家事ってコミュニケーションなんだと思う 白央篤司さんの場合

文=太田明日香
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 さまざまな男性に家事の体験談を伺うことで、家事の歴史や社会状況を考えるこの連載。第二回にご登場いただくのはフードライターの白央篤司さんです。

男性の皆さんに聞いてみたい「あなたにとって家事ってどういうものですか?」

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家事ってコミュニケーションなんだと思う 白央篤司さんの場合の画像2 ウェジー 2022.07.31

 ローカルフードや「暮らしと食」をテーマに紹介されるレシピは、初心者や一人暮らしの人にも作りやすく、自炊のハードルを下げてくれると人気を集めています。現在はパートナー、猫二匹と生活して7年目。お二人とも在宅ワークで、それぞれ家事を分担しているそうです。

 白央さんは1975年、東京生まれ。両親と白央さんの三人家族で育ちました。お父さんは保険の営業職で転勤族だったため、子ども時代は尼崎、仙台など各地で過ごしました。お母さんは専業主婦で、すべての家事をきっちりとこなしていたそう。小学生の頃からお母さんに食べたいものの作り方を教えてもらううちに、次第に料理に興味をもつようになっていったのだとか。本格的に自炊するようになったのは、会社員を経て30歳でフリーランスになってから。そこでネックとなったのは「自責の念」とどう向き合うかでした。そんな白央さんの家事にまつわるお話。

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白央篤司
フードライター。暮らしと食、日本のローカルフードをメインに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『ジャパめし。』(集英社)、『自炊力』(光文社新書)など。朝日新聞withnews、オレンジページ、メトロミニッツ、CREA WEBなどでコラム連載中。

メリハリをつけるのが上手だった母

 うちの両親はいわゆる団塊の世代です。小さい頃、家事は母がしてくれてました。「外で働くのがお父さんの仕事、家事は私の仕事」という考えがハッキリとある人でしたね。父と家事をシェアするということはほぼなかった。  

僕が13歳ぐらいのとき、表を歩いていてスーツにシワのある人を見かけて、「パパにはああいう格好させたくない、させないのが妻の仕事」とつぶやいたの、忘れられません。そこに何かプライドのようなものを感じて。父の身だしなみを整えることには人一倍気をつかってました。

 ただ、きっちりし過ぎてるわけでもないんです。食事は手作りが基本でしたけど、レトルトカレーの日もあるし、買ってきたものや外食の日もあったし。今思うと、うまいこと「作らない日」を設けて気持ちを整えていたんじゃないでしょうか。私が家事としての料理を担当するようになって痛感したことは、「作らない日が作り続けていく気力を養う」ってことです。母もそうだったのかな、と。

 喫茶店に行ったり誰かとおしゃべりしたり、生活にメリハリをつけるのが上手でしたね、母は。読書の時間も今思うと大切にしてました。転勤族の妻で、築いた人間関係が数年で終わる、環境もがらりと変わる繰り返しの中で、気持ちの保ちようというか、硬くいうと精神衛生を考えていたんじゃないでしょうか。

 中学校のとき、朝に家を出てすぐ忘れ物に気づき、家に戻ると母がこたつで寝てたことがあったんですよ。当時は「気楽でいいな」なんて思っちゃいましたが、今思うと朝早く起きて、ご飯を作り、父の靴を磨いて(毎朝の日課でした)、送り出してヘトヘトだったのだろうと。私もツレの弁当を作って朝送り出すと、ホッとして眠くなるし。ひとりでも疲れるのに、母はふたりの世話だった。

家事を通じて独り立ちする技術を教わった

 小学校の家庭科の授業だと、青菜炒めや粉吹きいもを作ったの、よく覚えています。帰ってから母に「粉ふきいもって作れる?」と聞いたら、「当たり前でしょ」と作ってくれて、それがなんとも見事だった。母は料理上手で、子ども心に誇らしかったですね。

 私は10歳のとき、料理に興味を持ちました。家にあった料理事典を眺めていて、おいしそうなサラダを「作って」とせがんだら、材料をそろえてくれ、好きに切ったり盛り付けたりさせてもらったことがあって、楽しくてしばらく熱中してやりました。だから卵を溶くとか、家庭科が始まる前から経験してたんです。授業で女子に「慣れてる!」って驚かれたな。当時は料理男子なんて感じよりも「男のくせに」的な目線も感じました。37年前の話です。

 料理の授業はきらいじゃなかったけど、裁縫は辛かった。「同じことを連続して丁寧に、正確にやる」のが本当に苦手なんです。でも長じてひとり暮らしになり、ボタン付けぐらいはやってましたね。同僚に「なんだその適当な付け方は!」と笑われること、よくありました。

 母は料理を教えるというより、そばで見てて「それでいいんじゃない」という感じなんですよ。クールな人で、「好きにやればいーじゃないの」ってスタンス。中学生ぐらいになると、簡単な炒め物やチャーハンなんかも作るようになりました。今思うと刃物や火を扱わせるのって勇気や思い切りが要ると思うんですが、放任的な感じで、気持ちがラクでしたね。

 買い物もよく行ってましたが、「家事を手伝ってる」という意識はありませんでした。「何か1品、好きなもの買っていい」と言ってくれて、それが嬉しいからこっちは行きたいんです。買うのはパラソルチョコとかベビースターとか、そんなものなんですけどね。

 結果的に、鶏肉にはモモ肉とムネ肉があるとか、100グラムがどのくらいの分量とか、野菜はしなびてるのを買わないとか、そういうのを覚えていったなと、振り返って思います。のちのち自炊するようになって役立ちました。私はわりに小さい頃から売り場の人に質問するのが苦じゃなく、むしろ好きだったんですよ。それで教えてもらえるのが大人の生活知識を得られるようで楽しかった。

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