過激すぎてニーチェがカット
この作品は世界恐慌と禁酒法の時代を背景に、搾取されるのをやめて搾取する側に回るためなら何でもすると決めた若い女性を生き生きと描いた作品です。わりと尖った表現も多かったプレコード映画の中でもとりわけ問題作で、ヘイズ・コードが厳密に施行されるようになる以前の作品ですが、それでもあまりにも過激だとして公開時にもともとの形から変更されました(英語字幕のみで日本語字幕がありませんが、ワーナーが2006年に出したDVDセットであるForbidden Hollywood: Collection Volume Oneには完全版と公開版の両方が収録されているので、比べることができます)。
変更後は、リリーがコートランドとピッツバーグで貧しい暮らしをしているということを説明するオチ(これは全くの蛇足だと思います)がつけられ、セックスを武器にすることは良い結果を生まないということが明示されました。また、クラッグがニーチェ風の俗流超人思想を披露するところも変更され、リリーの行動に哲学的な裏付けがあるかのような描き方がトーンダウンされました。
公開版では、セックス関連の描写も全体的に減少しています。序盤でリリーがもぐり酒場にやってきた有力者にセックスを強要されて反撃する場面が少し和らげられた他、一番大きな変更としては、ニューヨークに行こうとしたリリーとチコが列車の無賃乗車を試みて職員にバレてしまい、リリーが料金のかわりに職員とセックスして乗せてもらおうとするところがカットされています。ここは事情を察したチコがにやっとしながら「セントルイス・ブルース」を口ずさんで同じ車両の端に移動し、黒人女性であるチコがいるのと同じ場所で白人女性のリリーが男とセックスするという場面なので、おそらく人種の観点からも破廉恥だと見なされたのでしょう。30年代の映画なので実際に性交渉が映るわけではないのですが、誰でも何があったのかわかるように描かれています。
真面目なバッドガール
リリーのキャラクターとしての面白さは、とにかく真面目だということです。序盤のリリーは父親から売春を強制されている虐待被害者です。父親に「あんたなんか今までのどんな男よりも最低なくせに」(you’re lower than any of them!)と言っており、父親はこれまでとらされた客よりもひどいとほのめかしていることからして、父親からも性的虐待を受けたことがあるのかもしれません。それでもリリーは真面目に酒場で働き、親友のチコが父親に追い出されそうになるとかばいます。
そんなリリーは父親の死後にクラッグから激励されて目覚め、虐待を受けるくらいなら相手を利用する側に回ろうと決めます。リリーは「女にどんなチャンスがあるって言うの?」と、クラッグに対して女性の地位が低く、機会がないことを嘆きます。このあたりのリリーの発想はちょっとフェミニスト的ですが、これに対してクラッグが提供したのはフェミニズムではなく、俗流超人思想でした。
クラッグは、リリーは美しく、美というのは権力の一種なのだから、その権力を適切に使えと助言します。そして「君は男を利用しないといけないんだよ。君が男に利用されるんじゃなくてね。奴隷じゃなく主人にならなきゃ」と言い、ニーチェを引用してリリーに教え諭します。リリーはこれを大変真面目に受け止め、忠実にクラッグの教えを守り、何のためらいもなくバカな男たちを誘惑し、騙して利益を得ます。
ここで重要なのは、リリーはとても賢く、会社などで働いても十分やっていけるということです。ゴッサム・トラストではリリーはやたらと権力ある男性を誘惑する以外は至極真面目に働いています。パリでは旅行部門のトップに抜擢されるくらい有能で、フランス語も学んだらしい描写があります。将来のためにお金をためたり、宝石をとっておいたりしていて、堅実でもあります。
しかしながら、不景気の時代に貧しい家庭で生まれ、虐待を受けて育ったリリーはそもそも大企業で働くとか教育を受けるとかいうようなスタートラインにすら立たせてもらえませんでした。さらに、企業に入れたとしても、女性が軽んじられ、やたらと容姿ばかり評価される社会ではただ仕事ができるだけでは女性は出世ができません(パリでリリーが出世できたのは、ヨーロッパの支店はアメリカの本社ほど組織が固定化していないからかもしれません)。リリーが企業に入った後も出世のために肉体を駆使し続けるのは、不景気で性差別的な社会で教育も資産もない女性が成功するための方法がそれしかないからです。
リリーが誘惑する相手の男たちは、ほとんどがただのバカとして描かれています。若くてベイビーフェイスの持ち主であるリリーにいいように手玉に取られ、自滅していきます。こうした男たちはリリーを能力も感情もある対等な人間だと思っておらず、性欲の対象として見るか、勝手に理想化して夢中になるかのどちらかで、手ひどくリリーに騙されてひどいめにあってもあまり同情的には描かれていません。この映画でリリーの能力を尊重して対等な人間として扱う男性は、故郷でニーチェかぶれの助言をしてくれたクラッグと、リリーの本性を知りながら惚れたコートランドだけで、リリーはこの2人に対しては相応の敬意を払って接しています。このため、リリーはたしかに狡猾なバッドガールではありますが、一本筋が取った真面目なところがあり、観客にとっては胸の空くような活躍をしてくれるヒロインに見えます。