Cさんは子どもひとりを子育て中で30代前半。見た目はたしかに、女性とも男性とも言い難かった。はじめて会ったその日の季節は初夏。薄手のシャツから、胸は抑えて隠しているのではなく、真っ平らなのがすぐわかった。声変わりしていて、少年のような声。まるでエヴァンゲリオンのカヲルくんだった。
「男にならなかったら、産まなかった」
そう言ったCさんは、20代のころ男性として働くなかで夫となる人と出会い、結婚し、身ごもったそうだ。現在子どもは幼稚園に通っているとのこと。Cさんは少量の男性ホルモンを定期的に打ち、ほかの保護者との関係も考え、「パパにもママにも見えるくらい」の見た目を維持しているそうだ。保護者らから距離を置かれているようではあったが、それも変わった人程度のようだ。
私が、子どもを持つかどうか悩んでいると打ち明けると、彼は独り言のようにつぶやいた。
「あなたは未治療のまま、子どもを持とうとしてるんだ。僕は……男にならなかったら、子どもを持つなんて選択、絶対しなかったなぁ」
その言葉に胸がギュッと痛んだ。できるなら、私もCさんのように、ホルモン治療をして男として生きたうえで、子どもを授かりたかった。だが、私はもう30歳を過ぎた年齢。子どもを授かりたいのなら、そんな遠回りはもう許されまい。Cさんとは違う生き方を、考えないといけない。
Cさんの紹介でもうひとり、妊娠中のトランス男性Dさんと知り合うことができた。
はじめてお会いしたとき、Dさんは臨月だった。髪を伸ばし、大きなお腹をした姿からは、Dさんが男性として暮らしていたと想像するのはむずかしかった。だが、結婚前は、胸を取る手術をして、男性ホルモンを打ち、一人の男性として働いていたそうだ。元々、Dさんは女性しか好きになれず、結婚も子どももあきらめていたと言う。だが、夫とは恋愛することができ、「結婚して子どもを育てる」道を選んだわけだ。
Dさんはよく「男はちんちんのないやつを絶対男として認めないから」といったことを口にする。多くを語らないが、男性からも女性からも「元女性」という事実を冷やかされ、孤立させられてきたのかもしれない。自身のアイデンティティは変わらず男のままだったが、性別移行したことを隠したまま生きることーー男性か、女性かを逐一問われる性のあり方に、Dさんは疲れてしまったのかもしれない。
ジェンダークリニックを受診してみよう
Cさんも、Dさんも、私とは違う、性の試行錯誤をしてきていた。男性ホルモンを打てても、胸を切除できても、マイノリティである以上、困難は常に付きまとうのだろう。それでもふたりは、男性として一度生きたからこそ、妊娠する選択をできたように感じた。自分のなかの性に向き合うことは決して無駄ではないと、彼らから学ぶことができた。
遠回りだと思わず、まず、自分のジェンダー・アイデンティティと向き合おう。私はジェンダークリニックを受診してみることにした。
多くの人にとって、不妊クリニックに通うことはイメージできても、ジェンダークリニックに通うことは想像することもできないのではないだろうか。それは私にとっても同じだった。不妊クリニックは、子どもがいる友だちはだいたい受診していたので、子どもがほしければ行くもの、程度の認識だ。
一方ジェンダークリニックは、性別適合手術を受けたいなど特殊な事情を抱えた人が頼るべき場所だと思っていた。私のような「俺は男だ!」と断言できない人間は、門前払いされると思っていたのだ。
これまでここに書いてきた当事者のみなさん以外にも、いろいろなジェンダー・アイデンティティを持つ人と話をしてきて、私の価値観の幅は少しずつだけれど広がっていた。女性らしい格好の女性が「自分を女性だと思っていない」と断言したり、めちゃくちゃかわいく女装している人が「自分は男性です」と言ったりする。みんな本当に、周りから理解されないことに苦しみ、葛藤していた。その感覚にウソはないと、素直に思えた。
「生物学上、男性と女性しかない」的な意見をよく見聞きする。しかし人と話せば話すほど、そんなに単純ではない、と思えてくる。
そもそも、その生物学自体、全然単純ではない。生き物好きなら知っている人も多いと思うが、生物の性別だって不安定だ。ディズニー映画『ファインディング・ニモ』にも登場したカクレクマノミは、成長の過程で性別を変える。爬虫類のなかには、孵化期間の環境温度で性別が決まる種もある。
ヒト以外の種の話と人間を比較したいわけではない。生態がまったく異なる種を同列に語るつもりもない。ただ、種によって全然違う性決定を見て思ったのだ。今は自分が当たり前と思っている男女の違いも、絶対に正しいとは限らないのではないか、と。そう思えたことで、自分の「女性と思えない」感覚を許し、受け入れる気になっていった。
自分のことを「論理的にありえない」「女性以外ありえない」と誰より批判してきたのは、ほかならぬ私だった。だらしない、情けない。男性だったら、男らしく女性であることを受け入れろ。それでも日本男児か!と。
「性の定義は、既存の男女観で定義できないのかもしれない」と考えられるようになった。すると、ようやく「矛盾を抱えたままでいい」と不妊クリニックの門を叩けるようになった。
子どもを持とう、男性として生きたい気持ちも我慢しない。どっちも、あきらめない。
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