ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみた

文=近藤銀河
【この記事のキーワード】

ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみたの画像1

 人生にめちゃくちゃな「何か」が起きて、どこかへ連れ去られたい。そんな空想を時々している。耐え難い今と自分から、安心できて、何かと向き合う気力の湧く場所へ向かいたい。そんな願望。

 だってこの世界も社会も、差別でめちゃくちゃだし、自分の中だって、色々な課題が散らばっていてめちゃくちゃだったりする。そんな所から抜け出して、今の社会や自分のことをちょっと落ち着いて考えるためには、突飛な想像力が必要なんじゃないか、と思う時がある。

 『Get In The Car, Loser!』はそんな想像力を持ったゲームだ。目立たない普通の学生だったサムが放課後に突然、学園の人気者で行動力と自信に満ちたグレースに誘われ、長い眠りから目覚め復活した「Machine Devil(機械の悪魔)」と戦う旅に出る。

 そして、このゲームの想像力はクィアな生と密接に結びついている。

 サムたちのパーティ(RPGなんかで使われる言葉で、チームを指す言葉)は、クィアな人々で構成されている。主人公のサムはトランスジェンダーのレズビアンでヒーラー(味方を回復させる役)で、グレースはパンセクシャルのアタッカー(強力な攻撃を放つ役)で、ヴァレンティンはノンバイナリーのタンク(敵の攻撃を受け止める役)だ。

 本作のクィアさは、そういう人々のクィアさだけに依存しているわけではない。それはサムたちが繰り広げるロードムービー的な旅の描かれ方だったり、困難のあり方だったり、立ち向かい方であったりに宿っている。

 そんな『Get In The Car, Loser!』だけど残念ながら現在、本作は英語のみとなっていて、日本語対応はされていない。とはいえ、フェミニズムやクィアの視点で注目したいインディーゲームには、そういった作品が多いのも事実。そこで、今回は記事の最後に自動翻訳を駆使して英語のゲームをプレイする方法も紹介していくので、英語はちょっと……な方もぜひ試してみてほしい。

ヘイトと闘うRPG

ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみたの画像2

 『Get In The Car, Loser!』はJRPGというジャンルをベースにしているゲームだ。JRPGとは文字通り(?)日本で生まれたRPGとその派生作品を指すゲームのジャンルで、『ファイナル・ファンタジー』シリーズや『ドラゴン・クエスト』シリーズのように何人かのキャラクターがパーティを組んで、アクションではないバトルを行う作品、みたいなものがよくこれに挙げられる(とはいえ厳密な規定があるようなものではない)。

 そうした作品の中ではだいたい戦闘があって、敵が出てくる。これまでも敵は色々だった。時に復活した神々だったり、圧政者だったり、帝国主義者だったり、資本主義による搾取を行う企業だったり、あるいは民衆の欲望であったり。

 それは現実の脅威のメタファーであり、プレイヤーが感じる恐れそのものだったりした。

 このゲームの敵であるハラスメント集団「Machine Devil」lは、ヘイトを撒き散らかし、人々の憎悪を増幅させる存在である。各章の終わりで主人公たちに立ちふさがる敵は、主人公たちをミスジェンダリングしてくる元カレだったり、サムの記憶の中にあるトラウマや内面化された差別を利用してくる相手だったりする。

差別に抗うリアルさと想像力

ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみたの画像3

 それは、クィアな人々が直面する脅威そのもので、ある意味では日常になってしまったものだ。一度、外に乗り出せばそんな脅威はあちこちにある。

 このゲームではそのリアルな恐怖が、蘇った機械の悪魔との剣と魔法の戦いという、とっぴな想像力によってJRPGの文法と掛け合わされることで、ちょっと遠くから見直してコントロールできるものとして、提示される。

 主人公たちは傷つきながら、Machin Devilとその手先に抗っていく。剣や魔法を使って戦うサムたちの姿は、非現実的なものだけど、だからこそ胸に響くし、癒される。

 あまりにも近くて、痛く、考えるのさえ辛いようなことを、物語は距離をとって語ってくれる。このゲームの中でめちゃくちゃな空想は、クィアな人々への攻撃を受け止める時のクッションとなっている。魔法も伝説の剣も天使も、私たちの世界にありはしないけど、そのありはしないことが、大事なのだと思う。

 そして本作のパーティの面々も、リアルな感じと誇張されたキャラ的な立ち方が同居している。

 グレースは行動力があって、いきなり学園に秘蔵された対悪魔の剣を盗んでいたりする。ヴァレンティンはサポーティブな性格だけど、筋肉がみちみちで、力強い。サムは弱さがあるヒーラーで主人公でもある。ヒーラーは従来のゲームだとサブキャラにされがちな立ち位置だった。さらに途中で天使のアンジェラ(まんまな名前)がやってくる。アンジェラは、蘇った悪魔になにもしない天界を裏切って地上にやってきたのだ。

 そんな一行が、Machine Devilと、そして差別と戦っていく。

何もない時間のクィアな会話

ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみたの画像4

 『Get In The Car, Loser!』は旅のゲームでもある。サムたちは、公道を車で走ってMachine Devilたちの本拠地へ向かう。時折、燃料の補充にガソリンスタンドへ向かって、時々Machine Devilと戦闘したり。でもそこでは、ほとんどの時間が何も起きない。

 このずっと続くドライブの間を埋めるのは、どうでもいいような会話の数々だ。

 それが私は本当に大好きだった。人生の多くの時間も「多様」な人々の時間も、そのほとんどは何も起きない、特別じゃない平凡な時間だ。マイノリティで外から「特別」に見えても、人生は決してそうではない。

 けれども、特別ではないそんな時間、中でもクィアな人間同士でのそんな時間は、異性愛主義やシスノーマビリティが溢れる世界では、とても大切な時間でもある。

 私にとっても生きることの支えは、本当にどうでもいいような会話を、クィアなことを語り合っても大丈夫だと思える場で、人と話すことにある。オンラインで、オフラインで、あるいは仄聞のような断片であっても、私はそんな時間に支えられて生きてきた、気がする。

 本作ではそんな時間が、本当に上手に描かれている。誰も相手のクィアな自己を馬鹿にしないし、舐めない。けれど、ともに笑い合って、思っていること、思ってきたことを話して、互いを尊重していける。そんな理想的な時間が、このゲームには流れている。

恋愛がメインにならないレズビアンのストーリー

 もう一つ、私がいいなぁと思ったのは、この作品が主人公でレズビアンのサムの恋愛を本編では描かなかったところだ。サムは惚れっぽい感じで、グレースにもちょっと思いを寄せているけど、お互いに一線を越えるような感じにはならない。

 このゲームが描くのはクィアな人々の友情についてで、それは恋愛をすることと結びつけられがちなセクシュアリティを、自立したものとして示す試みでもある。その時間を楽しく描くのは本作の美点だ。

 一方で、ゲームが描く世界はとても厳しい。公道に出れば恐ろしい機械のモンスターに襲われ、戦い抜くことになる。放置していれば世界を滅ぼすことになるのに、主人公たち以外は誰もそれに立ち向かわない。ガソリンスタンドにいる人に話しかけてみれば、ヘイトをぶつけられたりする。それはまさに今の現実のあり方の一端でもある。

 もちろんゲームが描く世界は単純化されたものだ。敵も味方もハッキリしていて、ゴールだってわかっている。現実では特別な世界を救う存在にはなれないし、ならない方がいいだろう。でも、そんな傲慢さをゲームが許容するとき、ちょっとだけ自分のことを自分のことの外から見れる瞬間がある。

内面化されそうになる差別との戦い

ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみたの画像5

 とはいえ、『Get In The Car, Loser!』はもっと深い暗闇にもその語りを広げていく。

 こうした作品で内面との戦いは度々描かれてきた。もう1人の自分との対峙や対話は、ある種のお約束でもある。物語の中盤でサムもまた内面世界で自己と対峙することになる。

 本作が描く内面との対話は、本当に暗く辛いものだ。Machine Devilから精神への攻撃を受けたサムは、仲間を認識できなくなり、ネガティブな思いを呼び起こさせられてしまう。

 そこで描かれるのはサムが受けてきた差別の記憶であり、それによって内面化されそうになる自罰的な差別意識との戦いであり、自己肯定を出来ないで生きてきてしまった痛みであり、同時にそれらを乗り越えようとするサムの苦闘でもある。

 SNSの中で見てしまったトランスジェンダーへの差別に、サムが苦しめられる場面は実際に見たことがある光景そのもので、正直ちょっと見ていられなかった。

 このパートの最後でサムが対峙するもの、そして仲間との再会は泣きながらプレイしていたと思う。現実には、仲間なんていないかもしれないし、現実では、対峙できなかった人たちもたくさんいる。だから辛いけど、同時に空想がそれを乗り越えようとする力に胸を打たれる。

 本作の強みというのは、描くものに焦点を絞ったからこその強さで、それは多くの対象を想定し普遍的な経験と比喩を駆使するような作品とは、違う態度による強さと普遍性でもある。

 その意味で、サムの内面世界の描写は、このゲームの目指すところがよく現れた場面でもあった。サムを苦しめるもの、サムが戦うものが、リアルに、とてもハッキリとした形で描かれる。

 そこにあるのは、私たちが暮らす世界のどこかであり得る1人の人間の体験であり、その体験を考える想像への促しなのだ。

子供のころの空想の具現化

 サムが自身の内面に沈み込んでいく場面では、サムに体の中に色々な画像がコラージュされ、その画像が次々に変わっていく描写がされている。

 この描写は『新世紀エヴァンゲリオン』みたいな日本のサブカルチャーを思い出して、不思議な気分になった。『Get In The Car, Loser!』はJRPG的な作品だと解説したけど、この作品には日本のサブカルチャーからの影響が色々なところに感じられる。

 でもそこで描かれるのは生々しいトランスジェンダーへの差別であったり、その生をめぐる政治であったりする。このゲームはサブカルチャーが象徴的に描いてきたものを、具体的なクィアな人生として読み解いて行く。

 自己肯定の葛藤であった『エヴァンゲリオン』的な演出は、ここではトランスジェンダーの差別の苦しみと葛藤として読み替えられている。

 それはなんだか、私が子供の頃からやってきたことを、ゲームとして再現されているようにも感じた。子供の頃、触れることのできるフィクションはほとんどがシスジェンダーの異性愛的な物語だった。

 でも、私が生きるため、自分のことを考えるためには、クィアな物語がやっぱり必要だった。だから私は、ストレートな物語と、クィアな自分の生が重なる地点を探して、そこで自分が生きるための何かを探そうとしていた。キャラクターたちの葛藤の中に自分と重なる部分を探そうとして、それを見つけてはクィアな空想をしたりしていた。

 ゲームでも漫画でもアニメでも小説でも実写でも、そうだったと思う。クィアな友達を見つけて旅に出れたら、なにかパワーを得て自分を肯定できたら、同性との恋愛が壮大な運命によって肯定されたら。そんな子供っぽい空想をしていた時代を、『Get In The Car, Loser!』は思い出させてくれた。そしてこのゲームはその空想を具現化してくれていて、なんだか不思議な、過去がやって来たような気分になった。

 本作はドット絵という、荒いグラフィックの表現を使っている。3D表現が本格化するまで、ドット絵はゲーム表現の主流だった。本作のそんな表現も、過去の記憶を思い起こさせる。

 あたかも、子供の頃の理想を、子供の頃に空想していたこんなゲームがあったらなぁ、みたいな思いを作り直すような作品だ、と私は思った。

『Get In The Car, Loser!』が提示するヒーロー像

ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみたの画像6

 物語の最後で、グレースは前世代のヒーローと出会う。彼は戯画化された古典的なファンタジーのヒーローといった感じで、ミソジニックで、女性が力を持ってヒーローをやっていることをイマイチ受け入れられないし、グレースがいつか結婚して落ち着くんだろう、なんて思っている。

 もしかすると、彼はもう一つのノスタルジーで、あの時代を今から懐古するときに浮かび上がる危険さを象徴するような亡霊なのかもしれない。この場面では、グラフィックはもっと簡略化されてファミコンっぽい画面になっている。

 でも、グレースはそんな彼に自分の意思をハッキリ語る。「ヒーローはジェンダーの鎖に繋がれることを拒絶し、愛によって危険に立ち向かう」のだと。

 かつてのヒーローは、その語りを聴きながら、勇気を持つ人々、その勇気のありようの変化を理解しきれないながらも受け入れていく。

 それは作者の考えるヒーローたちのあり方の提示だ。多様で、ジェンダーに縛られず、相手のジェンダーを尊重していく。

 そんなヒーローになりきれるかはわからないけど、そんなヒーローを提示する『Get In The Car, Loser!』に私は、勇気づけられ、また明日も生きようと思えてきた。

自動翻訳で日本語に翻訳されていないゲームを遊んでみよう

 冒頭で説明した通り、本作は全編英語になっている。特にインディーゲームをプレイするにあたって、言葉の壁は大きい。

 でも日本語になっていないけどプレイして欲しい作品は決して少なくない……というわけで、日本語じゃない作品をプレイする方法をここで説明してみる。

 今回オススメしたい方法は「スマートフォンのGoogleアプリを使う方法」「PCのDeepLアプリを使う方法」の2つ。

 順番に説明してみる。

 スマートフォンを持っていれば、Googleアプリを使う方法が一番楽で、これはandroidやiPhoneのアプリで使うことができる。

 検索欄の下から「テキストを翻訳する」を選択するとGoogleレンズが起動して、リアルタイムに写っている言葉を翻訳してくれる。

 画面遷移とかにはあまり反応してくれないけど、カメラを振ったりカメラの前を手で塞いでもう一度写すと改めて新しい画面を翻訳してくれる。

 微妙に翻訳が怪しいのが難点だけど画面に直接、翻訳を表示してくれるのでUIなどが複雑なゲームには向いているかもしれない。

 スマホ固定スタンドとかがあるとより便利。

参考:「“Googleレンズ”翻訳機能でSteamの海外タイトルを遊んでみよう! 日本語未対応のゲームをスマホで訳して遊ぶやり方を紹介

 もう一つがDeepLのサイトからダウンロードできるDeepLのアプリのOCR機能を使う方法。

 アプリ右上にある、四本の横線のボタンから「設定」を開いて「画面上テキストの読み取り」をオンにして、ショートカットを設定して覚える(デフォルトだとCtr+F8)。その後ゲームに戻って、設定したショートカットを押すとDeepLの画面読み取りモードが始まる。

 このときに翻訳してほしい箇所をドラッグするとアプリが翻訳した結果を表示してくれる。ただ、折り返しを改行と認識したり、ドット絵文字のような特殊なフォントは微妙に間違えるなど、手動で調整する必要がある箇所もあって少し扱いにくい。

参考:「高精度で話題の機械翻訳サービス「DeepL」を使ってゲーム内の文章をその場で翻訳。日本語未対応ゲームの強い味方「OCR2DeepL」が配信中

 また、もう一つ紹介したいのが「PCOT」を使う方法。PCOTは個人開発されているフリーソフトで、少し扱いが難しいし、ゲームを「Fullscreen」から「Windowed」にしなければいけないなど制約も多い。

 ただ画面認識の性能はDeepLよりも高いし、翻訳ではDeepLと連携もできる。PC知識に自信がある方は調べて使ってみてほしい。

参考:「画面上の英文を読み取ってそのまま翻訳できます」―ゲーム向け汎用翻訳支援ツールPCOT作者ぬるっぽ氏インタビュー【有志日本語化の現場から】

 といくつか自動翻訳の紹介をしてみたけど、どれも一長一短で組み合わせて使っていくのがいいかもしれない。

 また自動翻訳の大きな欠陥として、ときに差別的な翻訳結果が出てしまう、ということもある。たとえば私がやってみたときにはサムの一人称がなぜか「僕」として翻訳されることがあった(もしかすると彼女のレズビアン的欲望についてのセリフだったからかもしれない)。この点も注意が必要。

これからプレイする人向けのポイント解説

・本作はPC向けにitch.ioSteamで販売中。コントローラーが必要なので注意!
・作者のクリスティン・ラブは他にもフェミニズムやクィアと密接に関係したゲームを作ってきている。
・実を言うとこのゲームの戦闘は結構に独特で難しい。オプションで難易度を下げても意外と難しい。
・攻撃するには武器を装備する必要があるのだけど、武器には「RAVENGE」「ATTACK」「DESTRUCTION」の属性がある。
・基本的にはダメージを与えることで相手を「STUN」させ動きを封じることのできる「RAVENGE」で「STUN」を狙いながら、「STUN」した相手に大ダメージを与えられる「DESTRUCTION」を叩き込んでいくのが流れ。
・武器はガソリンスタンドで買うことができて、いらない武器やアイテムは武器に強化に使える。いらないアイテムはガンガン強化に使って行こう。

 今月の更新で「フェミニスト、ゲームやってる」のシーズン1は終了です。一カ月のおやすみののち、6月から「フェミニスト、ゲームやってる」シーズン2として、レベルアップして更新予定です。さらに、本連載の書籍化も決定。晶文社さんより出版予定です。お楽しみに!

「ヘイターと戦うレズビアンでトランスなロードムービー 『Get In The Car, Loser!』をやってみた」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。