夫とジェンダーをめぐる対話。これからの私、これからのパートナーシップ

文=佐倉イオリ
【この記事のキーワード】

夫とジェンダーをめぐる対話。これからの私、これからのパートナーシップの画像1

 義理の両親との同居で「嫁」「妻」としてのあり方を問われる、それが女性ジェンダーを突きつけられるようできつい……。そう思って夫と別居をはじめた矢先、妊娠が発覚。両親、子ども、あらゆることで混乱状態になり、夫とも話し合いが行き詰まってしまった。

 そこで、ジェンダーに詳しく、会話を円滑に進めるファシリテーション技術を持つ第三者に仲介に入ってもらうことにした。

 その第三者とは、男性でも女性でもない性自認を持つFさん。Fさんに事情を説明するという形で、私たちは話し合いをスタートさせた。すると、Fさんは夫に対してこんな指摘をしてきた。

「パートナーのことを先ほどから”彼女”と言いますが、なぜですか?」

 夫は、はじめて自覚したようで、返す言葉に窮してしまった。その様子を見ながら、Fさんはつづけた。

「男性ホルモンを打ちたいと言い切る、明確な男性自認を持つ方です。その相手に向かって、何の迷いもなく”彼女”と言っていたのが気になりました。なぜ配慮をしないのですか?」

 夫は考え込むような表情で固まったままだ。すかさずFさんは、私に畳み掛けた。

「”彼女”と言われることを、どう思ってるんですか?」

 私は慌ててフォローする。

「私が自分のことをどう思っていようと、彼にとっては女性であり、妻です。だから女性扱いされるのは、仕方がないことです。社会的にも妻を男性扱いなんて普通はしませんし、彼の立場もあります。でも彼は私に対して、それなりに気を遣ってくれていますから」

 Fさんは再び夫の方に向き直った。

「こんな感じで当事者は、それぞれいろんな理由で折り合いをつけて生きています。多数派の人には気づけない、男女による区別が思っている以上に多いんです。あなたのパートナーは、あらゆることに、こうやって折り合いをつけているんですよ」

「自分のことを責め過ぎです」

 夫は、うつむいていた。その姿から「たしかに、まったく気づいていなかったな……」と、Fさんの言葉受け入れているように見えた。

 彼は思慮深く、思いやりにあふれている人だ。何かを話すときは、かなり言葉を選ぶ。そんな穏やかなやさしさにいつも救われてきた。それでも、彼の私に対する女性扱いに、日々小さく傷ついてきた。それは仕方がないことだ、そうずっと受け入れてきた。むしろ、こんな“普通じゃない”価値観を持つ私と一緒にいてくれること自体が、大変にありがたいことだ、と。

 Fさんは、そんな私の思いを鋭く見抜いていた。

 その後も、主に私がFさんに説明する形で、これまで夫に話してきたことを、あらためて伝えた。私は「“普通じゃない”感性を持つ私の存在が夫家族に迷惑をかけている」「私が我慢できれば丸く収まるはずなのに」「私の問題だから、自分で自衛しなくてはならない」と言葉を重ねた。冷静に言葉にしたいのに、声を出せば出すほど、目から涙があふれ出てきた。

 静かに聞いていたFさんは、少し強めの語気で私に語りかけた。

「さっきから、自分のことを責め過ぎです。自分のせいで夫が可哀想(に見える)とか、夫のために自分がいなくなったほうがいいとか……。当事者のなかにも、男女の当たり前はあります。自分を社会の常識に照らし合わせて、自分を差別しているんです。もっと自分の幸せを考えていいんですからね」

 言い終えると、今度は夫へ質問を投げかけた。

「この話を聞いて、どう感じていますか?」

 夫には常日ごろ語りつづけてきたことだ。こんなことばかり聞かされているのだ、うんざりしてしまうのは簡単に想像できた。私はいたたまれない気持ちで夫の言葉に耳を傾けた。

「つらい気持ちはいつも聞いています。ただ、だからといって、そのことで自分の母を責めるのには抵抗があります。母はよかれと思ってのことで、悪気があってやっているわけではないですし。パートナーも、母も、どちらのことも大事です。どちらにも苦のない生活をしてほしいと思うと……」

ーーどうしていいかわからない。

 夫もまた苦しんでいるのが伝わってきた。

 Fさんは一言、「私は、話が噛み合わなくなっている状態の人たちの、通訳としておふたりの話を聞いています。気になることがあったら言ってください」と添えたうえで、夫につづけた。

「先ほど話す姿を見ていると、あなたのパートナー(私)は、常識から外れている自分を常に責めています。ご両親はよかれと思ってのことでしょうが、正論だからこそ、さらに追い詰めてしまうことはあります。誰にも理解されないことをわかっているからこそ、家を出たりすることを自衛と表現しているんです。ずっと孤独で、ひとりで戦っていたんですよ」

 孤独……。

 その言葉がぐさりと刺さった。ずっと伝わらないと思っていたことがはじめて言葉になったように感じたが、同時に、自分が「可哀想な人間」だという事実を突きつけられるような、そんな重みを感じた。夫もまた、静かにうなだれていた。

これからの私、これからのパートナーシップ

 Fさんは私たちに向かって諭すようにつづけた。

「同居や子どもについて話し合いたいとおっしゃいましたが、私は問題はそこではないと感じます。性的マイノリティとその家族の問題だと思うのです。どうやって家族にカミングアウトを受け入れてもらうか? ふたりがジェンダーの問題とどう向き合っていくか、それをまず第一に考えた方がいいんじゃないでしょうか?」

 そして、今度は夫のほうをしっかりと向き、励ますように語りかけた。

「家族も、カミングアウトされた時点でマイノリティ当事者なんですよ。あなたも、ひとりで抱えなくていいんですからね」

 Fさんに仲介に入ってもらうことで、私たちは、自分たちの状況を客観的に見ることができた。私は、自虐的になりすぎていたし、夫は私の性別違和と向き合うことを避けていたのだ。

 性別違和という生きづらさを抱えるパートナーと、これからも共に生きるのか? それとも別の道を歩んだほうが幸せなのか? 私たちはまず、そこから話をしていく必要がある。トランスジェンダーの当事者や、家族会など、ふたりでさまざまな人たちと出会って、知識を深めて話し合うことになった。

 そんなことより、子どもをどうするのか? 切迫した問題を置き去りにしてしまったが、子どもは妊娠3カ月目にして、流産となってしまったのだ。

 今後、子どもを授かるにしても、パートナーシップを築けるのか? まずは、模索することが重要だろう。

 性別は、社会のなかでどう生きるかと、切り離せない問題だ。個人の問題では終わらない。夫にカミングアウトした時点で、彼もまた当事者となっていた。それに気づかず、私はひとりで抱え込みすぎていたのだ。

 私自身の性別をめぐる旅はこれで一度、幕を引きたいと思う。

 これからは夫と、ふたりで、また旅をつづけていくつもりだ。

連載「性別をめぐる旅」一覧ページはこちら

「夫とジェンダーをめぐる対話。これからの私、これからのパートナーシップ」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。