ニューヨーク市のカオス
ニューヨーク市内にやってくる難民希望者に市はとりあえずホームレス・シェルターを提供したが、当然ながら数が十分ではない。そこで市長はブロンクスのビーチ沿いの駐車場に大型テントを設置して「テントシティ」を作るとした。地元区長からの「悪天候の際に洪水となる」「地下鉄駅から遠い」との苦言を無視して工事に取り掛かったが、実際に大雨が降り、使い物にならないことが発覚した。
そこで市長はマンハッタンとクイーンズの間に浮かぶランドール島にテントシティを作ったが、オープン初日に入所したのはなんと2名のみだった。マンハッタンから橋を渡らなければならない「島」であること、間仕切りのない広大なテント内に数百のベッドを並べた単身男性のみ利用可能の施設であることが、急所希望者の少ない理由だと思われる。言葉が通じず、土地勘もない場所であるだけに、他に何もないテントシティより市街地にあるシェルターのほうが安心感があるのではないだろうか。
一方、既存のホームレス・シェルターは満杯状態となり、入所者の総数は6.2万人と記録を更新した。これにより、以前からの地元入所者の間に「居場所がなくなる」との不安が広がったようだ。
ニューヨーク市は狭い面積に800万人以上が暮らす人口密度の高い都市だ。住居は常に不足しており、家賃は高い。一気にやってきた2万人の難民希望者を受け入れる住宅施設の確保は難しい。しかし難民希望者も人としての日常生活を送らねばならず、特に子供は学校に通わなくてはならない。祖国を出てニューヨークにたどり着くまでの数カ月間、学校に通えていない子供もいる。ニューヨークはスペイン語話者の多い都市ではあるものの、英語を解さず、かつ学習内容が遅れている子供が増えるのは学校にとっても負担だろう。
大国の義務・多文化の育成
とはいえ今年、アメリカはすでに10万人のウクライナ人を受け入れている。米国は国土の広い国だけに居住地にバランスを配せばその程度の人口は引き受けられるのだ。ならばベネズエラ人も同様に居住州や都市をうまく分散させて生活を保障することは可能なはずだ。
政情不安、戦争、暴力、干ばつ、貧困、災害などで立ちかなくなる国は常にある。世界を地球規模で見た場合、経済的に余裕のある国がそうした国の人々を受け入れる義務があると言える。アメリカもコロナ禍の打撃を経て現在はとんでもないインフレに見舞われており、さらに不況の再来が危惧されてはいるが、大国であることに変わりはない。自国を保護しつつ、そうした国の人々を支援する。そのバランス感覚と手腕が大国のリーダーと政権には必要だ。
移民や難民の受け入れは受け入れ側にも利をもたらす。彼らの中にはアメリカに根を張る人もいれば、やがて祖国に戻る人もいる。彼らと彼らの次世代がアメリカ人としてアメリカの文化と経済に貢献し、祖国に戻った人たちもアメリカとのネットワークを維持する。この多文化ネットワークこそがアメリカの根幹を成すものであり、大国たらしめている部分だ。最初から正規のビザを持って渡米する移民と、難民としてやってきた人々に、その違いはないのである。
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