子供と社会の将来像を考え直す時期にある〜日本とアメリカの矛盾

文=堂本かおる
【この記事のキーワード】
子供と社会の将来像を考え直す時期にある〜日本とアメリカの矛盾の画像1

Gettyimagesより

 週末に、古くからの友人宅に遊びに行った。お互いに忙しく、ここしばらくはゆっくり話す機会のなかったことから、二人でのんびりとおしゃべりをするのが目的だった。まもなく一歳になる友人の子供、Kちゃんの顔を見るのも大きな楽しみだった。

 去年の夏に会った時、Kちゃんはまだ生まれたばかりの赤ちゃんだった。なのに今回は、ぬいぐるみやブロックで一緒に遊ぶことができた。子供の成長の早さにはいつも驚かされる。

 さらに驚いたことに、なんと歩き始めていたのだ!

 Kちゃんはまず、押して歩くためのオモチャに掴まり立ち、お母さんとお父さんに励まされ、オモチャから手を離してヨチヨチと歩き出し、3歩でお母さんの腕の中に着地した。子供がもっとも安心できるスポットだ。それを見て両親ともに満面の笑顔で「できたね〜!」と褒める。ママとパパが心から褒めてくれているのがわかり、なんとも得意げな表情になって “ヨチヨチ3歩” を繰り返すKちゃん。

 小さな子供のいる家庭特有の、笑顔と幸福に満ちた光景だった。

子供の幸福パワー

 子供の醸し出す幸福感は、そこに居合わせる第三者にも伝わる。親族や友人の子で無くとも、地下鉄やお店で見掛けるだけのよその子供にも、他者を幸福にするパワーがある。時々見掛ける、親には見られていないと思って赤ちゃんにこっそり変顔をする人たちがその証拠だ。

 もちろん、すべての人が子供好きではなく、そうである必要もない。けれど子供の多い街や地域に暮らすと子供を見慣れ、子供の生態がなんとなくわかってくる。するとよその子供が公共の場で多少ぐずっていても「仕方ないな」で済ませられるようになる。

 私自身の息子はもう10代になってしまったけれど、6〜7歳の頃までは地下鉄で席を譲られることが多かった。お礼を言って子供だけを座らせると、「お母さんも座りなさい」と言われることがあった。小学生にもなれば立っていることは十分に出来るが、親としては荷物もあるし、座らせておくほうがラクであり、周囲もそれをわかっている。だからこそ男性だけでなく、すでに子育てを済ませたと思われる年齢の女性にすら(いや、その年代の女性だからこそ)、席を譲られることがあった。

地下鉄とベビーカー

 ニューヨークの地下鉄は古く、予算も不足していることからエレベーターのない駅が多い。赤ちゃん連れのお母さんたちはベビーカーを担いで階段を昇り降りすることになるが、それもよくヘルプが入る。その場に誰もいなければ女性が助けることもある。

 私は身長150センチとアメリカではかなり小柄な部類のせいか、「手伝いますか?」と声を掛けても「大丈夫!」と言われ、お母さんが一人で軽々とベビーカーを担いでしまうことがあった(お母さん、かっこいい)。私と同じくらい小柄な女性が、今時ちょっと珍しいと思えるほど大きなベビーカーを持て余していた時に声を掛けると、この時は「ありがとう!」と言われ、ふたりでベビーカーを担いで階段を降りた。

 なぜ私が気軽に「手伝いましょうか?」と声を掛けるかと言うと、ニューヨークに住み始めて以来、その光景を頻繁に見てきたために、それが「普通」になってしまったからだ。腰痛持ちゆえに他に誰もおらず、腰の調子がいい時に限るのだけれど。

 こんなふうに子供の多いコミュニティに暮らすと、当然ながら託児所や保育所、学校、公園も多く、子供の声が常に聞こえる暮らしとなる。けれど今の日本のように少子化が進む中、子供の施設を「うるさいから」と閉鎖させたり、新規開設を拒んだりすると子供を目にする機会がさらに減り、子供への「慣れ」が無くなり、子供と子供を持つ家庭への理解や共感も無くなっていく。

 さらに言えば、子供は社会の未来を担う人たちであり、見知らぬ他人の子であっても、自分自身と完全に無関係ではないのだと気付けなくなる。子供たちも自分は地域社会に歓迎されていないのだといつしか気付き、コミュニティと子供や若者の間に取り返しのつかない溝が生じていく。

アメリカの子供:食料の支給

 アメリカの子供を取り巻く環境にも、深刻な問題がある。アメリカはコミュニティ・レベルでは子供を歓迎するものの、政治的には多くの子供を貧困に押し込め、命さえ奪っているとも言える。ここにアメリカの大いなる矛盾がある。

 私が住むニューヨーク市の公立校(幼稚園を含む小中高)では、朝食と昼食は無料だ。夏休み、冬休みの間も希望者には支給される。お世辞にもグルメとは言えないメニューだが、一年を通して常に提供される安定したプログラムだ。

 妊婦/乳幼児と母親(*)には「WIC」(Women, Infants and Children)と呼ばれる食品支援プログラムがあり、パン、牛乳、チーズ、野菜と果物、粉ミルク、ベビーフードなど基礎的な食材が支給される。WICは低所得者対象のフードクーポンと異なり、例えば2人家族であれば年収33,874ドル以下(約460万円)で受給できる(2023)。

*本来は母乳育児をする母親と子供の健康維持が目的。母親不在の家庭は父親などが申請できる

 他にもNPOが運営するフードパントリー(食材の配給所)もあるが、そもそも無料給食や食品支給の仕組みが整備されたのは、昔から低所得者が多い国ゆえ。その貧困問題を政治が解決できないがためにNPOも必須の存在となっている。日本も今後、こうした仕組みがますます必要になるのではないだろうか。

アメリカの子供:死因トップは銃

 親の所得に一切関係なく、子供たちが、ある日、突然に命を奪われてしまうのもアメリカだ。子供の死因のトップが、ついに銃となってしまったのだ。

 かつて子供の死因は交通事故が最多だったが、徐々に銃由来が増え、コロナ禍に加速し、逆転してしまった。2020年、アメリカでは銃由来で亡くなった子供(1〜19歳)の数は4,357人にものぼった。先進国の中で米国に次いで多いのはカナダとフランスで共に48人。人口の差を差し引いてもアメリカの異常な多さがわかる。

 米国では今年に入り、5月の時点で130件以上の乱射事件が起きており、学校での発砲事件は22件。また、銃由来で死亡した子供のうち30%は自殺。幼児が親の銃を見つけて遊んでいるうちに家族や自分を撃ってしまう事故も続いている。

 どれほど犠牲者が出ても銃規制を拒み、大型の殺傷銃すら野放しにしている「政治」が、子供たちを殺しているのだ。

子供の育成:「家庭」「コミュニティ」「政治」の役割

 つい先日、ニューヨーク市内の黒人地区、ハーレムにティーンエイジャー対象の公立図書館がオープンした。書籍やコミックだけでなく、カメラ機材、ゲームコンソール、3Dプリンター、iPadとアップルペンシルなどを揃えている。中高生が放課後を安心して過ごせる場所の提供であり、素晴らしいアイデアだ。この件をツイートすると、日本の多くの人がアメリカの公共施設の在り方に感心してくれた様子だった。

 けれど逆に言えば、この図書館は周辺に公営住宅が広がる地下鉄の終点駅にあり、その先はブロンクスに向かう橋があるのみで、これまでティーンが立ち寄れる場所が何もなかった。図書館のオープンを伝える記事には上記のデバイス以外に「無料のWi-Fi」もあると書き添えられていた。宿題にすら必須のWi-Fiを自宅に持たないティーンが少なからずいることの表れだ。アメリカにはこうした生活環境に暮らす子供たちが2024年の今も大勢いる。

 子供が健全に育つには親/家庭の愛情に加え、コミュニティ全体の寛容さが必要で、かつ経済(貧困)、教育、米国での銃規制のように政治が動くべき問題がある。

 日本では極端な少子化や貧困化、そして移民の流入があり、アメリカでは2024年の大統領選を前にますます分断が進み、多様化を描いた書籍や絵本の禁書、LGBTQ+教育の禁止、ドラァグクイーンによる子供への読書イベントに極右グループが押し寄せるといった事態が各地で起きている。

 子供の育成について「家庭」「コミュニティ」「政治」の在り方が異なるアメリカと日本だが、今、どちらも子供と社会の将来像を、それぞれに考え直す時期に来ていると思える。

「子供と社会の将来像を考え直す時期にある〜日本とアメリカの矛盾」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。