男らしさに呪われる運動家たちの殺人事件『Disco Elysium』をやってみた

文=近藤銀河
【この記事のキーワード】

『Disco Elysium』という蜘蛛の巣を織りなす人々

◎主人公

 主人公。記憶喪失で、身分証も拳銃も無くしてしまった刑事。ほうぼうで捜査そっちのけで左翼トークをかまし、全然関係ないものに心奪われたり、謎の奇行を繰り返す姿にちょっと共感する。

 私も記憶を忘れやすく、特に人の顔は全く覚えられないことが多い……。なので記憶喪失の主人公には感情移入しがちなのだけど、特に『Disco Elysium』の主人公は、忘れられていることにショックを受けたりする人物(そのことでショックを受けた元相棒なんかも出てくる。気になる関係!)なんかが出てきたりして、この辺に私はリアルさを感じて共感してしまう。

 <ディスコ>というロック文化のようなカルチャーによって育った世代で、それに由来するのか男らしさに拘りをみせる選択肢を良く出してくる。理解できないので私は全部無視したけど……。

 例えばある場面では、壁にかかった柔和な男性像にさえ、自身の男性らしさを脅かされたと感じたりするし、同性愛者の男が語るこの世界での同性愛カルチャー(どうもこの世界ではまだ地下に潜らざるをえないものらしい)にも、妙な執着を見せたりもする。

 もっとも、男らしさの問題は彼だけが抱えているものではない。この街の男性たちは多かれ少なかれ、この男らしさへの愛着と男らしさを壊すことの間の葛藤を感じている。たとえば、ルネ・アルノーというキャラはかつて王党派に属した王国軍の兵士で、彼は自己の男性性をかつての国家と一体化しながら、女性差別や同性愛差別、ゼノフォビアを繰り返す。一方で彼にはそんな態度を批判しながらも友人を続ける男性が常にそばにいたりもする。こうした男性同士の関わりを、歴史と重ねながら描くのも本作の特徴かもしれない。

男らしさに呪われる運動家たちの殺人事件『Disco Elysium』をやってみたの画像4

 そして我らの主人公はというと、警官として、市民を威嚇しながらも常に自己嫌悪を抱えてもいるらしい。こうしたところは意図的にマッチョさに踊らされ、セルフネグレクトを続けてきた人間として描かれている印象がある。女性キャラに対してパーソナルスペースを侵害しようとする選択肢を主人公は思い浮かべがちで、そこでも彼の抱える男らしさの有害さが描かれている。もちろん一切そうしないこともできるのだけど。

 なにより、主人公の考える選択肢には全体的に差別より階級闘争によった発言が多い感じがあり、嫌なリアルさがある。これはやっぱり、本作のテーマの中に「男らしさ」と「左派」の間の様々なコンフリクトが含まれているからじゃないかと私は思う。もちろん、選択肢によっては差別者を威嚇する男になることもできる。

 選択肢による変化は重要な点で、よく宣伝やレビューで「差別主義者にも共産主義者にもなれる」とされるけど、「男尊女卑でゼノフォビアでホモフォビアな愛国者」だけでなく「社会主義者」「社会民主主義者」「中道左派」「共産主義者」「ネオリベラリスト」なれるゲームという感触があって、右派に比べて左派の幅がすごく広い作品になっているというのが実感。

 なにより私が興味深かったのは、どのような発言でも彼から出てきた言葉だと一貫性を感じられた点かもしれない。

 選択肢の多さを特徴にしたゲームは多く、それらの中には選択の自由であったりプレイヤーの倫理を問うとするものもたくさんある。しかしながら、私にはどうしても所詮それらの選択肢は、一つの構造から出てきた選択肢にしか思えない。ちょうど、社会が男か女かという二択を至るところで突きつけてくるように。

 その点、このゲームでは主人公の発言の多くが男らしさへの拘泥から来ているように感じられた。たとえば主人公の内面人格は、主人公に「男として」社会的意見を持つことを勧めたりする。それは、主人公がどんな保守的な発言や革新的発言をするにせよ、その言葉の根っこに男らしさへのこだわりがあることを示唆している。この問題は、物語のラストでの真犯人との会話で、より深く掘り下げられることになる。

 その意味で主人公は『Disco Elysium』のテーマを体現する存在で、それでもプレイヤーの選択によっては良いやつとされる人間にもなれることが、彼というキャラクターの面白さだと思う。

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◎キム・キツラギ

 みんな大好きキム・キツラギ警部補。今回の事件で主人公の相棒となり、主人公がどんな奇行をしても、どんな哀れな行為をしても、唐突に左翼トークを始めても、軽い嫌味くらいで済ましてしまう謎の男、それがキム・キツラギ。1日に1本だけタバコを吸う男、それがキム・キツラギ。

 そんなキム・キツラギのなにより良いところは、主人公の差別的言説を許さないでいてくれるところ。主人公が反差別的な選択肢を選んでいると、キム・キツラギは信頼を寄せてくれるし、逆に差別的な選択肢を繰り返すとキム・キツラギの信頼を失う。

 彼はゲームの舞台となるレヴァショールでは人種的マイノリティで(会話からはゲイであることもわかる)、その中で差別に対する考えを育まざるを得なかったことが、彼との会話の中から伝わってくる。警官としての立場を超えないギリギリのところで差別的な言葉への反感を示す彼の姿は、ゲームの中でとても印象に残るものだ。

 一方で、警官であることに誇りも持っているようで、そこにはある種の組織的な連帯への軽い憧れもあるらしい。これは、警察機構の持つ暴力性に悩み、時に機構それ自体への不信と怒りをぶちまける主人公とはかなり異なった態度になっている。それはまだ少し若い彼が、殺人の捜査が少なくとも社会の不公平を暴くことに寄与していると信じていることに由来するものだし、またこの世界の警察機構が国家に属さないものであることに由来するものでもある。

 それはある意味では男らしさの再定義でもあり、その再定義された男らしさは差別に対する姿勢や彼のゲイネスから現れているように感じられた。

 そんな彼が、ゲームの中で主人公の相棒であることは、主人公の言動に関わらずゲーム全体のトーンを決めていて、私はそれが好き。

 ちなみにキム・キツラギと主人公のロマンスは本作には存在しない。

 ……と、『Disco Elysium』に登場する主人公とその相棒となるキャラクターを紹介した。

 私は、本作が「歴史」「思想」「運動」「文化」という軸が「男らしさ」という点で交わり合う蜘蛛の巣のような作品であると思っている。ここでのキャラクター紹介は『Disco Elysium』のそんな蜘蛛の巣にかかるポイントを抜き取ったものだ。

 本作に登場するキャラクターはまだまだたくさんいるし、主人公とキムは人々に実に多彩な反応を見せる。ここで取り上げたのはそのうちのほんの一部でしかない。この抜き取りと選択の外にはまた別の種類の蜘蛛の巣を作ったり、それに引っかかったりするようなキャラクターや出来事がたくさんある。

 読書の方も、本作をプレイすることがあったら、自分のお気に入りのキャラクターや出来事を、マルティネーズという複雑な街から見つけて、自分の蜘蛛の巣を作ってみてほしい。その蜘蛛の巣はきっと現実の社会にまで届く糸を持っている。

これからプレイする人向けのポイント解説

・主人公はちょっとした怪我やちょっとした精神的ショックで、終わりになってしまう!そうなったら急いで画面左下のHPゲージから回復アイテムを使おう。
・L1ボタンを押すと調べることのできるものがハイライトで表示される。困ったときは使ってみよう。
・スキルポイントの割り振りは、ゲーム中の重要なイベントの成功と失敗に影響する。イベントの成功に必要なスキルはきちんと明示されるし、イベント中にもスキルポイントを振ることができるので、ポイントを貯めておくのも良いかも。
・ただ失敗しても成功しても生が続いていき物語が進むこのゲームの感覚が好きなので、自分の思う主人公に合わせてスキルを割り振るのも楽しいはず。

※次回、1月の「フェミニズム、ゲームやっている」はおやすみの予定です。

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