「どうして私はこれまで何も知らず、知ろうともせずに生きてきたんだろう?」
ここ数年、なんらかの社会的マイノリティである人たちについての本を読むたび、その当事者である誰かの声に触れるたびに、それまで自分が無関心なままでいた、同じ社会の中に生きる人々の抱える痛みや、理不尽で差別的な状況があることを思い知り、打ちのめされるような気持ちになる経験を何度もしてきました。
たとえば、「差別」や「移民」「難民」の問題について、当然その言葉や存在は知っていて、時々ニュースなどで耳にはしていたはずなのに、自分ごととして切実に知ったり考えたりしたことがほとんどなかったということに、恥ずかしながら最近になってようやく気づいたばかりです。
「人種/民族差別」や「移民」「難民」という言葉や存在を、どこか自分とは遠いものであると感じている——そんな少し前の私のような人にこそぜひ手にとってみてほしいのが、国内外で難民や貧困、災害、マイノリティの方たちなどへの取材を続けてこられた、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる『あなたのルーツを教えて下さい』(左右社)という本です。
さまざまなルーツを持つ人々の断片に触れる
この本では、安田さんがこれまでに取材されてきた、日本で暮らすさまざまなルーツやバックグラウンドを持つ14名の方たちのエピソードと、在日コリアンであるというルーツを明かさないまま亡くなられたという、安田さんご自身のお父さまやご家族についてのお話が、写真やお名前とともに綴られています。
その14名の方たちは、ベトナム、ミャンマー、ドイツ、朝鮮半島、ペルー、カメルーン、台湾、フィリピン、中国、シリア、スリランカと世界の本当にさまざまな場所にルーツを持っています。それぞれ紛争や迫害から逃れて難民としてやって来ていたり、いろいろな事情で親/祖父母世代の頃に移住してきたという移民二世/三世であったり、留学をきっかけに日本で暮らし働くようになったり、両親のどちらかが外国出身であったりと、「外国にルーツがありながら日本に暮らしている」という共通点はありつつも、その背景や経験、送ってきた人生は一人一人まったく異なっていて、とても多様です。
この本は、まるでそんな日本で生きるさまざまなルーツを持つ人々に直接出会い、その姿や人生、悲しみや苦しみ、喜びや希望を含めた経験や思いの断片に、近くで触れていると感じられるような一冊になっています。
無関心は差別への加担なのかもしれない
この本を読み進めていく中でまず気づかされるのは、多様なルーツやバックグラウンドを持つ人たちがこの日本で数多く暮らしているという事実も、その方たち一人一人の顔や生活も、「異なるルーツを持っている」ことによって感じてきた葛藤や軋轢、社会の中で受けてきた不当で差別的な扱いとそこから受けるダメージも、そのすべてが、自分には少しも具体的な実感のあるものとしては見えていなかったのではないか、ということでした。
なかでも私の心に深く突き刺さったのは、在日コリアンというルーツを持って日本で生きる方たちの置かれてきた状況と、その方たちに対するあまりにも酷い差別やヘイトが今も続いていることについてです。
この本の中には、安田さんのお父さまを含め、朝鮮半島にルーツを持つ4人の方のエピソードや言葉が収められています。“朝鮮人”であることによって学校で苛烈ないじめを受けたり、ヘイト集団によって朝鮮学校が襲撃されたり、街で堂々とヘイトデモや街宣が行われ、「死ね」「殺すぞ」「ゴキブリ」などといった罵詈雑言が浴びせられたり、差別をなくすことを目的とした交流のための施設に脅迫文が送りつけられたり、SNSやネットで凄まじい数の誹謗中傷の言葉が書き込まれたり、在日コリアンの方が多く住む地区で放火事件が起きたりと、こうやって一つ一つ書き出していくだけでもとても苦しく、思わず目を背けたくなるような事実で溢れていることがわかります。
そして、こういった差別から心身の安全や生活を守るために、多くの在日コリアンの方たちが自身のルーツを隠し、通名を名乗り、日本人からの排除や攻撃の恐怖を日々感じながら生きざるを得ない状況にあることを具体的な出来事や声とともに知ったとき、「同じ社会に生きていながら、知らないでいること、無関心でいることは、十分差別に加担していることになるのではないか」と思わずにはいられませんでした。
韓国カルチャーの人気と差別への無関心
『あなたのルーツを教えて下さい』を読んでから、在日コリアンの方たちへの差別やヘイトについてより詳しく知ろうと調べていたとき、2009年の在特会による朝鮮学校襲撃事件を振り返る記事の中のある言葉が、私の目に留まりました。
事件当時五年生だったという在日コリアン三世の女性が、“事件を受け、いつも母と一緒に行くスーパーで「オンマ」と呼ぶことを控えるようになった”という一文だったのですが、その言葉が無性に心に引っかかったのは、つい最近まったく違う場所で、日本人たちが「オンマ(お母さん)」と言葉にしているのを目にしていたからでした。
私はフェミニズムを学ぶ中で、4年ほど前から韓国文学を少しずつ読むようになり、韓国の文化や社会・歴史に触れはじめました。そして、去年の夏頃からはK-POPにも魅了され、日々いろいろなグループの楽曲やパフォーマンスを楽しみながら、今はとあるボーイズグループを熱心に追いかけています。
情報を得るため、国内外のファンの方たちのSNSをフォローしていつも投稿を楽しく眺めているのですが、多くのファンは、推しの話す言葉や書く言葉を少しでも理解したいと韓国語を学び、しばしば韓国語の単語を織り交ぜて投稿や会話をします。先日メンバーのソロライブがあったときも、「今日は〇〇のオンマも観に来てたらしいよ」という情報にファンたちは「〇〇もオンマもうれしかっただろうね」と盛り上がり、私もそれを微笑ましい気持ちで見ていました。
もちろん、韓国のアイドルや俳優を好きになり、それがきっかけで国や人々に対して好意的な気持ちを抱いたり、韓国語を学んで使おうとしたりすること自体は、とても素晴らしいことだと思います。けれども、親愛の気持ちの表れとして日本人が韓国語を無邪気に使っている裏で、同じ社会の中に韓国/朝鮮ルーツの方たちへの深刻な差別やヘイトがあり、心身の安全のために自分の出自や言葉を隠して生きなければならない在日コリアンの方たちがいるという事実があるとき、その「差別」の問題を知らずにいること・無関心でいることは、あまりにも無責任なのではないか、と改めて思わされました。
なにより、“安全”で“平和”なはずの日本という国は、誰かが自分の故郷の言葉で「お母さん」と呼びかけることすら身の危険に繋がるような場所であるということが、そしてそのことに気づいてすらいなかった自分自身の無自覚さが、私には大きなショックでもありました。
しかし、今の日本では、K-POPやドラマといった韓国のカルチャーが人気であることと、在日コリアンの方たちに対する理不尽な差別や排除があるという二つの世界の間には、まだまだ大きな隔たりや温度差があるように思われ、その二つを当たり前に内包しているこの社会の歪さや矛盾を感じずにはいられません。
本当は「好き」であるかどうかに関係なく、当たり前に誰もが不当に差別されることのない社会を目指さなくてはならないですが、仮にも「好き」であるならば、楽しい部分や見たい部分だけを都合よく消費するのではなく、差別や歴史などの問題ともしっかり向き合おうとすることが、せめてもの誠実さなのではないでしょうか。
アイドルやドラマなどのカルチャーに触れるなかでは、つい「ただ楽しみたいだけで、難しいことは考えたくない」「自分は韓国の文化も人も好きだし、差別なんてしていないから関係ない」と思ってしまいがちです。もし差別の問題に関心があったとしても、気軽に話しづらいと感じる人も多いかもしれません。
私自身も、好きなアイドルのパフォーマンス動画やバラエティ番組・SNSの投稿などを見るとき、あるいはライブを観に行ったときなどは、純粋に眩しくて楽しい気持ちで応援しています。でもその一方で、日本には「ルーツが違う」というだけで誰かの人権を軽視し、差別したり排除したりするような価値観があることに危機感や罪悪感を抱き、それに加担しないために少しでも知り、変えていくためにできることをやっていきたいと思う気持ちも、今では同じくらい自分にとって大切で切実なものになっています。
幸いにも、私の周りにはSNS上でも現実でも、両方を同じ感覚や熱量で話すことのできる友人や知人が少なからずいますが、それでも一歩外に出ると、まだまだそうすることが難しい状況があることも痛感しています。けれども、日本でも一人一人の意識に少しずつ変化が生まれることで、友人同士やファン同士で、カルチャーのことも差別や政治の問題のことも同じように、当たり前に気軽に話したり考えたりしやすい雰囲気や輪が広がっていってほしいと、強く願わずにはいられません。
すべてを一度に変えることはできなくても
好きなアイドルや友人のことであれば、自然と「知りたい」と思ったり関心を抱いたりするように、多様なルーツをもって日本で暮らす方たちの姿や人生に触れることで、その後の自分の中での意識や捉え方に変化をもたらしてくれるのが、この『あなたのルーツを教えて下さい』という本のもつ力ではないかと思います。
この本の中では、安田さんも含めた登場する方たちの多くが、自身のルーツによって疎外されたり差別されたりした経験について書かれています。けれどもそれだけでなく、「自分に矛先が向けられるまで“差別”の問題は他人事だった」「自分がされて嫌だと思っていたことを、立場が変われば自分も他人に対してしてしまっていた」と、自分の中にも「加害性」や、傍観や無関心も含めた差別的な態度があったことへの気づきや反省についても語られていることが、とても印象的です。そして、そういった経験や語りに触れていく中で、読み手である私たちも、これまで自分が悪気なく言葉にしたり、見過ごしてしまったりしていた差別や排除の問題について気づき、考えや行動を変えていく一歩に繋がっていくように思います。
「在日コリアン」への差別の問題以外にも、非常に低い難民認定率や、人権を軽視し、まるで同じ人間としてみなしていないかような対応を行う入管や外国人技能実習制度の問題など、異なるルーツを持つ人々を差別し排除しようとする動きや価値観が、日本にはまだまだたくさんあります。
私自身もそうですが、いきなりそのすべてを自分ごととして考え、変えていくために具体的な行動を起こしていくことは、なかなか難しいかもしれません。それでも、安田さんが“構造的な差別に歯止めをかけるのは、多くの人々の目や声であり、今以上に踏み込んだ法制度の構築です”(p.318)と言葉にしているように、一人でも多くの人が一つでも多くの問題に気づき、自分にできることを少しずつでもやっていくことが、人権をめぐる問題だらけのこの国の状況を良くしていくことに、着実に繋がっているはずだと信じています。
だからこそ、まずは自分が個人的にカルチャーなどを通して親近感や繋がりを感じているところから、知ったり考えたりしはじめることが大切なのではないでしょうか。
そして「自分にできること」の一つとして書いたこの文章と『あなたのルーツを教えて下さい』という本が新たな誰かに届き、大切な気づきや一歩に繋がることができれば、とてもうれしく思います。