さまざまな男性に家事の体験談を伺うことで、家事の歴史や社会状況を考えるこの連載。第二回にご登場いただくのはフードライターの白央篤司さんです。
男性の皆さんに聞いてみたい「あなたにとって家事ってどういうものですか?」
脂肪肝にショック! 数カ月前、人間ドックを受けました。そこで脂肪肝という結果が出ました。慌てて病院に行きましたが、気にするほどの結果ではない…
ローカルフードや「暮らしと食」をテーマに紹介されるレシピは、初心者や一人暮らしの人にも作りやすく、自炊のハードルを下げてくれると人気を集めています。現在はパートナー、猫二匹と生活して7年目。お二人とも在宅ワークで、それぞれ家事を分担しているそうです。
白央さんは1975年、東京生まれ。両親と白央さんの三人家族で育ちました。お父さんは保険の営業職で転勤族だったため、子ども時代は尼崎、仙台など各地で過ごしました。お母さんは専業主婦で、すべての家事をきっちりとこなしていたそう。小学生の頃からお母さんに食べたいものの作り方を教えてもらううちに、次第に料理に興味をもつようになっていったのだとか。本格的に自炊するようになったのは、会社員を経て30歳でフリーランスになってから。そこでネックとなったのは「自責の念」とどう向き合うかでした。そんな白央さんの家事にまつわるお話。
白央篤司
フードライター。暮らしと食、日本のローカルフードをメインに執筆。主な著書に『にっぽんのおにぎり』(理論社)、『ジャパめし。』(集英社)、『自炊力』(光文社新書)など。朝日新聞withnews、オレンジページ、メトロミニッツ、CREA WEBなどでコラム連載中。
メリハリをつけるのが上手だった母
うちの両親はいわゆる団塊の世代です。小さい頃、家事は母がしてくれてました。「外で働くのがお父さんの仕事、家事は私の仕事」という考えがハッキリとある人でしたね。父と家事をシェアするということはほぼなかった。
僕が13歳ぐらいのとき、表を歩いていてスーツにシワのある人を見かけて、「パパにはああいう格好させたくない、させないのが妻の仕事」とつぶやいたの、忘れられません。そこに何かプライドのようなものを感じて。父の身だしなみを整えることには人一倍気をつかってました。
ただ、きっちりし過ぎてるわけでもないんです。食事は手作りが基本でしたけど、レトルトカレーの日もあるし、買ってきたものや外食の日もあったし。今思うと、うまいこと「作らない日」を設けて気持ちを整えていたんじゃないでしょうか。私が家事としての料理を担当するようになって痛感したことは、「作らない日が作り続けていく気力を養う」ってことです。母もそうだったのかな、と。
喫茶店に行ったり誰かとおしゃべりしたり、生活にメリハリをつけるのが上手でしたね、母は。読書の時間も今思うと大切にしてました。転勤族の妻で、築いた人間関係が数年で終わる、環境もがらりと変わる繰り返しの中で、気持ちの保ちようというか、硬くいうと精神衛生を考えていたんじゃないでしょうか。
中学校のとき、朝に家を出てすぐ忘れ物に気づき、家に戻ると母がこたつで寝てたことがあったんですよ。当時は「気楽でいいな」なんて思っちゃいましたが、今思うと朝早く起きて、ご飯を作り、父の靴を磨いて(毎朝の日課でした)、送り出してヘトヘトだったのだろうと。私もツレの弁当を作って朝送り出すと、ホッとして眠くなるし。ひとりでも疲れるのに、母はふたりの世話だった。
家事を通じて独り立ちする技術を教わった
小学校の家庭科の授業だと、青菜炒めや粉吹きいもを作ったの、よく覚えています。帰ってから母に「粉ふきいもって作れる?」と聞いたら、「当たり前でしょ」と作ってくれて、それがなんとも見事だった。母は料理上手で、子ども心に誇らしかったですね。
私は10歳のとき、料理に興味を持ちました。家にあった料理事典を眺めていて、おいしそうなサラダを「作って」とせがんだら、材料をそろえてくれ、好きに切ったり盛り付けたりさせてもらったことがあって、楽しくてしばらく熱中してやりました。だから卵を溶くとか、家庭科が始まる前から経験してたんです。授業で女子に「慣れてる!」って驚かれたな。当時は料理男子なんて感じよりも「男のくせに」的な目線も感じました。37年前の話です。
料理の授業はきらいじゃなかったけど、裁縫は辛かった。「同じことを連続して丁寧に、正確にやる」のが本当に苦手なんです。でも長じてひとり暮らしになり、ボタン付けぐらいはやってましたね。同僚に「なんだその適当な付け方は!」と笑われること、よくありました。
母は料理を教えるというより、そばで見てて「それでいいんじゃない」という感じなんですよ。クールな人で、「好きにやればいーじゃないの」ってスタンス。中学生ぐらいになると、簡単な炒め物やチャーハンなんかも作るようになりました。今思うと刃物や火を扱わせるのって勇気や思い切りが要ると思うんですが、放任的な感じで、気持ちがラクでしたね。
買い物もよく行ってましたが、「家事を手伝ってる」という意識はありませんでした。「何か1品、好きなもの買っていい」と言ってくれて、それが嬉しいからこっちは行きたいんです。買うのはパラソルチョコとかベビースターとか、そんなものなんですけどね。
結果的に、鶏肉にはモモ肉とムネ肉があるとか、100グラムがどのくらいの分量とか、野菜はしなびてるのを買わないとか、そういうのを覚えていったなと、振り返って思います。のちのち自炊するようになって役立ちました。私はわりに小さい頃から売り場の人に質問するのが苦じゃなく、むしろ好きだったんですよ。それで教えてもらえるのが大人の生活知識を得られるようで楽しかった。
「ありあわせの物で作る」を覚えた学生時代
高校生の頃からアルバイトをしてたんですが、すべて飲食店でした。いろんな料理を知りたい、食べてみたいという気持ちがその頃から強かったですね。コックさんがまかないを作るところを見られたのが、すごく役立ちました。よく出てきたのが中華丼、各種炒めものに煮込み、あまり食材があれこれ入ったパスタなど。「わりに何を入ようとも、平気なもんだな」と感じることができた。レシピのない「名前のない料理」が作られるところをそばで見られて、よかったんです。
例えばレシピ本から料理に入るとして、ミートソースを作るとする。レシピに「セロリが必要」と書いてあったら、「無いから作れない」と思ってしまうんですね。実際は無いなら省いても、それはそれでアリ。あったら別のおいしさがある、というだけで。まかない作りだと「ホントは〇〇入れたらもっとおいしいけど、まかないだからねー」なんてコックさん言いながらよく作ってた。「入れたらもっとおいしいんですか、これでも充分うまいのに」なんて言うと「まかないも1食いくらって決まってんの」「それはお客さんに出す味。普段のうちら用はこれでいいんだよ」なんて答えが、勉強になりました。フレキシブルというか、「あるもので作る」という自由さを目の当たりにできた。そういうところ見てるバイトなんて珍しいから面白がってくれて、いろんなこと教えてくれましたね。食材切るのを任されたこともあったな。当時は『クッキングパパ』や『美味しんぼ』をよく読んでました。
19歳、大学に入って一人暮らしになります。いろんなものを作ってみたい時期でした。当時ハマってたタイ料理やイタリアンを自作して、友人によく食べてもらってましたね。掃除や洗濯もそこそこやってましたよ。洗濯に気を遣わなければいけない繊細な服なんか着てないし、ただスイッチ入れて干すだけで。掃除はマメじゃなかったけど、友人の家に比べたらマシだよなと思ってました。でも、きっちりした子からは「目くそ鼻くそ」と笑われてましたけど。
健康維持のために自炊を始めて
20代で出版社に就職して忙しくなり、自炊回数がグンと減ります。掃除と洗濯は土日にまとめて。その頃うちにある食材は米とか味噌くらいで、それがまた全然減らない。カップみそ汁もよーくお世話になってたなあ。母の実家が農家で、毎年新米をドーンと送ってくれるんですが、翌年また新しいのが来たとき、前回のが少々残っていてさすがに申し訳なかった。そんな生活が変わったのは、30を過ぎてフリーランスとして独立してからです。
『自炊力』でも書きましたが、会社員時代の先輩が40歳を超えてから体調を崩したり、生活習慣病になったりするのを目にして、怖くなったんです。フリーで収入が不安定になる中、医療費がかかるのは無理だよなと。それで自炊生活、スタート。調理力はすでにあったので、より経済的に、うまく使いまわすがテーマでしたね。
『はなまるマーケット』って覚えてますか? TBS系列の情報番組で、30代の頃に好きでよく見ていたんです。家事を覚えていく上で、とても役立ちました。掃除や洗濯、片付けに収納、「より快適に、賢く暮らすには?」というノウハウをコンパクトに分かりやすく教えてくれる。効率的な掃除の仕方、ドラッグストアに山のようにある洗剤やらをどうやって選び、使い分けるのか、洗濯物は干し方ひとつで乾きが違う、生乾きのにおいを防ぐコツ、冷蔵庫や冷凍庫の賢い収納、アップデートすべき料理のコツ……今思うと、私の家事の先生でしたね。面倒くさくて向き合ってなかった家事におけるあれこれをやさしく教えてくれたと思います。
自分のための料理、家事としての料理
40歳でツレと暮らすようになり、現在7年が経ちました。自分のためだけにしていた趣味の料理が、家事としての料理になった。炊事、猫2匹の世話は私、掃除はツレが担当です。お互い得意分野だったので、自然とそうなりました。それなりに自信があったんですが、もう3カ月ぐらいでレパートリーが尽きて、マンネリになってる料理サイクルが申し訳なくて。冗談抜きで悩みましたね。「昼の弁当も作るよ」なんて大見栄切ったのに、「ああ、このおかずも先週作ったばかりだ」「毎回すき間埋めるのにミニトマトとブロッコリー使ってる……」とか意味なく自分を責めて。見かねたのか、ツレからあるとき「同じで全然いいんだけどー」と笑って言われました。
うちの母親は絶対毎日違うおかず作ってて、なぜか自分もそうやらなきゃいけないと勝手に思い込んでたんです。だんだんと自由になれて、今は「マンネリも芸のうち」と思ってます。次の危機はコロナになってツレが完全リモート生活になったとき。三食作るのが毎日連続になって、ほとほと参りました。昼の用意をしなくてもいいのは大きかった。今は、朝は各自で用意するが基本になっています。それだけでも精神的にだいぶラク。
誰かと暮らす場合、味の好みが合わないと大変ですよね。うちは幸いなことに、まったくないんです。好みが合うというより、文句ひとつ言わずなんでも食べてくれる。私ね、「豚肉と厚揚げと大根のカレー」なんてのが好きなんですよ。一般的には珍しい組み合わせですよね。そういうのも面白がって食べてくれる。基本的に私が作りたいもの何でも作ってオッケー。ありがたいです。
家族から「普通のカレーがいい」なんて言われてしまうケースもよく聞きます。一緒に暮らしてる相手に「こうじゃないと、おかしい」と決めつけられてしまったら、辛いですよね。そういう苦痛がないので、7年間作ってこられたのかなと思います。
ただね、自分で全然ダメだなと思うことまだまだいっぱいありますよ。特に使い切りに関して。買ったもの、作ったものを食べ切れないこと、あるんです。フードライターなんて名乗っていて、お恥ずかしい限りです。
居直るわけじゃないのですが、そこで落ち込みすぎないことも大事だと考えているんですよ。「ごめんなさい」と食物に謝って捨てて、日常に戻る。自分を責めてばかりだと、続けていけない。続けていく中でなるべくミスを少なくしていくようにするしかないし。
相手の家事のやり方に不満があるときは
ツレはきれい好きなんです。毎朝掃除機をざっとかけて、3~4日に1回ぐらいは雑巾掛けもして。定期的に窓ふきや細かいところの掃除もする。私は……向こうに言わせるとダメダメのようです。一緒に暮らす前、うちに来て「掃除したくて仕方なかった」と後から言われました。私にとって十分なレベルが、向こうにとっては低かったみたいです。
洗濯は気がついた方、そのとき手が空いてる方がやります。相手が干してくれたから、私は畳むといったふうに、半分ずつやることも多い。でもツレは、干し方などもっと「こうしてほしい」というのはあるようですね。私は雑なんでしょう。こだわりがあるものは「自分でやるから」と分けられます。ただ暮らしていて「こうしろ」という圧をツレから感じたことはないんですよ。ひょっとしたら料理に関しても、「もっとこういう味つけがいい」「この食材あまり好きじゃないな」と思っているのに、黙っていてくれてるのかもしれません。
そうだ、一度「あなたの好きな食べ物を10個書き出して」というゲームをやったことがあるんですよ。一緒に暮らして5年目ぐらいだったかな。私が予想して先に書いておいて。10個中、当たったのは4個でした。まだまだですね。
相手に対する小さな不満は、そりゃお互いにいろいろあるでしょう。だけど相手を変えようとは思わないですね、ここはおたがいにそうかもしれない。
まだ一緒に住みだして時が浅い頃、なくなりかけたトイレットペーパーに関して私が少々感情的に言ってしまったことがあるんですよ。「いつもほんのちょっとだけ残して、替えないよね」って。即座に「こっちもずーっとそう思ってきたけど?」と言い返されて。そのとき腹が立つではなく、「ああ、自分が思ってるようなことって大体は相手も思ってるんだろうな」とスッと思えたんです。ツレが何かにつけ「もっとこうして」「もっと変わって」と言ってくる人だったら、そうは思えなかったかもしれない。
やってくれたことに気づける力が必要
誰かと暮らしていくならば、相手がやってくれたことに気づける力、ってのが必要だと思うようになりました。人間って「ない」とか「汚れている」とか「散らかっている」ことにはすぐ気づく。でも反対のことはスルーしちゃいがちじゃないですか。散らかってない、汚れてない、足りているのは、そうしてくれた人がいるから。散らかっていると「きれいにして」と思いがちだけど、きれいな状態のときに「ああ、きれいにしてくれてるな、整頓してくれたんだな」と気づけるかどうか。そういうのに気づける力って、「共同生活力」だと思う。
冷蔵庫に牛乳がないとか麦茶が少なくなってるとかは気づけるけど、あれば何も考えずに飲んでしまうもの。そのときに「いつも買ってきてくれてるんだよな」「補充してくれてありがとう」と思える人でありたいなと、日々の家事をするようになって思いました。ツレがそういう人なんです。あの人は共同生活力、高い。見習わなきゃなと。せめても何かしてくれたことに気づいたときは、ありがとうを伝えるの、気をつけてます。向こうも毎度言ってくれるしね。ありがとうは「伝える」とか重く考えずに、口癖にするのがいい。
家事の大変さって、やっぱり「続けてやってみる」まで全然分からない。私は分かりませんでした。毎日自分とツレの分の料理を用意するという複合的な仕事の大変さを。献立を考えて、買い物して、あるものや残り物も食べていき、なるたけ無駄を出さないようにして、栄養も考えて、使ったものを洗って片付けて……と、それが延々と休日無しに続いていくという労力。
頭でわかっているつもりになってるんですよね。うーん、世の中男女問わず、年齢も関係なく、家事の経験がないと「大げさな」「そんなに大した技術が要るものじゃないでしょ」なんて思ってしまう人がやっぱり少なくないと思いますよ。
今ね、よく思うんです。母の日にあげるべきは肩たたき券やエプロンじゃなかったな、と。最低でも丸2日、おこづかい付きで旅行に出してあげたかった。まったく何もしない連続する時間が必要だったろうなーと思うんですよ。家事の連続は、たまのランチぐらいじゃ骨休めになるもんじゃない。そして帰ってきたとき、家の中が汚れてないのも重要ですね。帰ってきて大仕事だったらイヤだろうし。
気分転換・息抜きとしての家事
この9月でちょうど共同生活7年目に入るんですよ。最近ようやく、「真面目にやりすぎない」がラクにできるようになってきました。以前は遊びに行くとき、必ずツレのご飯を作っていたんです。この頃は毎度ではなく、「適当にすましといてー」と相手に任せられるようにもなりました。向こうもいい大人で、ちゃんと自炊力ありますから。ただやっぱり作っておくと嬉しそうなんで、なるべく作ってあげたいですけどね。
そんなふうに殊勝に思える日もあれば、どーにも作りたくない、一切考えたくないという気分に陥る日もある。バイオリズムというのか、理由はないんですよね。ポジティブに捉えてマインドセットしようとしても、本人の性格もありますし、限界がありますからね。そういうときは休むのが一番じゃないかと。以前は「疲れてるのかな。でも担当なのに作れなくて、いや作りたくなくて、わがままだな。申し訳ない」と感じて、ますます疲れてたんですよ。今は「理由は特にないんだけど作りたくないんだ、ごめん」と正直に言うようにしています。相手もそれで不機嫌になるような人じゃないですし。あまり自分を責めないようにしています。
家事って面倒でもありますけど、気分転換になるときもあるな、と思うんです。普段は面倒に思いがちな野菜の皮むきとか、細切りにするとかが「今日はやってみようか」と思える日もあって、こまごまと作業していると集中できて、無心になれるような日もあって。料理に限らずですけど、気分転換の方法をいくつか持っている人は強いな、とよく思いますね。
最近、家事もコミュニケーションなんだなと思うようになりました。向こうが掃除機かけようとし出したら、床に置いてるものを片づける。なるべく掃除しやすいように。こっちが料理そろそろ完成と伝えたら、ツレはテーブルふいて箸や取り皿出し始める。それはルーティーンというより、「相手がやりやすいように」という思いのキャッチボールだなと。いい球返ってきたら気持ちいいし、こちらもなるべくいいとこに投げ返したいですね。家事じゃないけど、相手が休んでいるときは生活音をなるべく静かに抑える、なんてのもひとつのコミュニケーションで、キャッチボールみたいなもんじゃないでしょうか。これから年齢に応じて、必要な家事の姿も変わってくると思うんです。いい球を返し合えるようにしたいですね。