家事は見えない人への思いやり マシンガンズ・滝沢秀一さんの場合

文=太田明日香
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GettyImagesより

 さまざまな男性に家事の体験談を伺うことで、家事の歴史や社会状況を考えるこの連載。今回お話を伺ったのはお笑いコンビ・マシンガンズの滝沢秀一さん。出産費用を稼ぐためにゴミ清掃員になり、現在はゴミ清掃員で得た知識を芸人活動に生かして活躍中です。家族は妻の友紀さんと2人のお子さんの4人。2人目出産後、友紀さんが産後うつになった際にはすべての家事をこなしていました。

 1976年新潟県生まれ、東京育ちの滝沢さんは一人っ子で両親との三人家族。お父さんは破天荒な人で仕事でも浮き沈みが多かったといいますが、家には一定のお金を入れてくれていたそうです。お母さんはパートをしていたため、滝沢さんは子どものころからなんでも自分でやるくせが身についていて、ひとり暮らしもスムーズに。ところが、人と住むようになると、お互いのこだわりポイントが違うことでぶつかるようになりました。そこで滝沢さんが対立を乗り越えるためにしたことは、「楽しむ」こと。そんな滝沢さんの家事にまつわるお話。

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滝沢秀一
お笑い芸人兼ごみ清掃員 1976年、東京都生まれ。太田プロダクション所属。東京成徳大 学在学中の1998年、西堀亮とお笑いコンビ「マシンガンズ」を結成。2012年、妻の 妊娠を機に、ごみ収集会社で働きはじめる。ごみ収集の体験をもと にSNSや執筆、講演会などで発信している。2018年、エッセイ『このゴミは収集できません』( 白夜書房)を上梓したあと、漫画『ゴミ清掃員の日常」(講談社) 、『ごみ育』(太田出版)などを出版。 2020年10月、環境省『サステナビリティ広報大使』 に就任。著書12冊目の最新刊『このゴミは収集できません』( 角川文庫)が発売中。

「二度手間になるからやめろ」

 僕が大人になってからおふくろが親父について言うには、「あの人は何もしなかったな」って。俺から見たらうどんを茹でたり、片付けしたり、机ふいたりしてたから、そんな感じじゃなかったと思うんですけどね。おふくろは親父が茶碗を洗おうとしていたら「二度手間になるからやめろ」みたいなことを言ってたんですよね。自分で止めていたくせに、おふくろの捉え方としては「何もしなかった」ってことになってるみたいですね。

 今思い返したら、親父がトイレ掃除だとか布団を干す姿は見たことがないんです。おふくろはそこが嫌だと思っていたのかな。考えてみると、おふくろにとっては、自分がやってほしいことをやってくれるのが家事をやるってことだと捉えていたのかもしれないですね。だから、親父が茶碗を洗ったり、ちょっと自分の食べるものを作ったりしても、それは家事として認めてなかったんじゃないのかなあ。

 客観的に見ると、おふくろはむしろ親父のことを邪魔だと思ってたんじゃないですかね。おふくろは僕にも「汚れているのが嫌だからそこを片付けろ」とか、「部屋に掃除機をかけろ」とか言ってきて、僕は僕で強制されるからなんか面倒くさいなって感じでした。でも、お風呂掃除は当番だったし、結構うちの手伝いはやっていましたよ。料理なんかもやってましたし。

 おふくろがパートに行ってるときに腹が減ったら、ジャガイモをむいてオーブントースターで焼いてバターを乗っけて食ったりとか、勝手にいろいろ覚えてやってました。それは全然嫌じゃなくて、「もっとうまく作れないかな」なんて楽しんでましたね。それで家庭科で、ジャガイモの皮にはソラニンがあるって習ったら、皮に毒があるんだなってわかったりして。まあでも、家庭科で覚えているのはところどころですよね。自分の生活ややってることに関わりがあるところだけ覚えたり興味を持ったりするんですけど、何かしっかり学んで今に役立ってるというのはないかな。裁縫も覚えたけど、今まつり縫いができるかって言われたらできないですよね。

通学時間の節約のため、ひとり暮らししたはずが

 大学が千葉で東京から通うのに2時間ちょっとかかったので、さすがに「しんどいわ」となって、途中からひとり暮らしを始めました。当時3万ぐらいの部屋で、親には家賃だけ出してもらって、生活費はコンビニのバイトで稼いで。

 僕は大学に入ったらしっかり勉強しようと思っていたので、4年生までフルに授業を入れて勉強もしていたし、サークルもバイトもやっていたからなかなか家事をする時間は取れませんでした。食べ物はコンビニ弁当で、当時はバイトで余ったお弁当をもらえたんで、電子レンジがないからジャーか何かに入れて保温して食ったりしてました。料理はたまに友達とカレーを作ったり、飲み会がてらにつまみを作ったり。そういうことを結構楽しんでやってたかな。

 実家であるていど家事ができたから、ひとり暮らしはすんなりできたんですけど、トイレ掃除とかお風呂掃除とか家事って思ってるよりやることが多くて。ユニットバスのカビ取りとか、洗濯するときは色が移るから赤いものと一緒に入れちゃいけないんだなとか、こんなことやんなきゃいけないんだって驚きました。洗濯で色移りしたり、瓶や缶を燃えるゴミに入れていたら回収してくれなくて置いていかれたり、失敗もありました。これ全部やってたら、通ってた方がマシなんじゃないかって思いましたよ。実家だと洋服なんか、洗濯カゴに入れときゃよかったし、ゴミだって分別して出してくれていたなって、おふくろのありがたさを感じましたね。

人と暮らすには家事のやり方の共有から

 ひとり暮らしする前、半年ぐらい友達んちに住んでたときは、ものや洋服がいっぱいあってゴミ屋敷みたいなところだったんですよ。当然皿も洗わないようなやつだから、家事もしないし。でも今まで普通に実家で暮らしてたから、そういう状態がストレスでひとり暮らしを始めたんです。ひとり暮らし中も、途中で友達が転がり込んできて、僕が家事やっても友達が散らかしてると腹立つなとか、人と一緒に暮らすことの難しさがあるなって思うようになりました。

 大学出てから当時の彼女と暮らしていた時期があるんですけど、男の人と女の人と暮らすのじゃ家事の観点が違ってて、彼女はおふくろに近いんですよね。汚いから掃除機をかけろって言われるんですけど、僕はあんまり気にならない方だから、気になるなら自分でかければいいんじゃないかなと思うんですよね。でもそれって自分がゴミ屋敷の男友達と一緒なんですよ。

 彼女に洗濯物を「そうやって干すとゴムが伸びる」とか、「靴下はこっちの方がスペース取らない」とか、干し方から畳み方まで指摘されるようになってきて、「うるせえな」と思っちゃう。そしたら不満ですよね。「何で文句を言って褒めることを先にしないんだ」って。やっぱね、こういうのって積み重なっていくと段々溝が生まれてくるわけなんですね……。人と生活するときの家事って、戦いじゃないですけど、どこまで許せるかってありますよね。だから、お互いの許せることと許せないことを1個1個共有しておいた方がいい。我慢をすると相手のやり方がこっちに侵食してくるというか……。こうしなきゃいけないとか、やらされるのって、やっぱり誰でも嫌なんすよ。

 だから、家事を巡る対立の原因って、やるやらないもあるけど、どのようにやるかもあるんじゃないですかね。生活する上で家事って共通項だったりするので、おざなりにすると溝を生みますよね。そこを楽しむやり方を考えたり、言い方を工夫したりする必要があるなって思うようになりました。

家事代行を頼めていたら

 結婚して、最初は僕が稼いできて家にいることが少なかったので、妻に家事を任せてることが多かったですね。2012年に妻が妊娠したのでゴミ清掃の仕事を始めたんですけど、そっからはお笑いとダブルワークで。今でこそバランスをとってやっているんですけども、当時は両方とも全力だったので、やっぱり肉体的にハードワークでしたよ。だからってすごくお金をもらってたわけでもなかったし、家事もできなかったから、妻からは「家事をやってない」って言われていましたね。

 上の子が生まれたときに、「自分のことは自分でやる」と決めて、洗濯もお風呂掃除もや料理も皿洗いもお迎えもやるようになりました。それでも足りなかったみたいで、「助かる」って言われることはなかったです。やるのが当たり前でしたよ。妻ができないんだからやらないとしょうがなかった。とにかくその頃はずっと動いていた記憶しかないっすね。

 そのあと二人目を出産したある日、妻に「もう抱っこができない、仕事行かないでくれ」って言われたんです。結構ギリギリの状態まで行って、妻は入院、娘は施設に預けて、息子は実家で見てもらって、僕は自分の家でひとり暮らしっていう状態になって。仕事が終わったら妻の病院に行って、息子のところに行くっていう毎日ですごく大変でした。今は妻の状態は回復というか安定してきて、子どもも前よりは手がかからなくなってきたので、なんとかやっています。

 例えばその時に家事代行とか頼めていたら結果が変わっていたかもしれないと思うんですよね。当時は働いても働いても金が貯まらなくて本当にワーキングプアで。こういう生活の苦しさの根っこには貧困みたいなことがあったのかなと思います。お金が幸せを運んでくるとは思わないけど、避けられる不幸はあるんじゃないかって思うんですよ。 Twitterでも苦しい苦しいって言ってる人が世の中にたくさんいるじゃないですか。お金があれば解決できるって思ってる人ってたくさんいるんじゃないかなあ。 

「生活力」とはは見えない人への思いやりを持つこと

 年を取ってくると、生活のあらゆる見えていないものも段々見えてくることがありますよね。ゴミ清掃員になってから、分別しない人を見ると、ゴミ分別だけじゃなくて料理とかもできないんじゃないかと思うようになってきたんですね。それって要は生活力がないってことだと思うんですよ。なので家事をすることって、生活する力というか人間として生きていく力みたいなことで必要だと思うんです。

 ゴミを出したら終わりの人が世の中にはいて、そういう人は不燃ごみに包丁を入れたりする。その人にとってゴミって出したら終わりで、その先誰が回収するかあんまり考えてない。なので、やっぱり見えないものに対する思いやりを持つっていうことが成熟した人間だし、生活力があるってことなんだろうなと思います。

 僕はゴミに携わって、人間が生きる営みの中で食べるだとかお金を稼ぐだとか恋愛とか、友達と遊ぶとかだけじゃなくて、ゴミを捨てるっていうことも入ってると思うようになったんです。これがおざなりになると、人生がうまく回らなくなるという理念みたいなものあるんで。

 家事も同じなんです。人間が生きるのに掃除をしなかったら病気になるし、料理を作ってご飯を食べなかったらエネルギーが入ってこなくて活動できないし、汚い風呂には入りたくないし。家事ってそういうためにあると思うんですね。そして、どうせやらなきゃいけないのなら、楽しくやった方がいいかな、と年を取るうちに思うようになりましたね。

 最初はまねごとでもいいと思うんですよ。僕がトイレ掃除をやるのはたけしさん(ビートたけし)のことを尊敬しているからなんです。これは都市伝説なんですけれど、たけしさんがストリップ劇場時代に師匠に「トイレだけは綺麗にしとけ、客にこんなとこ来たくねえと思われたらどうすんだ」って言われたから、それが癖になって今でもやってるって言うんですね。

 たけしさんみたいなあんな成功した人間がトイレ掃除をやるんだったら、俺もやった方がいいかなとか思いますよね。野球選手の大谷くんもゴミ拾いで有名ですよね。大谷くんみたいになれるんだったら俺もゴミ拾おうかなとか思いませんか。どうやったら楽しくやり始められるかは、そうやって自分で情報を引っ張ってくるのが大事かもしれないですよね。

 気分の上げ方もいろいろですよね。お坊さんってずっと掃除してるイメージあるじゃないですか。あれは多分修行なんですよね。だから家事も修行と捉えて、積み重ねることによって徳を積んでると思うとテンションが上がる人もいると思うんです。どっちにしろやんなきゃいけないなら、どうやって上げるかは大切だと思いますね。

 家事をつまんなくやるよりは楽しくやった方が、日々も楽しくなると思うんですよ。そうやって掃除したりゴミを拾ったりすることで、人格が変わるんじゃないかなってちょっと思ってるんですよね。見えない者たちへの思いやりをもつって、ゴミ清掃をやってなかったら気づかなかったと思うんですよ。家事をやり続けてたら何か見えてくるものがあると思うんですね。どうせやるんであれば、嫌々じゃなくて進んでやって、そっから何か手に入れた方が僕はいいかなと思いますね。

やらないといけないことで喧嘩をするのはバカバカしい

  うちでの家事のこだわりという部分では、ゴミに関することについては僕の方があるので、僕のやり方に合わせてもらってます。たとえば、生ゴミの水分がある状態で出すと回収の時に袋が破れてごみの水がかかったりして嫌なので、生ゴミを乾かして出しているんですよ。紅茶のティーバッグをそのまま可燃ごみとして出さないでほしいから置く場所を作って、「飲んだらここに置いといてね、あとは俺がやるから」って。最初のおふくろの話ともかぶりますけど、勝手にびしょびしょのまま捨てられちゃうと、ごみ箱に手突っ込むことになって嫌なので、ここまでやっといてねみたいな感じで分担した方がいいのかなって。

 その家庭その家庭でいい感じのやり方があるんでしょうけど、100%男の人も全部手伝わなきゃいけないっていうことじゃなくて、その家庭では私がやるのが一番心地いいっていう人もいますし。男女逆のパターンもあるでしょうし。

 とにかく言いたいのは、家事のことでガチで喧嘩するのはバカバカしいんで話し合うのが一番いいってことですよね。結局家事ってやらなきゃいけないことで、家庭の本質じゃないようなことなのに、それでけんかしたり不満が積み重なって別れたりとか、なんかバカバカしいと思うんですよ。だから意識の持ち方ですよね。そういうことでけんかしないためには、お互いが話し合って、男性もやらなきゃいけないでしょうし、女性もやらなきゃいけないでしょうし。押し付け合いが多分けんかの原因になるでしょうから。

押し付け合いから分かち合いへ

 結局家事って何個やったって明確に数えられるものじゃないじゃないですか、曖昧だから。逆に数値化して何個やりましたってやっても楽しくないでしょう。やっぱり生活するんであれば楽しくないとなかなかね。

 なんでそう思うかって言ったら、僕は子どもに、ゴミの分別とかを覚えさせたいんですよ。そういうときに、親が楽しんでやってると意外と子供も真似してくれるんですよね。「これペットボトルだからペットボトルのところに入れよう」とか、口に出して言ってみたり、牛乳パック開けたりすると、やってみたいってなるわけなんですよ。だから、楽しく家事をやるっていうことが子どもに良い影響を与えるとは思いますね。やっぱり親がイライラしてやってるものを子どももやりたいと思わないでしょ。

 やっぱり楽しむってことが大事なんじゃないですか。どちらか一方に家事が偏ってて、担当している人が家事のことをあんまり好きじゃなかったら、相手に対してものすごく不満を抱きますよね。そうすると、その不満が積み重なって、最終的に関係も悪くなっちゃうことになるかもしれない。男性もそうですし女性もそうですけど、先ほど言った通り、家事って生きる営みの一環だったりするので、どうせやるなら楽しんで、お互いに楽しみを分かち合えるようになれば一番平和に解決できると思うんですよね。

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