12月18日
『M-1グランプリ』(テレビ朝日)。見ていて思ったのは、コントっぽい漫才をする人は、ネタが終わってからもゆったりしていて、「絶対に優勝しないと!」という気迫みたいなものもなくて、MCや審査員に何か振られても余裕で面白く返していたような感じがある。
特にロングコートダディの堂前は、『千原ジュニアの座王』(関西テレビ)などを見ている人であれば、誰もがその「おもしろさ」を認めるところであり、『M-1』といえど緊張感とかもこちらに見えてこないし(あったのかもしれないけど)、「何か無理して面白いことを言ってやろう……」などと考えなくとも、ぱっと面白いコメントが出てくる感じで、なんというか、お笑い自己肯定感が高いような印象がある。人に順位をつけられようが、つけられまいが、自分たちが面白いということには変わらないという、そんな雰囲気が漂っていた。
思えば、最終決戦以外ではひょうひょうとしてる人が多かった。ひょうひょうとしてる人はたぶん、「優勝しないとやばい」と追い詰められているような必死な目をしていなくて、その気持ちが余裕になってるのかもしれない。
対して優勝したウエストランドは、話術にしても、ネタにしても、もちろんそれは考えた上でかもしれないけれど、すごく必死な感じがして、生の現場では審査員を惹きつけたのかなって感じもする。
私は正直、彼らのネタにあったような「ネタの分析とかしてくるうぜーお笑いファン」だと思うし、ラジオでいろいろお笑いの裏話やテクニックを知ったら、いちいちすごいと思うし、「そんなに考えてたんだー」ってなるほうだし、「佐久間さーん!」だし、しゃらくさいコント師の単独ライブを喜んで見るタイプなので、彼らのネタを聞いている間、「気ぃ悪いわ!」と思って見ていた。
しかし、皆が面白いと言ってるし、いちいち目くじらたてるのは、カッコ悪いことのようなので、黙って……なんかいるつもりはない!
お笑いにだけ、何かを言ってはいけないというのはよくわからない。ポン・ジュノがアカデミー賞で言ったような「厳しいファンが自分たちの表現を成長させる」みたいなことって、どのジャンルにもあるはずで、それが批評ってものだと思う。
このような話を、「ウザい」と思う一大勢力がいるのもわかる。何か言えば言うほど、彼らの術中にハマった、みたいに思って控えたい気持ちにもなるが、そんなことに屈する必要はない。
彼らのネタの中に、「若いのに高級な寿司ばっかりインスタにのせる謎の女子」とあったが、それ単体だったら、けっこう普通に手垢のつきまくったミソジニーだと思う。それを「これはネタだし、ちゃんと悪口を昇華して笑いにしてるんだから」とか、「井口のようなよわっちいものが言ってるからいいんだ、目くじらたてるな」っていうのも、なんか変な説得の手法じゃない?と思う。私は、「意識が高いこと」(だけ)を笑うのは普段から好きじゃない。
ただ、彼らが「ウザい」とネタ中に言っていた『M-1アナザーストーリー』(テレビ朝日)での、彼らの表情にはなぜかぐっときてしまった。彼らにとって、それも不本意だと思うけれど。無理に演出に乗ろうとしないところに、逆に素が見えるような気がしたのかもしれない。
今、芸人が『M-1アナザーストーリー』をウザいと思う背景には、「勝手に物語なんかにされて、安易に消費されても困る」という気持ちがあるのだろうと思う。それは、まっとうな感覚だとも思う。けれど私は、『M-1アナザーストーリー』を見て初めて、ウエストランドの関係性や人となりを知り、芸人たちが言っている、「井口が言ってるからこそ面白い」みたいなことの意味がわかったような気がした。ただ、M-1で、「あいつがいってるから面白いんだ」ということは、すでに物語消費のまっただ中にいるということではないのか。まーこれもウザい分析のど真ん中なんだろうけど!
12月22日
『トークィーンズ』(フジテレビ)には、ハライチが出演していた。ハライチ二人での出演だというのに、澤部は岩井の友人みたいな立ち位置で、岩井の人となりを教えてくれる証言者みたいになっていた。ひと昔前のテレビならば、「澤部にしか興味がない」というような態度であったのに、変わり身が早い。とは思うけれど、それだけ今、岩井が女性のトーク番組において、関心が持たれるような人物だということだろう。
岩井は番組の中で「無償の愛で包んでくれる人が好き」「自分のことを好きな人が好き」という気持ちを隠さない。私だってその言葉にはモヤモヤする。岩井はゲームの『ときめきメモリアル』に出てくる館林見晴というキャラクターが好きなのだという。館林見晴のことは知らなかったが、岩井曰く「みんなの好感度が下がっても、館林見晴だけは自分のことが好き」なキャラクターらしい。そう聞くと、一時は面白くてもそれが採用されないので世間にも注目されず、澤部の陰に隠れた形で、当時の嫌な言い方で言えば「じゃない方」とされてきた人が言うこととして重みがあるなとは思った。まさに、(岩井をその当時から面白いと言ってくれていた)坂下千里子のようではないか! ちなみに岩井は、無償の愛をくれた人には、その分、同じように返すのだという。
こうした岩井の「無償の愛で包んでくれる人が好き」と言ったり「理論で詰める」ような男性をどうかと聞かれた、めるること生見愛瑠は「こういう方と一緒にいると、私、ニキビできちゃうんですよ」と言っていたが、それはそれで、めちゃくちゃ健全であった。
しかし、私はけっこう岩井勇気の考え方のファンである。この日はさすがにちょっと嫌いになってしまうかと思ったけれど、そんなことはなかった。
トークの中で、岩井が興味を持って友達になりたい人について聞かれると「この人どういうことを考えてるんだろうなと不思議に思う人と話してみたい」と答え、この日の出演者の中では、藤田ニコルに関心があるという。「言ったことに対して考えてくれそうじゃない? なんか上辺で処理するようなことしなさそうじゃない? ノリでいなされちゃうと、この人話できない人なんだってなっちゃう」と言っていたので、やっぱり岩井勇気の考え方が好きだなと思った。
番組の流れもあるけれど、こういうときに、「恋人にしたい」ではなく「友達にしたい」で聞いているのもよかった。「友達にしたい」で聞いたほうが、顔の好みや女性らしさみたいな話に落とし込まれず、人としての話になりやすいものなのかもしれない。
そして、今日この日記を書いていて思ったが、たぶんわたしが岩井勇気を好きなのは、「批評を毛嫌いするのではなく、そのまま届きそうな」人だからなのだと思う。この日の『トークイーンズ』の話を考えても、岩井自身が批評的な人だと伝わってくるし。