2021年上半期は、私にとって大きなターニングポイントとなった。性同一性障害の診断を得たこと、診断結果を元に戸籍名の「子」が付く名前を変更できたこと、そして、妊娠と流産をしたことだ。
特に、妊娠と流産は、自分と、そして夫との関係に多大なる影響を与えた。
妊娠がわかった前後、私は夫の両親との関係に苦しんでいた。経済的な事情で私は夫の両親と同居をしている。だが私は、「妻」「嫁」と見なされると、女性扱いされているように感じてしまう人だ。また、料理をはじめ家事の一切を義理の母に取り仕切ってもらっていた。義母はチャキチャキした人で、家のことをするのに苦のない様子だったので、甘えてしまっていたのだ。
冒頭で戸籍名を変更したと書いたが、そのためには、通称名(変更する名前)の使用実績が必要となる。郵便物などを通称名で送ってもらい、夫の両親と住む自宅で受け取っていたが、名前について深く追求されることもなかった。そんな義理の両親の距離感を、いつもありがたく感じていた。けれど、一方的に甘える関係はそんなに長くはつづかないものなのだろう。
コロナ禍によりおうち時間が増えて、少しずつ関係性が変わっていった。顔を合わせる機会、話す機会が圧倒的に増えたことで、義母からの小言の頻度も上がっていった。「奥さんなんだから」と、説教や私の至らなさへの不満を頻繁に口にするようになってきた。
義理の母は働きながら子育てをしてきたワーキングマザーだ。家事も育児も仕事もできる、尊敬できる人だ。彼女の世界から見れば、どれも正論ばかり。怒られる私に問題がある。顔を合わせること自体、義母の気配を感じること自体が、苦痛になっていった。
夫には、女性扱いがつらいこと、家に居場所がないことを説明したが、理解ができない様子だった。「あなたはいつも自己主張ばかり」「もっと人の気持ちも考えて」と、呆れられた。
別に夫と別れたいわけではなかった。基本的に一緒にいて楽しい人だ。正直、夫に経済的に依存しているところも大きい。簡単に家を出ることは選択できなかった。けれど、家には安心できるところがない。
家族の誰にも見られないよう気をつけて家を出て、食事はすべて外食、終電近くまで外で時間をつぶした。家に戻るところを家族に見られないよう、玄関の先に家族がいないか、気配を確認してから家に入った。そんな日々を3カ月ほどつづけた後、さすがに耐えられなくなり、家を出た。
夫と「つらい思いをして一緒にいるものでもない」と、離婚という結論を出しかけた矢先に、妊娠がわかったのだ。
妊娠して突きつけられた現実
ここでまた、大きな障壁となったのが「性別」だった。妊娠がわかってから「母」になることが、よりリアルに想像できるようになってきた。小さな子どもの手を引く女性の姿を目にし、子どもが母を呼ぶ「ママー!」という声を聞くたびに、気が狂いそうになった。
(私も、「ママ」なんて呼ばれるのか。私も、周りから母親と見られるのか……)
そう思うと、1秒でも早く男性ホルモンを打ちたくなり、胸を切除する手術を受けたいと感じた。女の身体のままでは、子どもを育てられる気がしなかったし、なにより自分が「母」と呼ばれる世界で、自分が生きつづけられる自信がまったく湧かなかった。
以前、妊娠出産してから性別違和に気づき、男性として暮らしはじめたEさんに話を聞いたことがあった。Eさんは男性ホルモンを打つことを「死ぬか生きるか」と表現していた。なぜ、すぐさま命に関わるのか、そのときの私はいまひとつ実感をもって理解することができなかった。
だが妊娠し、自分もまた母になるとわかると、Eさんの言葉に痛いほど共感できた。
(子どもを健やかに育てるためにも、女性扱いから少しでも自衛しなくては)
そんな一心で、周りに女性だと思わせない方法を模索した。
まず、戸籍名の変更手続きに着手。そして、ジェンダークリニックで、男性ホルモンによる治療や、胸を取る手術の相談をした。さすがにホルモンの投与は胎児の発育に影響が大きく、妊娠中はむずかしそうだ。手術は、保険適応となる治療ができる病院を教えてもらった(2018年から乳房切除術にも健康保険が適応されるようになったが、保険適応で手術ができるGID(性同一性障害)学会の認定病院は2022年2月時点で全国に8カ所しかない※)。※http://www.okayama-u.ac.jp/user/jsgid/ninteishisetsuitiran.html
強烈な焦りを抱きながらも、頭の中は混乱状態だった。本当に、産んでも安全に子どもを育てられるのか? 男性化して大丈夫なのか?
第三者を介して、夫と対話
いつまでも別居状態をつづけているわけにもいかない。別れるのか、関係をつづけるのか。子どもを安定した環境で育てるためにも夫との話し合いを深めていかなければならない。だが、妊娠により常に微熱のような状態がつづいた私の思考力はかなり落ちていた。夫と話しても「家に戻ってくるか来ないか」という話題になるたびに考えが対立、それ以上議論が深まらないまま疲れきって解散、ということをくり返した。突破口が見えず、途方に暮れていた。
このままでは埒が明かないと、私は知人のツテを頼り、第三者に仲介に入ってもらうことにした。それがFさんだ。対話を仲介する技術、ファシリテーションスキルを持つFさんは、自分を男性とも女性とも思わない、いわゆるXジェンダーだった。
5月で最初の夏日を記録したその日、私は夫ともに、中央線沿線にあるFさんの事務所を訪ねた。迎えてくれたFさんはゆっくりした口調の落ち着いた雰囲気、見た目は40代前後の女性といった感じだ。
Fさんのことは、ジェンダーに詳しい方程度にしか知らされておらず、どんな価値観の人かわからなくて、「奥さま」と呼ばれるのではないかと警戒した。ジェンダーに詳しいといっても、女性は私を見て、同性と感じるのだろう。無邪気に「私たち女は……」という扱いをされることが多いからだ(男性も同じだ。ふとした瞬間に、「男ってやつは……」と語りはじめてしまうものだ)。
そんな思いとは裏腹に、Fさんは「おふたりのことは、なんとお呼びすればいいですか?」と尋ねてきた。
私たちはお互いに名字を言った(私は旧姓を名乗っている)。そして、どういった理由で今日、この場に来たか尋ねられた。私は、離婚するのか、関係をつづけるのか、悩んでいる旨を伝えた。義理の両親のこと、子どもができたことを、とりとめなく話した。性別違和があり、男性ホルモンを打ちたいとも打ち明けた。Fさんは、夫からも説明を求めた。夫は、私の話を補填するように語った。
私たちの話をノートにまとめ終えると、Fさんは夫に向かって言った。
「パートナーのことを先ほどから”彼女”と言いますが、なぜですか?」
その口調は少し厳しいものだった。