ゲームは、世界中の様々な場所で様々なルーツを持った人によって作られている。そして今では、それらの世界中で作られたゲームに容易にアクセスできる環境が出来上がった。
オンライン上のゲームマーケットでは、どんなプラットフォームからでも多様な文化圏のゲームを購入することができるし、PCゲーム市場にアクセスできればもっと多様な選択肢に触れることができる(とはいえ、そのアクセスできる範囲はその地域のインターネット事情や経済事情、国家による規制などによって制限された範囲ではある)。ある意味でゲームはグローバルなコミュニケーションを可能にしているのだ。
そして、それらのゲームが伝えるのは、決してグローバルな統一性ではない。むしろ、ローカルな固有性がグローバルな環境の中で出会う時の衝突であったり、そこで作られる複雑で時に差別を含むような関係を語るものだったりする。
今回紹介する『Sephonie』はまさにそうした、グローバルな中で出会った人間同士の、ローカルな固有性に由来する差異と差別を掬い取ろうとするゲームだ。
★注意!
『Sephonie』は2022年内に各種ゲーム機向けに発売されるとしているが、今のところはPC向けのみになっている(PCゲームは難しい!という方もいらっしゃると思う。記事末尾にガイドを載せているのでご参照を)。
移民の科学者たちが集う異境の島
ゲームを起動するとPS2のようなノスタルジックな3Dで表現された世界が広がる。荒くてドットが浮かんだテクスチャ(CGの表面の画像のこと)や、カクカクとしたポリゴンによるオブジェクトは、どこかノスタルジックでもある。
ゲームを始めると、いきなり謎の電車に乗る謎の人形生命が、かなり難解で謎な言い回しをしているところに出くわす。ある種の翻訳SFみたい!とワクワクするか、ちょっと難しそう……となるかは人によると思うけど、序盤のとっつきにくさを乗り越えると一気に引き込まれるキャラクターたちの物語になっていくので安心して欲しい。
ゲームのあらすじは、それぞれ独自のルーツを持つ三人の学者がONYXという生命に直接リンクできるデバイスを使って、台湾沖の未知の島セフォニーを探索する、というものだ。ただしこのゲームは単に島を冒険するという、植民地主義を思わせるオリエンタルな物語を語るわけではない。
島は、相互に支え合う複雑な生態系によって出来上がっていて、その生態系は島を訪れた三人までもを取り込んでいく。物語が進むに連れて島は主人公たちと様々なかたちでコミュニケーションを取り始める。このゲームが語るのは、主人公たちと島との間で相互に行われる対話でもあり、様々なルーツを持って世界に散らばる存在同士の対話でもあるのだ。
主人公である三人の学者はみんな移民的な性質を持っている。チームのリーダーのエイミー・リムは台湾系アメリカ人で母と同じ優秀な科学者の道を進んだ女性だ。リィヨウ・ハヤシは日本に住んでいた日系台湾人で、日本人の同性パートナーであるシンジと暮らしていた。インウェン・リンは台北に住む台湾人科学者で、現在アメリカで生活をしているパートナーの男性との感覚の違いに悩みを抱えている。そしてセフォニー島は独自の自立した生態系を持っているが、実は自身では解決できない悩みを抱えていた。
ONYXという生命とリンクできる探索デバイスを通して島を探検する事で、これらのキャラクターが相互に記憶を共有していく過程を描くのが『Sephonie』というゲームなのだ。
繋がりあう異なった記憶とマイクロアグレッション
本作は三つのパートに分かれている。
メインになるのが、島を探検するパート。大きな崖をジャンプしたり、壁を伝って走ったり、島のオブジェクトを利用して壁を登ったり、多彩なアクションで島を探っていくのがこのパートだ。物語の要所要所で出来るアクションが増えていき、行けなかった場所に行けるようになったりもする。科学者とは思えない華麗なアクションだけど、これもONYXの効果ということらしい。
このパートは複雑なアクションと、ゲーム的なお約束への理解が必要で、慣れてない人には少し難しい面もあるかもしれない。難しすぎると感じたら、オプションから「無限ジャンプ」をオンにしてみることも出来る。これをオンにすると文字通りにジャンプを無限に出来るようになって、大体のところは進めるようになる。ただ、順路を外れやすくもなるので常時オンにしておくより、進む道はわかるけどどうしても先にいけない、というときだけオンにしておくといいかもしれない。
もう一つのメイン要素が、島の生物にONYXでリンクするときに発生するパズルゲーム要素だ。緑青赤の三色のブロックを配置して大きくしていくというもの。これもオプションから難易度を下げることも出来るけど、何度でも挑戦できるので慣れてきたらそのままでやってもてもいい。
そして最後の要素が、テキストと画像によって三人の過去が語られるパート。島には主要種と呼ばれる大型の生命たちが奥地に住んでいて、これらの生物を見つけ理解することが本作の主要な目標となっている。そしてこの主要種との間にリンクを繋ぐと、主人公たち三人の間に記憶が行き交い、その背景が明かされていく。この時の映像はとても美しく、主人公たちの内心を語るテキストとマッチして独特の文学的な雰囲気を作り出す。
ここで語られるのはキーワードを元にした主人公たち三人の様々な記憶だ。たとえば初めて主要種に接した時には、魚についての記憶が流れ出す。インウェンは、離れて住む彼女が泊まりに来た時、電子レンジで魚を焼いてしまった時の事故の記憶を。リィヨウは、アメリカで暮らしていた時に、日系人なのに魚が嫌いであることをガッカリされた記憶を。そしてエイミーは家族との記憶から自分のリーダーとしての責任を思い出す。そうした様々な場所で、様々な人との間であった出来事の記憶が、とても文学的で豊かな手触りとともに語られる。
また別のパートでは島という場所へのイメージから、沖縄や台湾といった複雑な植民地と自治の歴史を持つ場所への、それぞれの立ち位置からの感慨が吐露される。
それらの記憶は、それぞれのキャラクターが常に自分のルーツを意識せざるを得ない状況にあり、そしてその状況が生活の中で何度も浮かび上がる、という記憶でもある。そして、それぞれの記憶が並列されることで、三人の生活が共通点を持ちつつも全く異なったものであり、相互に想像できないような隔たりと、権力関係があることを解き明かす。この同じ共鳴する差別と、それでも歴然とある差異を提示するのが『Sephonie』というゲームだ。
またその記憶は、マイクロアグレッションと呼ばれるような、日々の中の身近な差別と結びついた記憶でもある。わかりやすいのはリィヨウの記憶だ。自身の故郷とまで語る日本での生活でも彼は、日常の会話の中で常に外部の存在として扱われ、差別感情を受け続ける。『Sephonie』の中でこれらの記憶は、単にストーリーの背景というだけでなくゲームの体験と密接に結びついている。
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