『ザ・ノンフィクション』『クロ現』ドキュメンタリーは事実を映して終わりではない ぼちぼちテレビ日記

文=西森路代
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10月6日

 『テレビ千鳥』(テレビ朝日)は「ノブが帰ってきたんじゃ!!」という回。千鳥の大悟とノブがふたりきりで椅子に座ってじっくりトークするのだが、大悟の質問が長くなってしまい、それに対してノブが「下手やなインタビューが、そんなんおるけど!」って言っているところがあってはっとなる。

 というのも、自分は人によっては質問が下手になり、しどろもどろになってしまうことがあり。逆に、うまくいけば、ほんとにすらすらいくので、信じてもらえないこともあるけれど、本当にメンタルによって、それが違ってしまう。

 そんなこともあって、この日記の中にも書いたことがあると思うが、芸人のネタの中や、トークの中に、インタビュアーのことが出てくると、いつも自分たちのことが言われているのではないかと思えてしまって変にはらはらしてしまう。

10月8日

 『キングオブコント2022』(TBS)の日は外出していたので、家に帰るまで情報を一切入れずに一気に見た。雑感としては、かが屋、コットン、クロコップなどを見る限り、物語性が高めなネタが多いなと思ったりした。

 そんな中でも好きなのはやっぱり、最高の人間で。私がなぜ「最高の人間」や、岡野さんや吉住さんのやってたネタが好きなのかというと、やっぱり「自分の思考とか尊厳を奪われるな、それはぼんやりしてると奪われがちである」みたいなことが根底にあるなって思うから。二人ともに感じる。「長いものに巻かれたほうが楽でしょ」というほうではなく、抵抗している感じがネタから感じられるので。

 その後、岡野さん出演の『ナイツのラジオショー』(ニッポン放送)を聞いたら、あのネタは吉住さんの主導で作ったもので、「脳」が出てくるのは岡野さんのアイデアなのだと言っていた。脳というのも一般的に、何かに侵食される恐怖とかと関係あるように思える。

 自分は巨匠の頃から単独ライブにも行っていたりして岡野さんには注目していたので、自分が過去にどんなツイートをしていたのかなと思って検索してみたら、2019年にも「そろそろにちようチャップリン、岡野さんの、小学生にパチンコのシステムを教えるネタ、世の中の不条理を知りつつもそれにどうしてもハマってしまっているという冷静な視線に知性を感じるわ…。」と書いていた。やっぱり、そういう部分が個人的に気になっているのだなと思った。

10月9日

 『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ)は「東京デリバリー物語~スマホと自転車とホームレス~」。フードデリバリーをやっている人たちの、希望に満ちた面ではなく、困窮のひとつ手前であることとか、本人たちがどうして今この仕事をしているかをしっかり追っていた。

 少し前まで、ドキュメンタリーに限らず私たちが何か書くにしても、「ものごとのいい面だけを紹介したり希望だけを描いたりするのが優しくていい態度だ」みたいなところがあったけど、それはどうかな?というタームに来ているなと思うことが多い。

 なぜなら、いいことだけを紹介していたのでは、その裏に本当にある大変な面が隠されてしまうという性質があるからだと思う。しかも、『ザ・ノンフィクション』に限って言えば、かつては、人のうまくいかない部分を見せて共感や興味を持ってもらうような性質があって、それはともすれば、興味や関心で終わってしまうというか、どちらかというと、「こんなダメな人っているよな」みたいな、自分にもそんな部分はあるというのならまだいいけれど、「自分はここまでじゃない」というような、方向に行く可能性もあった気がする(すべてではないだろうけれど)。

 しかし今回は、フードデリバリーをしている人の資質にダメなところがある、という感じではフィーチャーはされておらず、むしろ他の皆と同じように懸命に生きてきたけれど、それでも何かの拍子に不安定なフードデリバリーの職についてしまった、というような取り上げ方になっていた。そう取り上げれば、少なくとも「自己責任」ではなく、なにかしらの社会とのつながりが見えるようになる。

 また、フードデリバリーという職業についても、やればやるほどお金が稼げるというポジティブな面もあるが、体力などがあることが必要条件で、自身の年齢によっても、それまでと同じようには稼げるという保障もないし、世の中の状況の変化によって需要が減ってしまったりと、不安定な要素があるということもしっかり紹介されていたの。

 私は、ドキュメンタリーというのは、個人の数奇な生きざまを面白く見せるものではなく、個人の何かしらの状況を、そうなった背景と共に紹介するべきだと思っているから、この回の『ザ・ノンフィクション』は良い番組になっていると思えた。

 そして、困ったフードデリバリーの人々を支援しているのは、行政などではなく、やはり民間の団体なのであった。その団体の代表は、「フードデリバリーというのは、現代的なテクノロジーを使った日雇い仕事みたいなものなので、困窮の2歩手前である」と語り、保険や食料が必要な人にアウトリーチしているということも紹介していた。

10月9日

 今週は、通常の『鎌倉殿の13人』(NHK)はお休みで、代わりに「『鎌倉殿の13人』応援感謝!ウラ話トークSP~そしてクライマックスへ~」が放送されていた。

 三谷幸喜さんのところに、MCでもある佐久間亘行さんがインタビューに行っていたが、三谷さんがすっとぼけたときには、きちっと突っ込みを入れ、その上で、核心に迫るような聞き方をしていた。

 そのインタビューの結果、三谷さんはやはり、北条政子を単純に悪女と書くつもりが最初からなかったのだなということがわかったのもよかった。というのも私は以前、「三谷幸喜は北条政子を「悪女」にしなかった?『鎌倉殿の13人』の女性たちを考察する」というタイトルで記事を書いたことがある。このときは、まだ中盤の段階だったので、後半に進むにつれ、北条義時と同じように徐々に悪の部分が見えてくるのかなと思うところもあったのだ。しかし、それが間違いでないことを知って、妙にほっとした。

 もちろん、別に自分の過去の記事の見立てが間違っててもいいと思うし、そこまで作家の考えていることの「正解」を探す必要もないとは思うが、三谷幸喜が、政子を悪女に描かないドラマを確固たる意思を持って書いているということがわかったことがうれしかった。

 しかし、この番組のように、脚本家や俳優たちや番組を愛し深い理解を持った人がMCをしてトークを繰り広げる番宣番組というものが、もっとあってもいいと思うのだが、まだまだ番宣番組というのは、番組の内容だけでやろうというものが非常に少ない現状である。

10月12日

 『クローズアップ現代』(NHK)の「五輪汚職疑惑の深層~スポンサー選定の闇に迫る~」は、複数の企業から一億円以上の賄賂を受け取ったとして逮捕されたオリンピックの大会組織委員会の高橋理事のことを中心に、関係者100人に取材をして放送されていた。

 組織委員会のメンバーはほとんどが電通からの出向で、大規模イベントに慣れているのも、お金を持ってくるのも電通出身者だったために、ほかのメンバーはほとんど口出しできず、組織委員会はブラックボックスとも言われていたという。

 組織委員会副会長も務めた荒木田裕子理事が、実名で「議論すべきこと、議論したかったことはたくさんあったが、意見を言ったり質問したりすることすら難しく、理事会は取り決めたことを粛々と進める場だとくぎを刺されたこともあった」「理事の一員としてそれを容認してきたことに対して、深い自責の念がある」と語っていた。

 組織委員会の中で、おかしいと思いながらも、従うしかなかった人のほうが深く反省し、自分を顧みているという構図がやるせなかった。

 また、オリンピックの研究をしていて、女性蔑視発言で委員を退いた後に理事に就任した來田享子氏もスタジオゲストとして出演。「一体、東京大会は誰がやりたいと思っていたものなのか、そしてそれはなぜだったのかをひとりひとりがもう少しきちっと問いかけて、それがなければ次には向かえないという風に考えるほうがいいのではないかと思います」と語っていた。

 ほんとに、誰が何のためにやりたがってたんだろうな……と思うのと同時に、組織委員会の「意見を言ったし質問したりすることすら難しい」という空気を思い浮かべると、見に覚えがありすぎて、胃がぎゅっとなる。

 私とハン・トンヒョンさんの共著『わたしたちのおしゃべりの記録』(駒草出版)の中で、私は「会議には良い会議と悪い会議がある」という、まあまあストレートすぎることを言っているが、本当に会議で意見を言って、それがどう受け止められるかっていうのは、いろんなことを瞬時にわからせるものがあるのだ。

編集部からイベントのお知らせ

 「ぼちぼちテレビ日記」連載中の西森路代さんと、脚本家・構成作家の楠野一郎さんによるオンライントークイベント「ぼちぼちテレビトーク vol.2」を開催します。お二人には「かっこいい女性」をテーマに、お笑いからK-POP、映画にドラマと縦横無尽にさまざまなエンターテイメントについてお話をしていただきます。詳細は下記の画像をクリック!

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