卒業間近のノンバイナリーの学生たちの日常を描く『No Longer Home』をやってみた

文=近藤銀河
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 一人暮らしをする力がなく、定職の見込みがなくって、部屋を整えられない。ジェンダーアイデンティティが尊重されず、人種やルーツによる差別があり、ジェントリフィケーションにより街が高級化していく、そんな社会の中で暮らしている。政治は変わらず変えられず、無力感に打ちのめされそうになる。そんな状況全てに対して、何かできたのではないかと思いつつ、自分が最善を尽くしたとも思っている。

 私もそんな学生の一人だし、私の周りにもそんな学生がたくさんいる。

 今回紹介するゲーム『No Longer Home』はそんな学生たちの物語だ。

悩める学生の出会いと別れ

 本作には前日譚の『Fairy Road』と表題作『No Longer Home』の2作が収録されている。プレイ前には本作が開発者たちの実際の人生が反映されたフィクションだという説明が表示される。たしかに一通りプレイしてみると、作者の人生と密接に関連した短編小説を読んだ時のような感覚が残った。

 前日譚の『Fairy Road』ではジェンダーアイデンティティに悩む二人の美大生、ボーとアオのパーティでの出会いと同居のきっかけが、そして表題作の『No Longer Home』ではその二人の別れが語られる。主人公たちのボーもアオも男や女といった二分法に当てはまらない人物として描かれ、作品の説明文では「クィアでノンバイナリーな学生」と明記されている。

 どちらの作品でも、フラットでイラストのような画面と、演劇のセットのようにスライドしながら現れる背景の演出が特徴的だ。

 『Fairy Road』は男女という二分法による性とは異なる性自認を持つボーが、初めて会話するアオにカミングアウトし、アオも自身の持つ同じような感覚を打ち明けるところから始まる。

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 二人の会話はさらに展開して、家族へのカミングアウトのことや、1年後に控えた卒業のこと、美大生としてのこと、そして大人になること、といった将来の話を中心に広がっていく。それは、社会の用意したルートの振り分けに自分たちが乗れないこと、そしてどこかで受けている抑圧への不安についての会話であるように私には思えた。

 一方で『No Longer Home』では卒業間近のアオとボーの姿が描かれ、二人のこの一年の過去が幾つもの想いと共に回想されていく。

 アオとボーは同居をはじめ、何人かとシェアハウスをしていたけど、アオはビザが切れてしまうので卒業と共に日本に帰ることになり、二人は別々の場所へ旅立つことになる。そんな二人の開く、友人たちとの最後のパーティとその前後を描くのが『No Longer Home』だ。

 『Fairy Road』では会話と選択肢を選ぶことでゲームが展開していったけど、本作ではそれに加えて舞台となるシェアハウスを移動して、色々なオブジェクトに触れたり見たりすることでもゲームが進んでいく。

 アオとボーや友人の会話、部屋の色々な物が思い出させる過去。それらが語るのは諦められない思いと諦めざるを得ない現実についてだ。二人が離れ離れになってしまう将来を、変えることができたのではないかという思い。次第に高級化していき人を追いやる街を、変えられたのではないかという思い。

 作中時間が進んでいく中で、友人を集めてのバーベキューやゲーム会のようなイベントが起きたりする。語り合ってみると、やっぱりみんな、同じような暮らしの中にいることがわかる。

 そうやっていくつもの語りを聴いていく中で、浮かび上がり懐古されるのは様々な困難を持ちながら、日々を乗り切ろうとしてきた、もがくような日常だ。

コントロールできないものをコントロールする

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 雑草が繁殖した庭、芽が生えた米の入った炊飯器、水道に絡む草、他の同居人が捨てない腐ったフルーツ、上の階の住人が盗んだ箒などなど。家の中にはコントロールできなかったという、その結果が溢れている。

 それらの物事は、家の外にある様々なコントロールできない出来事と照応しているようで、なんともいえない窒息感を生み出す。アオとボーが離れて、別々の国に振り分けられてしまうこと。街が次第に変化し、人を追い出していくこと。自身のジェンダーアイデンティティが尊重されない場面(そしてされる場面)があること。外国人としてロンドンで暮らすこと、ずっとロンドンにいた人間としてロンドンで暮らすこと。人種とアイデンティティのこと(アオはイギリスではアジア人として雑に分類されるが、日本では韓国の苗字を持つため溶け込めない)。お金がないこと。部屋を綺麗にできないこと。アーティストとしての立ち位置のこと。

 そうした数多くの傷が、1年暮らしたアパートの中にある数多くの持ち物に浸透しているのだ。

 アオとボーたちは悩む。これからの進路、大人になること。そこにあるのは未知の不安というより、もっと良くできたのではないか、という後悔と私は受け取った。それはまた、自分たちのアイデンティティや生き方と、社会の規範が求める人間の間にある不一致についての語りでもあるのかもしれない。ボーは度々、自分が家族の期待を裏切ったのではないか、ということを口にする。

 そうしたことをどうやって受け止めれば良いのだろうか。もちろんそれらを受け止めるのは難しく、受け止める必要があるわけではない。しかし、用意された離別は残酷に迫ってくる。

 ゲームの中盤では、みんなで集まってゲームをする場面がある。プレイするのは選択肢によって展開が変化するテキストアドベンチャーだ。

 ここでプレイヤーは、このゲーム内ゲームをプレイするのではなく、周りにいる友達が提案する選択のどれを採用するかを決めることで、ゲーム内ゲームを進行させていく。

 選択肢が主人公の発言の内容を選ぶのではなく、誰のどの発言を選ぶか、という方式になっているのはここだけに限らない。いくつかの場面では自然にこの方式による選択肢が提示される。

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 会話の最中には相手の発言を待つようなことがあったりするけれど、私はなんとなく会話のそういった側面を、この選択肢の示し方に感じたりした。同時にそれは、主人公の言動が全てを支配するような主流のゲームとは違った、誰もが物語を決めていくような感覚も提示してくれる。

 それは人生を少し俯瞰的に見て、受け止めていく行為でもあるのかもしれない。このゲーム内ゲームでは、森の中で避難できる家を探す物語が語られる。それは、アオとボーが置かれた今と、どこかでリンクする物語だ。

 現実から離れた、アオとボーの物語を象徴するような要素は『No Longer Home』の中にたくさんある。ベッドの上の不思議な物体、アオが描いた怪物そっくりの新しい入居者。

 それらは受け入れ難い現実と、なんとかやり取りしようとする試みなのかもしれない。受け入れる必要はないけど、現実はあまりにもコントロール不能だ。コントロールの難しさはゲームの中で何度も繰り返し語られる。

区分の理不尽と繋がり

 一方で、ゲームとはそういう理不尽でコントロールできない世界を、コントローラーを握ってなんとか乗り切ろうとするメディアでもある。そうやって人生を語り直すことで、なにか自分を取り戻すことが出来るのかもしれない。『No  Longer Home』にはそんな感覚が漂っている。

 ゲームの序盤で視線を変える機能が追加されるところにも私はその感覚を覚える。ゲームでは、初めのうちは視線を変えることができなくて、常に一定の角度からしかアパートを見ることができない。けれど、序盤のイベントをこなしていくうちに、見る角度を変える機能が追加される。

 文字通り、見る角度をコントロールしてプレイヤーは新しいものと出会っていく。それによってなにか人生や社会が変わるわけではないし、理不尽は無くならない。ただ、人生を捉え、理不尽を見つめていくことが、出来るようになっていく。

 それは社会から切り捨てられたような存在を拾い上げ、どうにか生存を続けていくための儀式でもあるのだ。

 ゲームには他にも、角度を変えることで物事と出会い直していく描写がある。中盤に入るあたりで、主人公たちが暮らす家の地下が映される場面がある。水平に広がるゲームの中では能動的にはいけない場所が、地下には広がっている。地下鉄を使う人物、そして新しく造られる地下鉄で工事を行う人々。文字通りの階層で分けへえだてられた人々の姿だ。

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 ゲームでは想像という力を使って、この出会えない人々と、自分たちの人生が確かに繋がりあっていることを描こうとする。

 それは区分を描くことで、その区分の理不尽を語ろうとする試みなのかもしれない。ボーとアオも、様々な異なりがあり、今度はそれが地理的な距離として拡大されていく。それでも繋がり続けることが出来るなら、どんな意味がそこにあるだろうか。

 どうしようもない現実に対してアクションを続けることにどんな意味が持てるだろうか。

 そんなことを思いながら、私はゲームを抜け出してアオとボーの日常に連なる日常に帰って、今こうやって記事を書いている。

これからプレイする人向けのポイント解説

PC/Switch/XBOX/PSでプレイ可能。
・今インタラクションしようとしているオブジェクトは、白いアイコンで確認できる。ちょっとわかりにくいけど、選択しているオブジェクトのアイコンは線が少し太くなっている。
・インタラクションするオブジェクトは近づく以外にも十字キーで選択可能。
・エンドクレジットの最後には、参考書籍や参考ゲーム、参考映画などが書かれたPrefarenceが出てくる。クィア、ジェンダー系の本から資本主義の本も出てきたり、とても興味深い。ある種のガイドにもなるはず。必見。
・ノンバイナリーについて知りたい人は『ノンバイナリーがわかる本 ――heでもsheでもない、theyたちのこと』( エリス・ヤング著 上田勢子訳 明石書店)をまずはぜひ。

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