一カ月ちょっと単行本執筆のためにお休みしていましたが、今週から復活することに。『韓国ノワール その激情と成熟』(ele-king)という本を6月28日に刊行します。すでに予約も始まっているので、ぜひ。

『韓国ノワール その激情と成熟』(ele-king)
執筆のために映画ばっかり見ている間は、テレビを見ていても「この話題からは広がりがある」というものを見つけること自体が難しかったように思う。執筆が終わったら、けっこう話題を見つけることができるようになったから、そういうものなのかなと。
6月11日 お笑い芸人にとっての「止まる」
6月11日の『ボクらの時代』(フジテレビ)は、錦鯉の長谷川雅紀、なかやまきんに君、とにかく明るい安村の三人がゲスト。「大きな声で陽気な決まり文句を言う芸人」かと思ったら、「遅咲き&再ブレイクの芸人たち」というくくりのようであった。
番組の中で、非常に興味深い話をしていた。口火を切ったのは安村。「同じポーズでずっと止まってると周りが例えてくれたりとか、なんだこいつとかいろいろ言ってくれるんで、長く止まるっていうのでごまかしてます。今でも」というと、長谷川も「本当に、止まるっていうのは大事で」「例えば、普段ギャグやらない人に、ギャグやってみろっていうときに、止まらない。照れが出て止まってられないの」と言っていた。
これは、もしかしたら「笑い」の本質のひとつを捉えているのかもしれないとも思えて興味深かった。
個人的には、ギャグよりも、ギャグのないリアルな芝居で進めるコントの方が好きなのだが、そっちの人は「止まって」いるのが難しそうな人が多そうだ。だから、『ゴッドタン』(テレビ東京)の「照れカワ芸人」などは、コント師のほうが多いように思う。リアルなコントの中で、もしも「止まる」一瞬があったら、そこにはネタという物語や文脈の上での意味が生まれてしまう。
では、お笑い芸人の中でも、ギャグを強みとしているギャガーの人にとっての「止まる」とは何なのかと考えると、もしかしたら、観ている人を引き込むような瞬間なのかなとぼんやり考える。ギャガーが止まることで、(ネタという物語や文脈においての)意味が生まれるわけではないが、パフォーマンスにおいて、見ているものの反応を呼び起こす。どちらがどうというのではなく、どちらも違うジャンルの「プロ」なのだと思う。
面白いのは、こういう話題は、偶然なのだがなぜか繋がっていたりするところだ。
6月13日 郷ひろみにとっての「止まる」
6月13日の『ぽかぽか』(フジテレビ)は、郷ひろみがゲスト。郷ひろみは、その前の週の『まつもtoなかい』(フジテレビ)にも出ていた。そのときから、後輩だろうが別業種の人だろうが、誰にでも敬語でしゃべっていたし、今回の『ぽかぽか』でも、タクシーの運転手に道を伝えるときに、相手もプロだからという理由で言い方に気を使いながら道を教えたという話もよかった。「この人にはこの人のやり方があるんだなというタイプなんです。だから人には押し付けないんです」と言っていたところにも好感を持った。
それよりもびっくりしたのは、郷ひろみがパフォーマンスと食事やトレーニングについて語っていたとき、「人間は動いているときより、止まる瞬間がすごく大事なんですよ」「その止まるためには、膨大なエネルギーを使いますよね。エネルギーを使うために、自分がトレーニングをしたいな。自分で気持ちがいいところにいきたいな。でも、見てる人はそれで喜んでくれるだろうなと」「止まるところと流すところは緩急つけないといけないんですよ」と語っていたのだ。
これは、まったく安村と長谷川の話していたことと重なることではないか!
郷ひろみの場合は、歌や踊りをするときの話であるが、確かに、見せるパフォーマンスのために止まることは大事というのは聞いたことがある。
そして、若いときや、まだエネルギーでやっているときには、そこまで考えなくてもできていたりするのかもしれないけれど、長谷川さんにしても、郷さんにしても、年齢を重ねると、「止まる」ということにもエネルギーが必要なことを意識するようになるのかもしれないと思った。
郷ひろみという人を物心ついたときから見ているが、かつては自分の在り方を模索していて、いち早くアフロヘアーにしてみたり、ニューヨークに留学してみたり、はたまた歌手の世界から演技の世界に入り、ドイツとの合作映画『舞姫』に出てみたりしていたのだ。つまり「文脈」の仕事をしようとしていた時期もあったのだ。
そんな時期を経て、歌のパフォ―マンスに絞って、ときに振り切って「ヒロミ・ゴー」であろうとしている姿は、そのときの模索を知っている自分からすると、少し意外でもあった。しかし、この「振り切り」のために、日ごろから努力を怠っていないのだなと思った。この「振り切り」には、「止まる」ということが重要であると思うと、ちょっと「ギャガー」の在り方にも重なるものがある。
こういうことを考えていくと、マイケル・ジャクソンのパフォーマンスを思い出すが、エンターテイナーにとって「止まる」ことは必然なのだということを、錦鯉の長谷川さんと郷ひろみの発言から考えてしまった。

『韓国ノワール その激情と成熟』(ele-king)