくリアルなのであるというようなものが多くなっていると思う。

 さっき書いた『鎌倉殿』の頼朝はどうなのかと思ったが、これはまた違っていて、たぶん、『鎌倉殿』の頼朝は己の加害性とか暴力性にはあまり自覚的ではない。だからこそ、自分のことを「いい人」「感じのいい人」だと思ってふるまっているのではないか。よくセクハラや差別発言をした人が謝罪でいう「悪気はなかった」とか「故意ではなかった」みたいな感じに近い。しかし、周囲から見ると、自覚のないこと、自覚しないでも生きてこれるほど特権性があるということが恐ろしくも見えるもので、そういう性質を、三谷幸喜が美化せずに、ときにグロテスクに、そして突き放して書いていることで、逆に「愛される」ことになったのではないかと思う。矛盾しているかもしれないけど。

 『あちこちオードリー』(テレビ東京)は「芸能界が生きやすくなる教訓」。ゲストの一人、藤田ニコルのいう、マネージャーから説教されてるタレントは売れないという言葉が至言だった。

 この言葉を聞いたとき、最初は、マネージャーに怒られるほど現場の空気が読めていないタレントが売れなくなるのかと思ったら、その逆で、マネージャーがいちいち指示を出すようなことをしているとタレントが萎縮して売れようにも売れなくなってしまうという話だった。

 これは一般社会でも言える。誰かがびくびくして生産性が低くなってしまうとき、だいたいそこにはピリピリした上司がいるものだ。

■連載「西森路代のぼちぼちテレビ日記」一覧ページ

「『笑いの正体』女芸人たちの異なるスタンスから見えるフェミニズム ぼちぼちテレビ日記」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。