米国で「ニーハオ」と言われ続ける日系人〜マイクロアグレッションの問題とは

文=堂本かおる
【この記事のキーワード】
米国で「ニーハオ」と言われ続ける日系人〜マイクロアグレッションの問題とはの画像1

GettyImagesより

 時代は差別に対してどんどん敏感になっている。昔なら見過ごされていたであろう人種民族、ジェンダー、性的指向、宗教、年齢、障害etc. への差別言動が、今では厳しく問われるようになった。それに伴い、耳にする機会が増えたのが「マイクロアグレッション Microaggression」という言葉だ。

 人種への差別を例に取ると、特にアメリカでは黒人への殺害にまで至る身体暴力や、Nワードに代表される侮蔑語による差別がよく知られ、現代社会では厳しい批判もなされる。しかし「マイクロ(微細な)」と「アグレッション(攻撃、侵害、敵意)」の合成語であるマイクロアグレッションと呼ばれる差別は身体暴力を伴わず、言葉にも直接的な差別用語が含まれないため、差別だと主張することが難しい。だが、マイクロアグレッションを日常的に投げ付けられると、それは心の中に澱(おり)のように沈殿し、徐々に重みを増し、自分はここに属さない人間なのだと思い込まされることになる。

褒めているつもりのステレオタイプ

 米国に暮らすアジア系にはポジティブ/ネガティブ両方のステレオタイプがある。「几帳面」「勤勉」などは一見、ポジティブに思える。しかし、例えば職場で同僚の細かいミスを見つけ、それを良かれと思って伝えた時に「やっぱりアジア人は真面目よね」などと言われると、胃になにかシコリのようなものを感じてしまう。全てのアジア人が几帳面ではなく、そもそもアジア系以外の従業員が見つける可能性もあったはずだ。こうした日々の生活の中での一見何気ない、だが実は偏見に基づいた差別言動をマイクロアグレッションと呼ぶ。

 これは日本での「黒人はダンスやスポーツが得意」「白人は色が白くていいな」と同じだ。黒人にはダンスやスポーツが人並み、もしくは苦手な人もいる。白人が全て透けるほど色が白いわけでなく、逆に色の薄さゆえに肌が極端に弱く、陽焼け対策に困っている人もいる。どれも相手を褒めているつもりが、実は資質、能力、外観を人種によって一方的にカテゴライズし、相手を個として見ていない。言われた側はそれを敏感に察知する。

 ファッション雑誌やヘアサロンの看板で見かける「外国人風の髪型」も日本の白人崇拝の現れであるだけでなく、日本に暮らす外国人/外国籍者へのマイクロアグレッションでもある。白人にもゆるいウェーブのかかった茶色い、いわゆる「ゆるふわ」な髪ではない人がいる。黒人は全く異なる髪質だし、なにより日本人と同じ髪質を持つアジア系外国人の存在を認めていないことになる。

「ニーハオ!」議論

 米国のアジア系の話に戻すと、「ニーハオ」議論がある。アジア系の、特に女性に「ニーハオ!」と声を掛ける男性が少なからずいる。これがマイクロアグレッションか否か、の議論だ。

 外観から日/中/韓、または他のアジア国出身者の見分けがつかないのは当然であり、しかし、ならばなぜ、本人への確認も取らず、通りすがりに「ニーハオ」と言うのか。アジア系を十把一絡げにしており、ルーツの違い、および個々人の違いを認めていないのだ。中国人と思われたくないことが理由ではなく、仮に「コンニチハ!」と言われてもそれはまぐれ当たりであり、ニーハオと同様にマイクロアグレッションだ。

 在米邦人にも、そこまでこだわらないという人もいる。「違いますよ、私は日本人ですよ」と応えることで会話のきっかけになるし、そもそも相手に悪気はないとする意見だ。

 実のところ、相手に悪気がないことこそがマイクロアグレッションの問題点と言える。

 私がハーレムのYMCAで働いていた時のこと。当時、職員のほぼ全員が黒人かラティーノであり、それ以外の人種はごく稀だった。ある日、アフリカン・アメリカンの職員が私のところに来て、「君の友だちがロビーに来てるよ」と言う。全く心当たりがないながらもロビーに行くと、面識のないアジア系の女性がいた。その女性は新たにアウトリーチ(館外活動)を担当するための打ち合わせに来ていたとのことで、私とは担当部署も違っていた。

 私に声を掛けた職員は、黒人地区にいる数少ないアジア人は皆友だちだろうと無意識に考え、親切のつもりだったのだ。

1 2

「米国で「ニーハオ」と言われ続ける日系人〜マイクロアグレッションの問題とは」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。