知られざるプレコード映画の世界(7)画期的なプレコード映画、ただし今見ると…?『結婚双紙』(The Divorcee)

文=北村紗衣
【この記事のキーワード】

 1930年の映画『結婚双紙』(The Divorcee)はプレコード映画の中でも重要な作品だと言われており、主演女優のノーマ・シアラーはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しました。しかしながら今の観客が見ると、ヒロインであるジェリーとさまざまな男性との出会いを扱ったこの映画はいろいろ面白いところはありつつ、単なるよくあるロマンティックコメディに見えるかもしれません。

 今回の記事ではこの『結婚双紙』のどういうところがプレコード映画として重要だったのかを見ていきたいと思います。

ロマンティックコメディにぴったりのヒロイン

 『結婚双紙』は、若い恋人同士であるジェリーとテッド(チェスター・モリス)が結婚を決めるところから始まります。ジェリーに恋していたポール(コンラッド・ネイゲル)はショックを受け、飲酒運転で事故を起こしてしまいます。事故車に同乗していたドロシー(ヘレン・ジョンソン)は顔に大ケガをし、責任を感じたポールはドロシーと結婚します。

 新婚生活を送るジェリーとテッドですが、テッドがある日、浮気をしてしまいます。たいしたことではないというテッドの態度にショックを受けたジェリーは別の男性と関係を持ちますが、テッドは自分が浮気をしたくせに妻の浮気には怒ります。

 2人は離婚し、ジェリーはさまざまな男性とデートをしたのち、既婚者となったポールと再会します。ポールがまだ自分を愛していることを知り、ジェリーはポールと暮らすことを考え始めますが、テッドがどうも離婚のショックで酒浸りになっているらしいことを知ります。さらにドロシーがジェリーのところにやってきて夫を奪わないでくれと頼みます。ジェリーは自分がいまだにテッドを思っていることに気付き、テッドとやり直すことを決めます。

 ジェリーを演じるノーマ・シアラーは、どちらかというとあまりセクシーではない知的で洗練された気品あるタイプの役を得意とする女優でした。シアラーは映画プロダクションMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の大物プロデューサーであるアーヴィング・タルバーグの妻でしたが、タルバーグ自身、妻はジェリー役にはセクシーさが足りないと考えていたそうです。シアラーはどうしてもこの役が欲しかったため、写真家に妖艶な写真を撮ってもらって夫を説得し、この役を手にしました。

女性の性欲

 この映画が斬新な作品として受け入れられたのは、女性の性欲や結婚の扱い方にありました。この映画は一応、1929年にアーシュラ・パロットが刊行した小説Ex-Wife(『元妻』)が原作ですが、ヒロインの名前変更を含めて大幅に脚色され、別物になりました(LaSalle, p. 68)。

 ジェリーは夫のいない間に大胆な浮気をし、それを夫に打ち明けますが、これは原作になく、1930年の映画としては珍しい展開でした(LaSalle, p. 68)。さらにジェリーは離婚後、既婚者のポールをはじめとするいろいろな男たちとデートや性的関係を楽しんでいます。

 一方でジェリーは恋愛ばかりしているわけではなく、結婚後も経済的に自立しています(何の仕事なのか具体的にはわからないのですが、ジェリーは仕事で成功していて、トロントやロンドンに出張しています)。心身ともに健康で、アドバイスしてくれる女友達もいます。女性に性欲があるのは当然だという前提で、婚外の性的関係を持つ女性をポジティブに描いた点で『結婚双紙』は画期的でした。シアラーがもともと妖艶さが売りの女優ではなかったことが効果をあげており、洗練された真面目そうな女性にも性的欲求があって、大人ならばそれに率直に向き合うべきだということが描かれています。

 ジェリーにはなかなか好きになりにくいようなところもあります。一番ひっかかるのは、ドロシーから夫のポールを奪いそうになるところでしょう。ところがドロシーが説得に来たため、ジェリーはポールと一緒になることをあきらめます。ドロシー、ポール、ジェリーの会話から、ドロシーはいったんポールとの離婚を決めたものの、後で考え直して夫を失いたくないと思ったことがわかります。そんなドロシーを見たジェリーは、自分も離婚で大きなショックを受けたことを思い出し、他人にそんな思いを味あわせるのは間違っていると思ってポールと一緒になるのを諦めます。

 この映画では、女性が婚外性交渉をするのは全く悪いこととしては描かれていませんが、一方で他人の結婚を破綻させることは問題があることとして描かれています。ヒロインは考えた末にこの間違いを犯さないことにします。善良な大人のヒロインには、他の女性に対する思いやりがあるのです。

 シアラーは、このなかなか好きになりにくいところもありそうなジェリーを、感じがよく奥行きのある女性として演じています。同じく性欲旺盛で仕事でも成功している女性がヒロインの『フィメール』に比べると、ジェリーは相当、肯定的に描かれていると言えます。ふだんは仕事も結婚も立派にこなしているけれども、ヤケになるとしょうもない失敗をしてしまうことがあり、それでも自分らしさは失わず、大人として成長していくジェリーを、この映画は温かい目で見つめています。そんなジェリーを演じたシアラーを、ミック・ラサルは「独身だが処女ではないことをスクリーンで初めてオシャレで許されるものにしたアメリカの映画女優」(LaSalle, p. 6)だと呼んでいます。

『結婚双紙』の古さ

 公開当時は大変革新的だったと思われる『結婚双紙』ですが、今見るとどこがそんなに革新的だったかよくわからない……と思う人もいると思います。最後に、この映画が古くなってしまっているポイントを指摘しておきたいと思います。

 既に他のレビューでも指摘されているように、現代の観客が満足できないのは、この映画の終わりにジェリーがテッドと再度くっつくことでしょう。テッドは自分から浮気をしたくせに妻の浮気は許さない偽善者です。離婚を経て人間的に成長し、大人の女性になったジェリーにふさわしくありません。現代の観客は、いったいなんでこんなとってつけたような古くさいハッピーエンドが……という感想を持つと思います。

 これはおそらくハリウッド映画における「再婚喜劇」というジャンルの力が関係していると思われます。「再婚喜劇」というのはアメリカの研究者であるスタンリー・カヴェルが主にシェイクスピア喜劇とハリウッドのロマンティックコメディに関する議論において提案した概念です。女性が最初の結婚に失敗してパートナーと別れるものの、その後別れたパートナーが自らにふさわしい相手であることを知的に認識し、同じ相手と真に対等な共同生活を営むことを目指して二度目に(だいたいは象徴的な形で)結婚するまでを描くジャンルです。

 カヴェルが再婚喜劇を論じた『幸福の追求』で扱われているのは(『或る夜の出来事』を除くと)ヘイズ・コード施行以降の映画が主ですが、『結婚双紙』は一種の再婚喜劇であると言えます(通常の再婚喜劇ではもっと男性側がステキではありますが)。おそらく1930年代から1940年代のアメリカ合衆国の観客は、こうしたヒロインの失敗、成長、やり直しを描いた作品に興味があったのでしょう。

 もう一点、この作品で現代の観客がちょっと受け入れにくいと思うかもしれないのは、ドロシーの結婚をめぐる展開です。ドロシーのケガは示唆される程度ではっきり映らないのですが、女性が顔にケガをするとその後の人生が台無しになってしまうというようなプロットは、21世紀の視点から見るとかなりのルッキズムが感じられます。

 ドロシーの姉妹であるメアリ(ヘレン・ミラード)が事故直後のドロシーの顔を見てこれなら死んだほうがマシだと言いますが、この反応は相当にひどいと言えるでしょう。これにショックを受けたポールは責任をとるため同情からドロシーと結婚します。終盤のドロシーが自分にはポールしかいないので結婚を持続させたいと心情を吐露しますが、社会に溢れるルッキズムのせいでドロシーは自尊心を持てない状況に追い込まれていると言えます。

 ジェリーのお話を面白くするためにドロシーの物語が軽く扱われてしまっているように見え、けっこうもやもやします。現代の物語であれば、ドロシーにもっと自分らしく生きる契機が与えられるべきでしょう。

参考文献

Mick Lasalle, Complicated Women: Sex and Power in Pre-Code Hollywood, St. Martins Press, 2000.
スタンリー・カヴェル『幸福の追求――ハリウッドの再婚喜劇』石原陽一郎訳、法政大学出版局、2022。

「知られざるプレコード映画の世界(7)画期的なプレコード映画、ただし今見ると…?『結婚双紙』(The Divorcee)」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。