『週刊さんまとマツコ』芸能人が与える「夢」って何なんだろう ぼちぼちテレビ日記

文=西森路代
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3月25日 誰もがぼんやり感じていた歪な構造を描いたコント

 『キングオブコントの会2023』(TBS)。今年から出演のニューヨークの「誕生日パーティ」が興味深かった。屋敷演じる歌手の”ゆうと”はマネージャーから聞いて邦楽番組の打ち上げにいくも、そこは誰だか分からない人たちが自分のために催してくれたサプライズの誕生日パーティだったというコント。

 事務所がお世話になっているという社長が主催者で、来ている人は誰かわからないユーチューバーにJ2のサッカー選手、謎の格闘家、謎のノリボケを社長とやるお笑い芸人など……。

 男性は皆、何かの肩書があるのに、来ている女性のことは主催者も何をしているか知らない。女性はやたらとこういう飲み会に行っているのでいろんな有名人と知り合いで、飲み会で会っただけで「友達」と言ってしまう。”ゆうと”が不思議に思うと、マネージャーは「こういうとこにいる子って死ぬほど飲み会行ってるから、全部の種類の人間と友達なんだよ」と説明する。その後、女性たちは、カラオケの歌を聞きながら、来ている男性たちと一斉に(お約束のように)キスを始めるのであった……。

 このコントを見て、そんな飲み会は都内のどこかにありそうだし、そんな風に女性を飲み会に呼ぶような慣習やそれにともなう構造があるのなら(たぶんあるだろう)かなり歪だなと感じる。そんな、誰もがなんとなく噂に聞いたことがあるけれど、その歪さに気づいても言及してこなかったことを、このコントはやっているなと感じたし、シニカルなところはあるにしろ、こうした目線をコントにできるのはニューヨークならではだなと思った。

 分不相応な場所にたぶんタダで行けるということは、若さやカラオケタイムになったときにキスするような身軽さを消費されていて、その見返りとして「有名人を『友達』と言える」ということなのだろう。もちろん行っている人たちは、その時間をお金に変えていると思っているかもしれないし、自分だけは消費されていない、自分が彼らを消費しているのだ、それが強さだと思うこともあるかもしれない。それなりに誰もが垣間見られる世界ではないから、刺激的にも感じるかもしれないのもわかるけれど、やっぱり溺れないほうがいいとも思う。

 芸能人はそんな飲み会に溺れている人もいるだろう(それも想像に過ぎないが)。屋敷がその歪さに終始つっこみを入れているからこそ、風刺的なものに見えた。しかし、短いコントの中であの歪さを全部盛り込めるのはすごい。

4月2日 芸能人が与える「夢」って何なんだろう

 『週刊さんまとマツコ』(TBS)は、芸能界きってのロケ弁好きのバカリズムを迎えてロケ弁の特集を放送していた。

 冒頭で明石家さんまとマツコ、バカリズム、MCを務める麒麟・川島明で、ロケ弁についてのトークを繰り広げる。明石家さんまは、キャリアが長いということで他の人よりも少し良いロケ弁を用意してもらっているという。しかし、マツコはそれを聞いて「それなのにね、サンドイッチちょっとつまんで出ちゃうことあるからね」と、川島も「せめて持って帰ってください」という。それを受けて、さんまは「持って帰りたいなと思うけれど/高級料亭に行くねんいう空気を出さないと」「夢を与えないと」と返していた。

 確かに芸能人はいい暮らしをしているという夢を与えないといけない職業と見られていたこともあった(今もあるかもしれないけれど)。しかし今、後進のものや、一般のテレビを見ている人に何か、自分の背中を見てもらって伝えるべきものがあるとしたら、むしろ、ロケ弁をないがしろにしない姿ではないかと、そのやりとりを見て思ってしまった。

 例えば、現場に予算がないと知っているのならば、そんな良いロケ弁でなくてもよいので、何かこだわりがあるのならばそれを指定してあげることもできるだろう。そうすれば、自分のロケ弁のお金を他の人のロケ弁の予算にまわすこともできる。

 一方、バカリズムは、ロケ弁の写真をInstagramにアップしていて、そのことで、ロケ弁を準備するスタッフさんも、ロケ弁のバリエーションを増やすことにもつながり、業界全体のロケ弁を少し底上げしたところがあるという。

 こうした食事に関することというのは「生活」に関することでもある。往年のスターというものは、こうした「生活」を見せないことがスターであるということにつながっていたし、そうあらねばならないと思っていた部分もあったのはわかるけれど、今は、ベテランの男性スターだろうが(女性はベテランでも生活を重要視すべきという規範があり、生活をないがしろにすることをよしとしている人はあまり見ない)、「生活」を見直すことは、けっこう重要なことになっていると感じる。

 それはなんでだろうと考えると、やっぱり「偉い人はケアされてなんぼ」なのではなく、「偉い人だろうがなんだろうが、自分のことを人任せにするのではなく、自分で管理する」ということが、何か重要なメッセージのように感じるからである。この世に、肩書やお金のありなしで「特別」ということはない、ということを示しているからかなと、個人的には思う。

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