宗教と黒人差別・LGBTQ差別・中絶反対
ユダヤ教徒への差別は様々な理由が絡み合ってのことではあるが、根源的には「ユダヤ人がキリストを殺した」ことに起因する。つまりキリスト教徒によるユダヤ人差別は2000年にわたって延々と続いているのである。
アメリカが抱える他の問題もキリスト教に由来するものがある。黒人差別を組織的に行ったKKKもキリスト教徒たちだった。LGBTQを認めず、同性婚法に反対し、中絶にも反対する人々もその理由はキリスト教由来であることが多く、被差別側も多くはキリスト教徒である。
黒人差別、LGBTQ差別、中絶反対のいずれも昔から殺人まで起きている。その度にアメリカは議論を繰り返し、これらが選挙の争点になることも多い。しかし「差別はダメだ」を繰り返すだけでは効果は薄く、キリスト教側が内側から声を上げなければアメリカは、おそらく変化しないだろう。
他の宗教や無信仰者にも差別主義者はいる。しかし米国人の7割がキリスト教徒であり、その信仰(宗教そのものではなく、信仰のあり方)が差別の理由となっているのであれば、キリスト教のリーダーたちが自省と改革の声を上げなければならない。しかし、歴代大統領を含む政治家やメディアは表立っての宗教批判はしない。できない風土なのだ。
そもそも政教分離を訴えながらクリスマスが連邦の定める祝日であり、ホワイトハウスもそれを盛大に祝う。クリスマスはアメリカと切っても切れない文化として浸透し切っているからだ。クリスマスおよびキリスト教を政権から切り離せない以上、次善の策は他の宗教をホワイトハウスに取り入れることとなる。メノーラ建立とハヌカ祭事がそうだ。
もしも将来、ユダヤ教徒の大統領が誕生したとすれば、ホワイトハウスはクリスマスを祝うのだろうか(バーニー・サンダースはユダヤ系だ)。もしもイスラム教徒や仏教徒、もしくはヒンドゥー教徒やシク教徒の大統領が選ばれたとすれば、どうなるのだろうか。ニューヨークのように多人種・多宗教の都市に暮らすと、こうしたこともいつかは起こるのではないかと思える。
キリスト教徒ではないにも関わらずクリスマスのデコレーションで賑わう街の光景を楽しみ、自宅にクリスマス・ツリーを飾り、家族親戚にクリスマス・プレゼントを贈る自分自身をも振り返りながら、そんなことを思うクリスマス間近の日々なのである。
(堂本かおる)
1 2