『リトル・マーメイド』批判と、人種置き換え陰謀論

文=堂本かおる
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 4年前のキャスト発表時から幾度も炎上を繰り返したディズニーの実写版『リトル・マーメイド』だが、いざ公開されるとアメリカでは初週末は2019年に大ヒットした実写版『アラジン』を超える興行収入となった。日本でも人気を博し、週間映画ランキング(6月9~15日)の観客動員数トップとなっている。

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『リトル・マーメイド』批判と、人種置き換え陰謀論の画像2 ウェジー 2023.03.23

 SNSも日米共に実際に観に行った人たちの賞賛のコメントで溢れた。「凄く良かった」「めちゃくちゃ良かった」「笑って泣いてお友達と最高の時間を過ごせた」と純粋に作品を楽しんだ声や、「黒人アリエルは全く違和感とかなくすんなりアリエルに見えた」「キャストが話題だったけどみたら納得」と、ハリー・ベイリー演じる人種を超えたアリエルへの肯定が多数となっている。中には『リトル・マーメイド』にインスパイアされたデザインのドレスやバッグを紹介するものもあった。

 その一方、あれほど激しかったアンチ黒人アリエルの声は随分減った。映画のヒットに気をくじかれたのか、はたまたネガティヴな意見や暴言を書き連ねることに飽きてしまったのかは定かで無いが。

「思い出」と「原作原理主義」の背後にあるもの

 『リトル・マーメイド』論争については経緯を過去に何度か書いているが、今回は黒人アリエルになぜあれほど徹底的な反発・抵抗が起こり、人種差別語まで飛び出す過剰反応が引き出されたのか、その背景を考えてみたい。

 アンチ黒人アリエル派が語った理由は「子供の時に見た白人アリエルの思い出が台無し」と「原作に忠実に作れ」のどちらかが多かった。ハリー・ベイリーに「Nワード」まで投げつけたものすらあったが、これは逆に人種問題にも映画にも関心がなく、SNSの炎上のみが目的の悪質な愉快犯だと思われる。

 子供の時期の思い出を大切に維持したいのは誰もが理解する。しかし、これまで黒人プリンセスを(ほとんど)持てなかった黒人の子供たちのためを思えば、大人として譲ることができたはずだ。

 本国アメリカよりも日本のほうが強固だったのが「原作を改変するな」という、いわゆる原作原理主義だ。『リトル・マーメイド』のファンではないが、とにかく改変はダメだとの声も少なからずあった。なかには「原作レイプ」なる言葉まで使う者もいたが、この悪質な造語は論争の理由や内容にかかわらず、使用自体が許されるものではない。

 いずれにせよ、「自分の思い出」や「原作の改変は許されない」という信念の背後に何が潜んでいるかは、当人たちも思い至っていなかったように見える。

「人種の置き換え」陰謀論

 アメリカでは近年、「リプレイスメント・セオリー(またはグレイト・リプレイスメント)」と呼ばれる陰謀論が話題になる。増え続ける移民を白人至上主義者が脅威に感じ、「米国の人種的多数派が白人から非白人にリプレイスメント(replacement 置き換わる)される」「多数派となった非白人が自分たちに有利な政治家を選び、アメリカが乗っ取られる」「それを食い止めなければならない」とする陰謀論だ。

 この陰謀論の対象は黒人にも拡張され、昨年5月には信奉者がニューヨーク州北部の黒人地区にあるスーパーマーケットにて乱射を行い、黒人の買い物客10人を殺害している。

 黒人アリエルに反対する人々とリプレイスメント・セオリー信奉者を結び付けるには無理があると感じられるかもしれない。しかし、人々をあれほど強固に白人アリエルに固執させた「思い出」や「原作原理主義」の背後には、マジョリティの地位を失う恐怖が潜んでいる。

 アメリカは入植者である白人が先住民を駆逐し、アフリカ人を奴隷として強制労働させて国家を反映させた歴史があるにもかかわらず、最大人口を持ち、政治と経済をコントロールしてきた白人が主(あるじ)となってきた。

 だが、時の流れによって奴隷が奴隷でなくなり、労働力として利用してきたはずの移民が増えると白人はパニックを起こした。1865年の奴隷解放後に黒人差別が一層苛烈になり、白人と同等の市民権を与えないための “努力” が盛んになされた。今では法的にはどの人種も平等だが、黒人への警察暴力は絶えない。そのためにBLM(ブラック・ライブス・マター)運動が始まると、そのBLMへのアンチが起こる。

 ラティーノへの反発も強い。現在、ラティーノの人口が急激に増えており、数年前に「2045年には白人がマイノリティ、つまり最大多数派ではなくなる」とする予測が出された。すると街なかでスペイン語で会話するラテン系市民に「英語で喋れ!」と怒鳴る白人が出現し始めた。全く意味のない行動だが、自分たちが少数派になることを恐れ、動転している証拠だ。

 そうした人々にとって映画などの娯楽も含め、社会生活のあらゆる場面で主役を演じ、采配を振るうのは白人でなくてはならない。彼らはそれを自然かつ当然と思い、そうでなければ安心できず、その安心感が脅かされると逆上してしまう。もちろん全ての該当者が乱射したり、街なかで怒鳴るわけではない。多くの該当者は不安と怒りを内に秘めた一般人であり、直接行動には出ない。だが、マイノリティが描かれた絵本を禁書にしてしまう全米各地の地元教育委員会のメンバーと、声高なアンチ黒人アリエル派には共通点が見出せる。

ハリー・ベイリーへの評価

 無自覚のリプレイスメント・セオリーは、アメリカ以外の国にも広がっている。大国アメリカが世界に拡散した米国エンターテインメントの影響で、白人こそヒーロー/ヒロイン、またはロールモデルだと視覚的に刷り込まれてきた人々だ。ゆえにアジアの国、日本であってもスクリーンから白人プリンセスが抹消され、黒人に「置き換え」られるのは、これまで自分が信じてきた世界の崩壊だと感じてしまうのだ。

 欧米文化が日本にもどれほど強く根付いているかを物語る別のエピソードもある。実写版『リトル・マーメイド』に登場するアリエルの姉妹のひとり、アジア系の人魚に「違和感」を抱いたというコメントが散見される。白人であれ、黒人であれ、自分と異なる人種の人魚は受け入れ、しかし同じ人種の人魚に違和感を抱く。

 世界各国における「ハリウッド映画=白人」の刷り込みの強さはデータにも現れている。今年公開された作品の、全世界での興行収入を合計したワールドワイド映画ランキング2023のトップ10を見ると、黒人主演作が3作ランクインしている。『リトル・マーメイド』『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』『クリード 過去の逆襲』だ。3作はいずれも世界的大ヒット作品ではあるものの、他のランクイン作品と異なり、この3作のみ興行収入の半分以上を米国/カナダで稼いでいる。黒人主演作への抵抗、もしくは関心の薄さが、他国では米国以上に強いのだと言える。

 いずれにしてもハリー・ベイリーによる『リトル・マーメイド』は黒人の子供たちだけでなく、日本の大人のファンをも魅了した。幼い子供たちにとっては、ハリー・ベイリーのアリエルが「はじめてのアリエル」となった。世界は確実に変化しつつある。

 改めて考えると、私たちは人種論争にかまけ、主演のハリー・ベイリーがシンガーとしてだけでなく、俳優としてもいかに優れているか、この先、どれほど有望であるかを語ってこなかった。『リトル・マーメイド』の映画作品としての評価、社会的な意義に加え、4年間の長きにわたる誹謗中傷にも負けずにアリエルを演じ切ったハリーを評価することも忘れずにおきたい。ハリーの次の出演作は、黒人作家アリス・ウォーカーのピューリッツァー賞受賞小説『カラー・パープル』の同名ミュージカル映画化作品だ。

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