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さまざまな男性に家事の体験談を伺うことで、家事の歴史や社会状況を考えるこの連載。今回お話を伺った竹端寛さんは、福祉社会学が専門で、障害者福祉の現場をフィールドとしています。現在は、兵庫県立大学環境人間学部で准教授として教鞭(きょうべん)を取り、配偶者とこども園に通う娘さんとの三人暮らし。家事は、パートタイマーの妻と分担しているそうです。
1975年、京都市生まれの竹端さん。両親と三つ年下の弟と四人家族でした。サラリーマンの父と専業主婦の「典型的な昭和の家族」で生まれ育ったそう。お手伝いをサボった小学生時代、受験勉強という大義名分があったため家事が免除されていた中高生時代。そんな竹端さんが家事に関わるようになったのは大学院時代に結婚し、兼業主夫になってから。ところが、夫婦でうまく分担できていた家事にお子さんが生まれたことでピンチが。「ほっとけば死んでしまうかもしれない存在」がいる生活を夫婦の「対話」によって乗り切ったそうです。その模様は『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)でも詳細に描かれています。そんな竹端さんの家事にまつわるお話。

竹端寛
1975年、京都市生まれ。大阪大学人間科学部、同大学院修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部教授を経て、現在、兵庫県立大学環境人間学部准教授。専門は福祉社会学、社会福祉学。著書は『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』(現代書館)、『枠組み外しの旅 「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)など。
できるのに家事を一切しなかった父
僕は団塊ジュニアの世代なんですが、僕の祖父にあたる人は戦争中に亡くなっていて、父は母子家庭で育ったので、中学生の頃から自分でご飯を作っていたらしいんですよ。父親はそれがすごく嫌で、結婚したら絶対に作りたくないって思っていたそうなんです。
父は結婚してから一切家事をしない人になって、母親の「お父さんは本当はできるのにしいひん」っていう愚痴をよく聞きましたね。僕はといえば、子どもの頃、母に「靴揃えなさい」「おふろ洗いなさい」と言われても、「嫌」「面倒くさい」って言って何もしなくて。今思うと駄目なやつですよね。
今でも妻に「普段は家事してるのに、実家に帰ったらお母さんに任せて何もしなくなるじゃない!」って怒られてしまいます。僕自身も家事は母親がやるもんだと思っていたし、実家に帰ると、なぜかそうなっちゃうんですよね。
一人きりで負担を抱えていた母
なんで小さいときお手伝いが嫌いだったのか考えてみると、父親が一方的に母親に家事をさせていた非対称性や、母が家事を一人で抱え込む姿を見ていた影響もあるのかもしれません。母親の姿を見て、家事が苦役に見えたんですよね。
その上、母の愚痴や父の悪口を聞いて、面白くなさそうやし家事はめんどくさくて嫌なもんなんやってイメージをもっちゃったんです。もちろん母親は文句を言いながらもすごく家事を丁寧にやっていたんですけどね。
今、うちではなるべく夫婦二人で家事を分担するようにしていて、家事をするとき娘に声をかけたりするんですよ。「洗濯物ぱんぱんしよう!」って声かけたら、「ぱんぱんする!」ってはりきってやってくれる。親がいやいやではなく一緒にやってることなら、娘にもやってみたいという自発性が生まれてくるんです。
自分が家事をするようになって、改めて母親一人が孤独に負担を抱えてたんやろうなって気づいたんですよね。僕の場合は妻と分担しているから量は半分で済んでいるけど、母親は男三人分の家事を一人で抱え込んでいました。父親に腹が立って当然だっただろうし、愚痴だって言うだろうなって。自分で子育てするようになって、母親の気持ちがめちゃくちゃわかるようになりました。