『プロフェッショナル』『マツコ会議』テレビが今求めている「無意識」 ぼちぼちテレビ日記

文=西森路代
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10月26日

 『あちこちオードリー』(テレビ東京)はオリエンタルラジオの中田敦彦がゲスト。中田はデビューしてすぐに人気者になったものの、2020年に事務所をやめ、今はシンガポールに住み、YouTubeで活躍している。そんな彼がテレビでMCをするという目標に向かっていた頃は、テレビの思うがままロボットのように従順に過ごしていたのだとわかって意外だった。

 当時のテレビは芸能人の不倫が話題になっていた頃で、コメンテーターとしてそれに対して刺激的なことを言って、ネットニュースなどで話題となることでスタッフに褒められていたとのこと。中田自身も、「僕の中では正義感というか、テレビが求めているなら、いくらでもヒールレスラーになりますよという気持ち」であったが「人として良くない」「不健全」「傷ついた人にそんなこと言ってはいけない」と後になって気づいたと語っていた。

 つくづく、誰かを体よく使おうとしている人に対して「真面目」であることは無意味なことだなと思う。これは、よく韓国映画を語るときに私が言っていることだが、「競争に参加してがんばってはきたが、それは自分にとってなんだったのだろう」と気づく感じと同じであると思う。

 同時に、これもずーっと言い続けてきたのだが、ヒールになる人は、心の弱い人というか、人に乗せられやすい人、言い換えれば、人に支配されやすい人だと思う。中田氏はあるときそれに気づいたから今があるのだろう。例えば権力に取り込まれ、守られているからといって、人々を煽り続けている人はいるが、実はその人もそういう状況に疲弊しているのに抜け出せないなら可愛そうだし、疲弊もしないで乗っかり続けているのだとしたら、正気なのだろうか?と思ってしまう。

 番組の話に戻るが、この回は、本当に「芯を食った話」が続き、それは本当の意味で刺激的な番組になっていた。

 また、今回はMCのオードリー・若林の話も頷くところが多かった。彼は「自分探しっていう言葉が軽んじられているけれど、自分を車だとすると、なんでみんなと違う速度で、みんなより燃費こんな悪いんだろうって、自分のボンネットを開けてずーっと見てるのよ」「何が違うんだろうって、自分のことしか見てないのよ」「だから他人の車が気になってしょうがないの。この人どういう構造でって、『あちこちオードリー』でボンネット開けまくってるの俺」と言うと、中田も「自己分析と内省が完了してるの?」と返す。二人の会話がそれぞれの奥の方に届いている感じの会話はずっと聞いていたかった。

 若林はこの日の『あちこちオードリー』で、自分だけを見るのではなく、他者を覗き込む重要性を語っているのだが、そういえば、若林と南海キャンディーズの山里が出演した2021年の生配信ライブ『明日のたりないふたり』で、若林は自分ばかりを見るのではなく、誰かをのぞきこまない限りは成長がないというようなことを、半ば過呼吸でぶっ倒れながらも山里に伝えようとしていたのを思い出した。

 番組の最後、中田敦彦はまだ帰りたくない、仲良くしたいと言っていて非常にかわいらしかったが、こんだけ会話して呼応できる相手を見つけたら、そう思ってしまうだろうと納得した。

10月28日

 『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK)は東京03だった。とにかく興味深いところばかりだったのだが、番組側で気になったところをひとつ。

 番組では、東京03のコントが今、受けている理由として、「なにかと否定することの多い時代」「弱さを口にしにくい時代」「だからこそ、多くのひとたちがこの弱さを肯定してくれるコントを求めているのかもしれない」というナレーションで説明するのだが、なにかこれまでに使われてきたものにあてはめているような気がしてしまった。

 東京03のコントは、確かにしょうもないちっぽけな自分をさらけ出すところがあるけれど、それはそこまで「弱さ」に直結しているのだろうか。どちらかというと、そんな人間の誰にでも持っているものを、隠さずに出してしまえる人は、むしろそれが「弱さ」なのかどうかも気づいてないのではないかという気がする。無意識のうちに開き直っているからこそ、滑稽だし、人々は自分にもそういうところがあるのかもしれないと思って、「はっ」とさせられてしまう。それは、みっともないことかもしれないけれど、誰にでもあるものなのだ、というところが人間らしいし、ほかの人のコントにはないところで、自分としては好きなのだ。

10月29日

 『マツコ会議』(日本テレビ)はタイムマシーン3号がゲスト。マツコは、YouTubeの中でも彼らの動画がかなり好きなようで、その理由は「一番自然だから」と言っていた。確かにマツコは以前、放送されていた『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日)のロケでも、街で出会う人たちに、何か意図があるというか、テレビだからと言って、テンションが上がったり、とりつくろってテレビ的にふるまおうとしたりする人は徹底的に避け、ちょっとテンションが低くて、テレビであっても何も変わらない人に近寄っていっていた。計算している人がとことん好きじゃないんだなと思う。

 どちらかというと私もそうである。最近だと『オモウマい店』(中京テレビ)を見ても思うことであるが、この番組の良い回は、とりつくろった人が出てこない回で、その中でも一番注目してしまうのは、番組のディレクターがフィーチャーされている回だ。以前の日記でも書いたが、この番組のディレクターには、こうしたら「おいしい」がないのだ。マツコも、「おいしい」がちらつかない人が好きなのではないかと思う。

 ちなみに、今週の『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)では、四千頭身の後藤の家族旅行が放送されていた。マツコはやっぱり後藤の家族の、自然さを好んでいるようだった。もはや、テレビという枠組みの中では自然な後藤ですら、マツコにとってはテレビに毒された感じがするようで、彼の家族の誰の目も気にしていないような感じを好んでいるようであった。

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