脂肪肝にショック!
数カ月前、人間ドックを受けました。そこで脂肪肝という結果が出ました。慌てて病院に行きましたが、気にするほどの結果ではないということでした。
ところで、脂肪肝というのは肝臓に脂肪がたまった症状です。放っておくと悪化して肝炎や肝硬変になる場合もあります。肝臓というとアルコールが原因と思われがちですが、糖質の摂りすぎも原因の一つだと言われています。特に女性は閉経後、女性ホルモンがなくなる50代以降に増えると言われます。また、若い女性の場合でも、糖質過多の食事や、無理なダイエットによってもなりやすいと言われています。
気にするほどではないということでしたが、それでもショックでした。私は先日40歳になったばかりですが、お酒の飲みすぎでもダイエットのしすぎでもありません。一つ、脂肪肝と言われた原因に心当たりがありました。なるべく夫の好きそうな肉メインの濃い味つけの料理を作っていました。でも私は本当はあまりそういう食事が好きではないのです。夫に合わせて料理を作っていましたが、自分ではそんなに食べたいものではないので、作ってもメインは夫にだけ出して、自分は少しつまむくらいにして、あとは適当にごはんと味噌汁だけを食べたり、おかしやパンでごまかしたりしていました。そういう適当な食事のせいで脂肪肝になったんじゃないかと思ったのです。
食事と家族の絆
ちなみに私はフリーランスでいくつかかけもちの仕事をしています。うちにいる時間は私の方が多いので、私が家事を中心にしていて、料理も私の担当です。
夫は自分で料理をしない代わりに、私に無理強いして作れというタイプでもありません。作るのが嫌なら外で食べてくるというタイプです。でも、私はなんだか家族なんだし家でごはんを食べてもらわないといけない、一緒に食べないといけないような気がしてしまいます。そういうことを言うと、夫に「自分がご飯作らなきゃとか、家族と同じものを食べないと、とか思っていてちょっと保守的だよね」と言われてしまいました。
よく考えたら夫の言う通りなのです。家族といっても、食の嗜好も食べる量も体質も体調に合っている食事も別々なのに。毎日ちゃぶ台をかこんで団欒しなくても、別々のご飯を食べても家族の絆が弱くなったりしないのに。
でもなぜか私は毎日ごはんを作らないといけないとか、ちゃんと作って食べさせないといけないという気持ちが抜けません。さらには体調管理も私の仕事のように思ってしまっています。特にいちばん気にしてしまうのは、夫が体調をくずしたりおなかを壊したりしたときです。私が何か変なものを食べさせたのではないかとやきもきし、私がちゃんとしなかったからだ!という気分になってしまいます。でも、夫はいい大人なのに、どうしてこんなふうに家族の体調管理は私の責任のように思ってしまうのでしょうか。
夫が帰ってくる時間が近づいてきて台所に食べるものが何も用意できていないと憂鬱になったりいらいらしたりしていましたが、一言今日食べてきてとか、弁当買ってきてと言えばすんだ話でした。なぜあんなに毎日毎日一生懸命ご飯を作っていたのでしょう。夫のふとした一言で、なんだか今までやっきになっていたのが馬鹿らしくなってしまいました。全部自分の仕事みたいに思わなくてもよかった!
ケアメン
ふと思いました。そういえば、家事をしている男の人はどんな気分で家事をやっているんだろう? 男の人もこういう汲々とした気分で家事をやるのだろうか。それとも、もっと楽しくやっているのだろうか。あるいは、やらざるをえないからとか、ほかの家族に言われるから嫌々やっているのでしょうか。
先日『男が介護する』(中公新書)という本を読んでいたら、「ケアメン」という言葉が出てきました。この本を書いた津止正敏さんは、介護する男性を「ケアメン」と呼び、介護する男性たちの情報共有とネットワークづくりを図ったそうです。それに対して、介護する女性をわざわざ「ケアウーマン」と呼ばないし、介護に男も女もないだろうという批判があったそうです。
それでも津止さんが介護する男性に焦点を当てたのは、家族介護は女性の無報酬の労働が基本で行われてきて、それを男性も担うようになってきたとき、女性が感じてきた違和感を男性も感じるのではないかと思ったからでした。そして「その違和感というのは男性介護者固有の問題では決してなく、女性たちが声に出すことができずに胸の奥底に鬱積させてきたことではなかったのか。男性介護者たちの発する声やその実態をテーマにすれば、こうした介護問題をめぐる性差を超えたダイナミズムが作動しだすに違いない」(P.16)と考えたからでした。
これは家事でも言えることでは? 男の人に家事について聞いてみれば、わたしのモヤモヤの正体がわかるかも!
そこで、この連載では、さまざまな方に「男性と家事」というテーマで、これまでの家事やふだんの家事を振り返ってもらい、お話を伺っていく予定です。
どんな観点で話を聞くのか?
ところで、男性の家事についてお話を伺うにあたって、この連載では家事についての個人史に加えて、以下の3つの視点について伺いたいと思います。
・生まれ育った家族の男性の家事
ひとつ目は生まれ育った家族の中で、自分以外の男性がやっていた家事についてです。父親や祖父、男兄弟、親族かどうかにかかわらず同居していた男性がどのような家事をしていたか、それが自分の家事にどう影響を与えたかについて。
よく配偶者や自分以外の人がやった家事について指摘するときに、自分のうちの家事について持ち出す人がいますが、自分の生まれ育った家族の家事の仕方はどれくらい影響を与えているのでしょうか。あるいは逆に、自分は自分と割り切れるものなのでしょうか。
・家庭科教育の影響
ふたつ目は家庭科教育について。実は家庭科は、男は外で仕事、女は家事という思い込みに大きな影響を与えてきたのです。
家庭科が創設されたのは、戦後GHQの方針で民主的な家庭を国民に普及、浸透させるためでした。当初選択教科だった中学、高校での家庭科は、科学技術を振興し、競争力を高めたい産業界や経済界の要請を受け、1958年には中学家庭科は男子向きの技術科・女子向きの家庭科に変更となります。
さらに来る高度経済成長期を見据えて、家庭が労働者を癒す場として重要視され、家庭科が主婦養成の教科としてみなされるようになります。女子は家庭科を履修するのが望ましいとされ、1960年には高校で家庭科が女子の必修となり、実質的に家庭科は女子が勉強するものとなりました。
ところが、そのような性別役割分業の固定化に意義を申し立てたのが、1974年に結成された「家庭科の男女共修をすすめる会」です。1975年の国際婦人年、国連婦人の10年などをきっかけに、男女ともに家庭科を履修するようにしようと働きかけます。1989年の学習指導要領ですべての生徒に家庭科が必修となり、中学校では1993年から、高校では1994年から、家庭科の男女共修化が実現しました。
みなさんはどのように家庭科を履修しましたか。女子だけが勉強しましたか。それとも、男女関係なく勉強しましたか。
おそらく今の子育て世代の多くは、家庭科を男女共に学ぶようになった世代でしょう。しかし、実際に家庭科で勉強したからといって家事ができるようになるわけではありません。それでも何もやらないよりかは家事の知識が身につくでしょう。実際、男性にとって家庭科の授業の影響はどの程度のものなのでしょう。
・家事は苦行か楽しみか?
最後が家事をどう捉えるかです。
家事が大変、家事が辛いに対して、「家事は尊い仕事」「もっと楽しんでやればいい」「(家事あるいは家族を)好きならできるはず」「効率的にやらないからしんどいんだ」「もっと家電を使って楽すればいい」などの意見があります。そこで、じゃあ自分がやるとか自分も家事に参加しようというタイプは少ないように思います。つまり、そのような言葉はアドバイスに見えて、家事を自分の仕事だと思ってない、あくまでも人がやることだと思っているから出てくるのではないでしょうか。
家事について語る場合、「手抜き」「楽家事」「省力化、効率化」に代表される「家事は不払い労働」「毎日続く苦行」という見方と、「ていねいな家事」に代表されるような、「家事は自分の身の周りを整える技術」「本来は楽しいものや豊かなもの」という見方があるように思います。
おそらく、自分のためか家族のためかにかかわらず、能動的に身の回りを整える場合は楽しみや喜びになるでしょうし、誰かへの押し付けとなる場合や義務として科される場合は、苦行になるのではないでしょうか。
家電が登場する前は人力で家事をすべて行っており、家事は奴隷や家事奉公人がいないとできないものでした。家政は一家の家長が監督すべきものであり、楽しいとか楽しくないとか言う以前の、家を統べる技術であり義務でした。ところが、産業革命が起こり、働く場と家庭が分離し、近代化が進むにつれ都市の中産階級の間では、家事は一家の主婦の仕事となっていきました。また、家電の登場は主婦の労力を削減したように見えて、家事奉公人がやっていた仕事が主婦の仕事となっていったため、トータルで主婦の家事労働時間は変わらなかったといます。
さらに、家事には愛情も求められるようになりました。今では家事と愛情との結びつきについて、絶対視する人も減ってきましたし、批判的に検討されるようになってきました。とはいえ、それでも家事と愛が結びついて語られるのは、どこかに家事は家族への愛による自主的な奉仕であってほしいという期待が潜んでいるからではないでしょうか。
性別にかかわりなく家事を主に担っている人自身、家事に対して苦行と楽しみというこの二つの引き裂かれるような思いを行ったり来たりしながら家事を行っているように思います。
そこで、男性が家事をするときに家事をどう捉えているかを聞いてみたいと思いました。
すべての人にとっての家事を考えるために
ここ数年、ケアは人間にとって根源的な行いで、ケアなしには人は生きていけない、もっとケアの価値を高めようといった問題提起がなされています。
しかし、家事はケアの一種であり、皆がしなければならないものとはいいながら、家事にかける時間には、未だに大きな男女差が存在しています。例えば、コロナ禍では家事時間が増え、その負担が女性の方に偏っているというデータもあります。
このように男女差が大きいことの背景には、育児や介護は、女性の仕事という固定観念だけでなく、一家の働き手となっている人の労働時間が長く、家事時間を取れないことも大きな原因の一つにあります。まずは労働時間を減らすことが重要ですが、それはすぐには難しい場合もあります。
日本でも男性の育児休業、介護休業取得を促そうと、4月から改正育児・介護休業法が施行されました。しかし、法改正で男性も育児休業や介護休業が取りやすくなったからといって、いきなり家事や育児、介護ができるようになるのでしょうか。また、今後はすべての人が主体的に家事や育児、介護といったケアを担っていかなくてはいけないことが求められています。そんなときに、さまざまな家事をしている人の声や、家事についての歴史を知ることは、今まで見落とされてきた問題を可視化し、考える上で役に立つのではないでしょうか。
そこで、この連載では「家事は皆がやるものだ」と捉え直すきっかけとして、男性の家事についてフォーカスし、いろんな男性に家事について体験談をお伺いしていくとともに、研究者の方にも家事の歴史や家事をとりまく社会状況についても伺っていきたいと思います。
参考資料
『お母さんは忙しくなるばかり』ルース・シュウォーツ・コーワン著、高橋雄造訳、法政大学出版局、2010
『男が介護する』津止正敏、中公新書、2021
「改正育児・介護休業法 参考資料集」厚生労働省、2016年
『家庭科教育50年―新たなる軌跡に向けて』日本家庭科教育学会、建帛社、2000
「家庭と消費生活」角山榮(『路地裏の大英帝国』角山榮、川北稔編)平凡社ライブラリー、2001
『家事の政治学』柏木博、岩波現代文庫、2015
『現代思想 家政学の思想』2022年2月号
『女性こそ危ない! 女性の「脂肪肝」がみるみる改善する方法』PHP研究所、2018
「女性の家事等の時間増加は世界共通」『男女共同参画白書 令和3年版』内閣府男女共同参画局、2021
「総論 ジェンダー視点が拓く生活文化学の新たな地平」三成美保(『ジェンダーで問い直す暮らしと文化 新しい生活文化学への挑戦』奈良女子大学生活文化学研究会編)敬文社、2019